投稿者: masumi

  • 5-3 よく生きた!また会おう!また飲もう!

    成田)私にとっての「祈り」をもう少しわかりやすい言葉にできないかと考えていたら、第4楽章で書いた「スペシャルな独り言」を思い出しました!「常に自分の内側で交わされている”スペシャルな独り言”」が祈りに通じていたのではないかと。

    スペシャルとは、苦しみや悲しみからくるニーズ(欲求)ではなく、真実を受け止める穏やかで澄み切った心の状態。過去の悔いや未来への不安ではなく、”たった今”の自分の内なる声との対話。その「スペシャルな独り言」を、心で思うだけではなく声や文字にして外に出すと、自分の目や耳からもう一度インプットされますよね。それが、私にとっての「祈り」になったのではないかしら。

    武枝)ますます分かりやすくなりましたねえ。

    「祈り」の言葉の成り立ちを調べてみると、「い=神を祀るという意味の斎(い)み」+「のり=神聖な言葉を発するという意味の、宣(の)る、告(の)る」→「斎み宣る(いみのる)」からきているという説があって、それだけに、崇高な境地のように思え、距離感があり過ぎるのよね。それを、誰もが手の届く身近なレベルに、アシストしてもらった感じです。

    成田)本来「祈り」という言葉には、そういう成り立ちがあったのですね。そんな崇高な意味も知らず、勝手な捉え方をしていたことを少し恥ずかしく思いながらも、許されるなら、「祈り」を身近なものとし、自由なスタイルで祈りたいなぁと思っている私です(笑)

    ただ、「祈り」について、一つだけ、疑問に思うことがあります。それは、「高価な祈祷を受けたり、誰かの祈りを込めたという水や物品を購入する」という祈り方についてです。信仰を持たない私ですが、礼拝や祈りとは、個々人の心の中にあるものだと思っています。人の弱みにつけ込み、精神をコントロールして”お金を要求する人”には惑わされてはいけないと言いたいです。

    「遠隔操作」などと言って、有料で誰かのために祈る人が存在するんですよね。大病で亡くなった芸能人の方の中にも、最後はそうした「祈りの力」に頼られたという話を結構聞きました。私は、そうしたものに頼ることは、かえって人間が本来持っている自己治癒力を鈍らせ、依存体質になるのではと思えてなりません。

    もし、本当にそのような力を持つ人が存在するとしても、私は、知らない人に自分の体と心を操作されたくはないです!それって、自分の人生を人に預けるようなものではないですか。結果がどうあれ、自分で考え選択する過程にこそ、生きる意味があり、人としての成長や喜びがあるのではないかと言いたいです。

    武枝)私も、力を込めてそう言いたい。

    誰かに頼りたいという気持ちが勝ってしまうと、人生の大事な局面で、「遠隔操作」的な存在に引っかかる!だから、私は、他人の力は有難く”お借りする”にとどめておくことにしています。

    成田)コーチングでは判断を他人に任せることを「他責」といい、コーチは、相手が自分の責任において選択する「自責」で物事を考えられるように対話します。人は自分で決めたことしか、本気にはなれない生き物のようです。自力で「決断した後のパワー」は大きく、自分の言葉で決断を宣言したとたん、別人のようにスッキリとした表情で軽やかに動き出す方も多いです(笑)自分の言葉が人生を動かす力を持っているなら、これこそ「祈り」ではないかしら?ただ、私は、一旦宣言したことも「絶対」ではなく、気が変わっても良いと思っています。あまり深刻にならず、「そうなればいいな〜」とワクワクするような、ゆる〜い祈りがいいと思うんだなぁ。

    武枝)ああ、その「ゆる~い祈り」って、いいですねえ。常に修正可能というスタンスですよね。
    「自責」と「他責」という話が出たので、ついでに日ごろ気になっている「無責任」話を。
    「誰かがそう言ってた」という話を、そのままいかにも本当らしく話す人がいて、その話を聞いた人がまた他の人に「そうらしい」と話して、本当か嘘かわからない話が延々と続いていく状況。あれって「無責任」の数珠つなぎですよね。その延長線上に、《高価な祈祷を受けたり、誰かの祈りを込めたという水や物品を購入する》という事態も発生しているような気がしてなりません。

    成田)全く同感です!私は、西洋医学もドクターに対しても、心からの敬意を払っています。昨今の診察が少々データに偏りつつあるようには感じますが、それも医療の進歩の一つでしょう。そして私が出会ってきたドクターの多くは、「患者を救いたい」と言う思いから、懸命に考え、寄り添って下さいました。

    入院していた時に、その様子はこの目でしっかり見てきましたから。人としての信頼関係が基盤にあるからこそ、データに基づく医師の話も冷静に受け止める事が出来、自分の思っていることも正直に話すことができました。私が、再発しても骨髄移植に踏み切れず心が揺れていた時、主治医のO先生がこんなことを言ってくださいました。

    「成田さん、移植を選択しなくても、民間療法”だけ”に頼ることはお勧めしません。不安があれば、なんでも私に相談してください」と。

    そして、以前にも書きましたが、忘れられない言葉がありましたね。「医者はデータで話しているにすぎません。データとして正しいことが、成田さんの生き方にとってベストかどうかは別だよね。何を選択するかは成田さんが決めることです」。このドクターの言葉があの時の私を強くしました。いえ、今も私の支えです。

    武枝)本当に、ヒビが入りそうになる不安な心の隙間をコーキングして、更に強化してくださいましたね。ドクターと患者の間で、人生観に関する会話がこれほど真正面から向き合って交わされたってことに、改めて感動します。

    成田)私は民間療法には一切頼りませんでしたが、患者は時に、藁にもすがりたくなるかもしれません。そんな気持ちも察して寄り添って下さいました。だからこそ、自分はどのように生きたいのか、何を大切にしたいのか、自責で冷静に考え選択することができました。

    どんなに医学やAIが進歩しても、最高の妙薬は、心(魂)を支える「人対人」ではないでしょうか?私は良き主治医に巡り会えたことに心から感謝しています。もしかしたら、出会うべき人に出会えたことも、「祈りが通じた」ということではないかしら。

    武枝)半世紀以上生きてみると、「どのように生きたいのか、はっきりしている者、自責で冷静に考え選択してきた者は、その人にとって大切な状況を引き寄せる」ということが明確に実感できるようになりましたね。会いたい人には会える!会うべくして会う!そして、こうありたいという方向に向かう、と。

    そうそう、ラグビーの2019年ワールドカップ日本大会で、優勝候補のアイルランドに歴史的な勝利を遂げた後、日本代表の主将リーチ・マイケルがこんなことを語っていましたね。

    「勝ちたいというメンタリティーと、勝てるという自信が一番の勝因」って。

    これを聞いて、成田さんの言う「”スペシャルな独り言”が”祈り”に通じる」の意味が更に生き生きと立ち上がってきました。そして「祈りが通じた」んだという、計り知れない力の大きさも感じました。

    成田)「誰の人生にも光と陰がある!」とよく言いますが、誤解を恐れずに言うと、私は、命に関わる病になったことが「人生の陰」とは思っていません。以前にも書きましたが、告知を受けてからの日々は、決して苦しみばかりではなく、その裏側に張り付いている「幸せ」を感じることのできた時間でもありました。

    闘病中の私は、ハードな治療の中でも、この「幸福感」に多くの意識を向けていたように思います。一瞬真っ暗な海の底まで沈むこともありましたが、仰ぎ見れば、そこには暗い海底に差し込む一筋の太陽の光が見えました。その光は、自分のスペシャルな独り言であり、信頼するドクターの声であり、私の命の真ん中に届く愛ある人たちのスペシャルな言葉でした。

    武枝)暗い海の底に沈んでも天を仰ぎ見れば必ず一筋の光が見える!それを命がけで体験した成田さんの”命の真ん中に届いた言葉”は、どのようなものだったのでしょう。

    成田)武枝さんも成田も、長年言葉にこだわる仕事をしてきて、言葉選びがどんなに大切なことかをよくよく知っていますよね。自分が感じている言葉へのこだわりや違和感は譲れなかった!自分の言葉に嘘はないか、正直か、誰かを傷つけないか、間違った解釈をしていないか、偏った見方ではないか、シンプルで誰にでも伝わる言葉かなど。

    私は報道キャンスターだったとき、記者さんが足で取材し、映像にまとめ、時間に合わせて書かれた原稿を読んだ後、自分に与えられた時間(15秒くらい)の中で、秒針を見ながら、どんなキャスターコメントで締めくくるか、必死で毎日向き合っていました。

    まだまだ世間知らずで、自分の考えや言葉に自信がなく、与えられた役割の大きさに潰れそうでした。

    キャスターの言葉一つで、ニュースをわかりやすくも台無しにもします。取材記者の想いやニュースのポイントがよりクリアになるような言葉。ある時は、違った視点を提供できるような言葉を選び、それをどんな声のトーンや表情で伝えるか。これは大きなやりがいでもありましたが、今思えば修行でした。生放送での言葉選びは、自分の中身が丸見えになる瞬間でしたから、怖くて、不安で、いつも緊張感との戦いでしたよ。

    私は、”原稿読み”は上手とは言えませんでしたけれど、”自分の言葉”をアウトプットできる場を与えていただき、ある意味水を得た魚のようでもありました。

    でも、それまで感性だけで自由にものを言っていた私にとって、ニュース番組のアンカーとして、責任ある言葉を選び、短いコメントで何を伝えるかを考え続けた日々は、なかなか苦しい修行時代でした。でも人生に意味のないことはありませんね。あの経験のお陰様で、自分の感性と冷静な思考の両輪で言葉を選ぶ術を少しばかり鍛えられたように思います。

    武枝さんの言葉の源泉はどこにあるのですか?そう言えば、長いお付き合いなのに伺ったことなかったですね。出会った日から誰より言葉が通じあっていたから(笑)聞く必要もなかったのですが、よかったら改めて教えてください。

    武枝)確かに、驚くほど、面白いほど、すぐに二人は通じ合いましたねえ。

    成田さんとの出会いは、報道キャスターとして抜擢される前ですが、その時に一緒に携わった番組でも、従来の傾向だった男性司会の女性はアシスタントというのではなく、二人司会の掛け合いで進行するという形でした。”自分の言葉を持っている”成田さんが、女性メインの報道キャスター第一号になったのは当然の道筋だった、と思います。

    で、私の言葉の源泉についてのご質問の件ですが、私は中学生まで日本の秘境中の秘境で育ち、村には本屋さんもなければ、映画館もないような環境でしたし、木に登ったり、一日中、外で遊びまわっていた子でしたから、実のところ、その頃、本らしい本を読んだ記憶がありません。高校に入ってできた友達が、たまたま文学少女(今どき使わない表現ですね)で、家に遊びに行くと、お父様の書斎には本がびっしり。その時、友人の勧める本を読み始めて、自分の言葉の貧弱さを思い知りました。

    そして、友人がやっていた短歌も真似て、雑誌「短歌研究」に投稿するようになったのが、言葉修行のスタートですね。

    それから、もうひとつ、高校の「倫理社会」の先生の影響も大きかったなあ。授業で世界中の哲学者たちの名言を片っ端からかみ砕いて教えてくださって、それをまずノートの左半分に書き、右半分は空けておいて、家に帰って、自分の考えたことを何でもいいから書き、書いたらそのつど提出するというやり方でした。強制ではなかったので、右ページが真っ白なままの生徒もいたようですが、私はそれが楽しくて、いつもぎっしり書いて出すと、先生は真正面から向き合って、必ず感想や補足を書き加えて返してくださいました。

    教えてもらった名言の中で、心にずっと残っているのが「我思う、ゆえに我あり」というフランスの哲学者デカルトの言葉です。あれ!これって、成田さんの根底に流れている考えと一緒じゃ~ん!

    成田)え〜〜!「我思う、ゆえに我あり」。武枝さん、そんなすごい哲学者の真理が、私の根底にも流れているなんてさらりと言わないで下さい。我(私の場合)はささやかな「自意識」にすぎませんから(笑)

    武枝)報道キャスター時代に《自分の言葉に嘘はないか、正直か、誰かを傷つけないか、間違った解釈をしていないか、偏った見方ではないか、シンプルで誰にでも伝わる言葉か》と毎日必死で向き合っていた成田さん。第三楽章の3-6「まだ何を試されているのか」で書いているように、病気の再発の診断が下された時に、「まだ何を学べというのか?」「何を試されているのか?」「何を経験しろというのか?」と自分に問いかけた末に、「希望はある」と前に進むことを決意し、かねてからの願いだった引っ越しを決行した成田さん。どのエピソードを切り取っても、「成田さん思う、ゆえに成田さんあり」ですから~

    成田)そうですね!誰がなんと言おうと、「自分のことは自分と対話して決める」と言う気持ちがいつも私の根底にありますね。人はこんな私を頑固と言うかもしれませんが、私はただ「自分に嘘をつきたくない」だけなんですよね。自分自身との信頼関係なくして、人と”真の信頼関係”は築けないのではないかしら。

    だから自分自身と対話できる人は、人の話にも真摯に耳を傾けることのできる人だと思います。そして自分の考えや価値観を人に押し付けることはしません。まさに「我思う、ゆえに我あり」ですね。そんなことを生徒に考えさせて下さった「倫理社会」の先生が素敵です。私も悩める少女時代にお会いしてみたかったな。

    武枝)そうそう、その先生のことを私は勝手にソクラテスって呼んでました。「無知の知」を唱えた古代ギリシャの哲学者の名前ですけど、その言葉の意味を教えてくださった恩師がソクラテスの再来のように思えたのかもしれません。

    成田)そして!武枝さんにとって、雑誌「短歌研究」への投稿も言葉修行の一つだったのですね。私たちの対談の中でも、武枝さんが私のために詠んで下さったいくつか素敵な句がありましたね。本当に一つの言葉から、武枝さんの想像力とそこに見える情景と想いを共有させていただき感動しました。「言葉」は、長く説明すれば伝わると言うものではありません。言葉を使う人の感性と伝えるタイミングでしょうか。

    私たちが出会った頃から不思議なほど通じ合えたのは、表現の修行の根底に「自分で考え自分の言葉で伝えたい」欲求があったからかもしれませんね。そう言う意味では、修行ではなく「自分の在り方」探しだったような気もします。だからこそ武枝さんと共鳴し合える今があるのですから。振り返って見れば、あの修行は、苦しみではなく、実は喜びへと続く道だったと確信します。

    それにしても、心柔らかな年頃に、誰と出会ったか、どんな言葉に接したかは、一人の人間の生き方に大きく影響するのでしょうね。倫理社会の先生の「右半分は空けておいて、家に帰って、自分の考えたことを何でもいいから書いて、書いたらそのつど提出するというやり方」も、それを「強制しない」というところも素敵です。鳥肌が立ちました!武枝さんの「ノートの右半分」には、多感な頃の武枝さんの想いや言葉が溢れていたでしょう。ゾクゾクします。

    若い頃は、自分という存在自体が不可解で、大人の使う言葉や社会通念に対する違和感の”正体”もつかみきれず、その自分の戸惑いを言葉にすることがとても難しいことに思えました。同じ言葉を聞いても、「そういうものなんだ」と受け入れられる子供と、「なんか違う」とこだわる子供がいる。

    武枝さんの倫理社会の先生は、どんな偉人や哲学者たちの名言でも、自分でしっかり考え、自分の意見(言葉)を持つことの大切さを教えてくださったのかもしれませんね。すごいなぁ!ノートの右側の白紙部分が眩しく輝いて浮かびました!勝手な想像ですみません。

    武枝)まったくその通りです。同じ言葉を聞いても「なんか違う」とこだわる側にいた子供にとって、倫理社会の先生が与えてくださったレッスンは、「なんか違う」から「この点がこう違う」と、具体的に言葉で表す方向に導いてもらえたという実感があります。「ノートの右側の白紙部分が眩しく輝いて浮かびました!」と言って頂いて、嬉しいわ~乏しいボキャブラリーを引っ張り出して、哲人の名言に対して異論を書いてもいたんだろうなあと思うと、笑えます。

    成田)笑うどころか拍手喝采です!偉人の言葉には感動も学びもたくさんありますが、それは誰にでも共通するたった一つの正解ではなく、心柔らかな年頃にたくさんの言葉に出会い、自分で考える経験こそが大切なのではないでしょうか。

    私が命に関わる病気になった時、多くの人がいろんな言葉をかけて下さいました。私の”命の真ん中に届いた言葉”については、これまでも、この対談の中でたくさん紹介してきました。主治医の言葉、仕事先の担当部長の言葉、友人の愛ある言葉に一条の光を見ました。

    一方で、あまり嬉しくない言葉があったのも事実です。ある日突然、大病を打ち明けられたら、なんて言っていいかわからないものですよね。受け止め方は人それぞれなので、あくまで私の感覚にすぎませんが…、もう少し言葉について振り返ってみたいと思います。

    ご承知のように、私は、自分の病気については、両親にさえ打ち明けず、仕事などで迷惑をおかけする方やごく身近な人にだけ伝えました。なるべく明るくさらりと伝えるのですが、多くの方が言葉に詰まられました。私が一番困ったのは泣かれることでした。これは本当に困ります。それって…まるで永遠の別れのようではないですか(笑)「大丈夫です!必ず戻ってきますから」なんて、逆に私が慰めたりして、後で重い気持ちになったものです。

    他には、「何も考えず、今は治療に専念してね」も、言ってしまいがちですよね。私はこれも、少し寂しい気持ちになりました。もちろん専念するから入院するんですよ!意味がわかりませんでした。「あなたがいなくても大丈夫!」と言われているようにも感じました。私は、人から必要とされることがエネルギーになる人間ですから。私をよく知る人なら使わない言葉でしょうね。

    こんな言葉もありました。「無理しないで、泣きたくなったら電話してきてね!」う〜ん、無理なんかしないし、泣きたくなると決めつけないで〜!もしも本当に泣きたくなったら、私はきっと一人で泣くでしょう。それが成田万寿美ですから。

    さらに戸惑ったのは、両手を握りしめ「私のパワーを分けてあげる!」って。え〜、いらないから〜!思わず体を引いてしまいました(笑)

    こんな私は、かなりへそ曲がりでしょうか?皆さん、言葉が思いつかず、精一杯の気持ちを伝えようとして下さっているのはわかりますが、正直言うと、私はあまり嬉しくありませんでした。がんになったらこんな気持ちに違いない。こう励ますべきだろうと決めつける。当の本人は、泣く暇などなく、必ず戻ってくると思って準備をしているのにね。

    一方で、嬉しかった言葉は、「成田さんの底力を信じていますよ」「オファーを入れておきます。来年も一緒に仕事しましょう」「姉さん、また飲もう」「成田さんは病気ではありません。心はとびっきり健康ですから」「いつもそばにいるよ!」「成田さん、大好き!」「愛してるよ!」など。曇りのない笑顔と私を信じて下さる真っ直ぐな言葉でした。その言葉に泣きそうになったことはありましたけれど、心から嬉しく心強く思えました。「きっと、またこの人と元気で会おう!」って。
    言葉は本当に大切です。短くても魂に触れる言葉があることを実感しました。

    先日、私が主宰する「笑声(えごえ)会」の望年パーティーで、こんな挨拶をしました。
    「…私は、明日死んでも悔いのない生き方をしたいと思っています。だから一つだけ皆さんにお願いしたいことがあります。私が死んでも、お”悔やみ”申し上げますだけは言わないでね。そんな常套句は私には必要ありません。それより、よく生きた!また会おう!また飲もう!と言って笑顔で送ってね。」私は至極真面目な本音を明るく笑いながらスピーチしました。みんなが笑ってくれたことが嬉しかったです。

    武枝)素晴らしい!!その3つのフレーズに、成田さんの人生、生き方、価値観が凝縮されています。

    短くても魂に触れる言葉と、饒舌でも美辞麗句であっても空々しい言葉。その境界線はどこにあるのでしょうね。

    先日、モスクワ生まれで西に亡命したアファナシエフというピアニストのドキュメント「ハイビジョン特集~漂泊のピアニスト・アファナシエフ「もののあはれ」を弾く~」のテレビ再放送があって、それは、彼の深遠な演奏と、彼が日本の「もののあはれ」に惹かれていることとの関係に迫るという内容だったのですが、その中の、後進に指導する場面で印象的なアドバイスがありました。「演奏の時に体や手を大きく動かして、その曲を表現したつもりにならないで!」と。

    その演奏が魂に触れるかどうか、その言葉が魂に触れるかどうか、の問いに共通するキーワードかもしれません。

  • 5-2 祈りの力

    成田)すごい偶然がありました!「5-1あきらめない心」の末尾に、蘇生エネルギーのイメージを、「こんこんと湧き出る深い青の美しい泉」と表現しました。そのやり取りを武枝さんに返信したすぐ後に、沖縄に移住されたリクルート時代の上司が、私の寛解祝いにと素敵な贈り物を持って来てくださいました。なんと!それは、深く美しい青色の大皿だったんです。

    実は、私は子供の頃から「青色」が大好きでした。最初は父の影響だったかもしれません。「万寿美には青が似合う」と言って、赤やピンクの可愛い色の服は着せてもらえませんでした。でも、いつしか自分でも「青」がしっくり馴染むようになり、気がつけばインテリアやアクセサリーにも、無意識に青を選ぶことが多くなっていました。親の刷り込みって怖いですね(笑)

    ただ、「青」には数え切れないほどの色あいがあり、彩度、明度によって変化することがわかってくると、ますます魅了されていきました。寛解のお祝いにと頂いた大皿の”青”は、そんな私の心を映し出すように様々な青の世界を見せてくれます。大地からこんこんと湧き出す泉のように澄んだ水色。銀河で輝く地球のように鮮やかな瑠璃色。深く静かな海の底のような紺碧。夜明け前の宇宙(そら)のような群青。
    一枚のお皿から壮大な生命の鼓動が伝わって来ます。「夜明けの来ない夜はないさ」という、松田聖子さんの歌「瑠璃色の地球」の一節を思い出しました。さらに、その大皿を手に取ると、ずっしりした重みから、作者の手の温もりと優しさが伝わってきて涙が溢れました。お二人の想いとともに沖縄から我が家に来てくれたその大皿に、「青の涙」というタイトルを付けたいと思います。

    この大皿の作者は、ニュージーランド生まれで沖縄在住の陶芸家ポール・ロリマーさんです。沖縄に移住された元上司とお二人で、私の写真を見ながら選んでくださったそうです。私のことが見えているのかしら!と思ってしまいました。今はベッドサイドに置いて、毎日パワーをいただいてます。

    ところで、「元上司」のことは、今後「Hさん」と書かせて頂きます。リクルートという会社は、昔から「社長」「部長」「課長」などと呼ぶ習慣がなく、誰もが名前で呼び合っていました。もちろん部下に対しても「成田さん」でした。「くん」や「ちゃん」付けで呼んだり、もちろん呼び捨てにされた記憶もありません。こんなところも、当時としては稀有な企業だったでしょうね。

    さて、そのHさんは、私をリクルート(当時の「株式会社日本リクルートセンター」)に採用してくくださった恩人です。40年ほど昔の話になりますが、その瞬間のことを今も鮮明なカラー映像で思い出せるほど、私にとっては人生を左右する衝撃的な出会いでした。人生はどんな人に出会うかで大きく変わるのかもしれませんね。

    武枝)「青の涙」!いいですねえ。

    成田さんをリクルートに採用して下さったHさんと、成田さんとは一面識もない陶芸家の方が膝を突き合わせて写真を眺め、どんな会話を交わしながら「青の大皿」を選ばれたのでしょうね。

    「成田さんは、何がしたいのかわからなくて、リクルートを受けたのですがね、やがてやりたいことを見つけて巣立っていきました」というHさんの説明を黙って聞いていたポールさんから、「この方から、深~い青色の石”ラピスラズリ”の輝きを感じます」なあ~んて言葉が飛び出して、じゃあ、寛解のお祝いは「青の大皿」ということに。そして、ぽつり、「成田さんにはね、もっともっと生きていてもらわなくちゃあ」とHさんがおっしゃる……などと、私は勝手に想像して楽しんでいます。

    ラピスラズリって、調べてみると、世界でパワーを最初に認識された石で、「最強の聖石」とされているそうですが、まさに、その「青の大皿」には、Hさんの深い想いと、作家さんの一念の凝結されたエネルギーが詰まっていることでしょう。

    人生での出会いって、いつものことながら不思議ですよね。ポールさんが成田さんの写真を見ただけで本質を捉えられるなんて、これは、驚きでもあり、ある意味、必然のようにも思えます。それを考えると、まだ出会っていない人で、この先、自分にとって重要な存在となる人と、実はすでに繋がっていて、いつか出会うのではないかという予感があります。それをイメージするだけでもワクワクしてきます。

    成田)相変わらずの武枝さんの想像力に大ウケしました(笑)ホント!どんな会話をしながら選んで下さったのかしら。私のいないところで私に心を寄せながら話し合ってくださっている人がいるなんて!その様子を想像するだけで暖かなエネルギーが満ちてきます。

    それにしても、いくら想像力豊かな武枝さんとはいえ、どうしてHさんと私の昔の会話をご存知なんだろう?と不思議に思っていたのですが(笑)そういえばfacebookに、青の大皿の写真とHさんと出会った時のエピソードを投稿していましたね!

    武枝)ポリポリ(^^ゞ
    豊かな想像力でもなんでもなくて、成田さんからの情報をそのまま使っただけのことでした~
    成田)武枝さんとは、何度も、同時に同じことを感じる経験をしていますし、電話やSNSメッセージでもやりとりしているので、今話していることが、想像の世界なのか、どこかで話したことなのか、私も時々わからなくなります。でも、実はそんなことはどうでも良くて、想像も現実も含めて五感に感じるやりとりの全てが一つに溶け合ってることが心地良いのですよね(笑)

    改めて、Hさんのことを少しご紹介させて下さい。その昔、リクルートに入社したい明確な理由も目標もないまま、直感に導かれれるように会社訪問をしました。その時ご対応下さったのが、当時人事担当課長だったHさんでした。包み込むような優しいお声と話し方で、ついつい進路に悩んでいることを正直に話す私の目を真っ直ぐに見つめ、言葉を遮ることなく受け止めて下さいました。そして、こうおっしゃいました。
    「成田さん、人生はいつからでもやり直すことが出来ます。
    勉強するにもお金が必要ですから、やりたいことが見つかるまでリクルートで働けばいいじゃないですか!うちは夢のある人が欲しいんですよ。一生ここにいますというような人は採用していません」って。
    当時から一般的な価値観で自分を測られることや、常識の枠にはめられることに抵抗があった私は、このような企業が存在することに驚くと共に感動しました。入社してみれば、上下に関係なく誰もが言いたいことを言い合い、やりたい事を提案し、皆さんイキイキと自分らしく働かれていて、”組織にいながら自分の人生を生きている人達”に見えました。まさに今でいうダイバーシティ(多様性)が実現されていて、年齢、性別、学歴、国籍、宗教、価値観など、全てにおいて個人が尊重され、お互いの強みを生かしてお仕事をされていました。

    武枝)ダイバーシティ(多様性)が実現されることはあくまで理想形であって、実際にそこまで徹底できている企業があるなんて、にわかに信じがたかったのですが、成田さんは、それぞれの社員が、思う存分、自分の力を発揮できていることを身をもって知っているわけですからね。

    人事担当課長だったHさんの言葉「成田さん、人生はいつからでもやり直すことが出来ます。勉強するにもお金が必要ですから、やりたいことが見つかるまでリクルートで働けばいいじゃないですか!うちは夢のある人が欲しいんですよ。一生ここにいますというような人は採用していません」が、社風を十分に物語っていますね。

    成田)そんな素晴らしい企業なのに、私はたった3年で退職し、テレビキャスターへの道を進むことになりましたけれど、Hさんとの出会いとリクルートでの経験は、その後の私の生き方・働き方に大きな影響を与えたと思います。それは、「自分の気持ちに正直であること」「自分に誇りを持つこと」「答えは自分の中にあること」。そんな軸を持つことが出来たのだと思います。

    Hさんも、武枝さんも、私にとって必然の出会いだったからこそ、人生の大切な節目でまた再会したのだと思っています。いえ、再会したというより、会っていない時間もず〜と繋がっていたのだと思います。これは、偶然ではなく、”何者かのシナリオ”だと思わずにいられません。この言葉なきシナリオは歳を重ねなければ見えないものですね。それだけでも、生きていることの意味と価値を感じます。

    武枝)確かに、成田さんの言葉通り、”会っていない時間もず〜っと繋がっていた”と実感しています。そして、どんな時も成田さんの軸はブレないだろうという確信がありましたが、その資質はHさんとの出会いとリクルートでの経験によって、より揺るぎないものになったのですね。

    成田)軸を持ったと言っても、当時はまだ自分の在り方がぼんやり見えただけでしたけれどね。でも、そのお陰で良きも悪しきも、常識や人の価値観より自分の心の声に従おうという気持ちだけは強くなった気がします。当然、前例のない航海は波も風も強くて、順風満帆とはいきませんでしたけれどね(笑)

    武枝)「前例のない航海」は成田さんらしくて痛快でしたが、ただ心配だったのは、諺では「便りのないのは良い便り」と言われるけれど、成田さんの場合は逆で、連絡が途絶えた時ほど大変な時期なのではないかということでした。まさか、大病と闘っていたなんて……

    成田)はい!またまた、何者かが私の軸を試されたみたいですね。魂の修行のために与えられたシナリオのようにも思えてきます。

    武枝)そして、20数年ぶりに会ったのですが、ず~っと繋がっていたという想いがあるから、私も空白の時間を全く感じなかった!しかも、このやり取りを始めてから、二人が同じ時刻に、お互い同じことを想っていたということが頻発しているのよね。これも偶然とは思えません。”魂の回線”というものがもしあるのだとしたら、その道筋で繋がっているのではないかと。

    そして、”何者かのシナリオ”を感じるようになっているという成田さん!《この言葉なきシナリオは歳を重ねなければ見えないものですね。それだけでも、生きていることの意味と価値を感じます。》という成田さん!その言葉を聞いて、私はちょっと壮大すぎるかもしれない想像を膨らませています。成田さんはその”何者か”とも魂の回線が繋がってしまったのではないか!と。

    成田)魂の回線とは!!なんと言う想像力でしょう!自分で「何者かと回線が繋がった」と言うのは、かなり厚かまく思いますが、人間には誰しも、そんな瞬間があるのかもしれませんね。

    武枝)言葉なきシナリオはもちろん歳を重ねなければ見えないものではあるかもしれませんが、たぶん、それだけではない、成田さんが大事にしてきた何かの力があるような気がします。更にやり取りを進めていくうちに、その何かが浮かび上がってくるかもしれませんね。

    成田)「再発がんが消える!」という奇跡を起こしたものはなんだったかを最近よく考えます。それは一つではなく、医療の進歩、主治医との信頼関係、入院生活をサポートしてくださった人達、ユーモアや陽気な気持ち、夢、諦めない心、自分の細胞たちの頑張りなど。これまで「キセキの対談」に書いてきた色んな要素が絡み合ったと思いますが、もう一つ、「祈りの力」も大きかったのではないかと思っています。それは、自分一人の祈りではなく、多くの人の愛ある祈りがあったことを感じずにはいられません。

    これまで誰とどんな出会いをしてきたかを思い出すとき、愛を持って祈ってくださった方々の、目に見えない力がいかに大きいかを感じています。改めて素晴らしい出会いに心から感謝しています。

    一方で、復活後、ご縁のなくなる人もありましたけれど、以前ほどそのことに心煩わされることは少なくなりました。それも、必然のシナリオなのでしょうか。ならば去る者追わずといきましょう。

    武枝さん。私は無宗教ですが、私が感じた「祈りの力」についてもう少しやりとりさせて下さい。

    武枝)「祈りの力」かぁ~!

    更にやり取りを進めていくうちに、浮かび上がってくるかもと、つい先ほど書いたばかりなのに、すぐに立ち上がってきましたね。

    成田)そうそう!そこがこの「キセキの対談」ならではだと思っています。読者の皆さまには、そこを感じながらお読みいただけると嬉しいですね。記事タイトルも後からつけているくらいで、構成や想定問答は一つもありません。ほら!また予定していた「祈り」の話から少し外れていますが(笑)武枝さんのおっしゃる「やりとりを進めていくうちに、浮かび上がってくる」ものにこそ真実がありますから、このまま続けさせてくださいね。

    私は、「やりとりを進めていくうちに、浮かび上がってくる」ような対話がインタビュアーの究極の在り方だと思っています。決めた質問をするだけなら、答えも想像の範囲を出ないでしょう!私も若かりし頃、自分の語彙不足や質問の稚拙さに悩んだことがありました。でも、私は「上手な話し手より、最高の聴き手になる」と言う目標を持っていたので、ある時気がついたんです。若い私が一流の相手と対等に向き合えないのは当然。背伸びするのでも、へりくだるのでもなく、等身大で向き合えばいいのだと…。

    聴き手がありのままの自分の言葉で質問すれば、相手も深いところにしまいこんでいたものが浮かびあがってくるのではないでしょうか。そこに共鳴が起こり、波長が合ってくれば、年齢や肩書きを超えた「生きた対話」が生まれるのだと思います。私はこういうインタビューが好きです。だから、武枝さんとの言葉のやりとりで、私の中の何かが「浮かび上がってくる」のは至極当然のことです。

    さて、浮かび上がってきたことが長くなりましたが、実は私は、これこそが、「祈り」ではないかと..書きながら、今、思いました!

    武枝)成田さんの心の声が言葉になっているから、琴線に触れて、響き合って、次のメロディーに導かれる、な~んちゃって!

    それにしても、やり取りの中で、深いところにしまい込んでいたものが浮かび上がり、それによって「祈り」の”新解釈”が導き出されたなんて……震えます。

    成田)昨年、武枝さんとのこのやりとりの最中に「がんが再発」しましたよね。でも、ここで魂レベルの対話をしていたから、私は自分の在り方にブレずにいられたと思います。「自分の気持ちに正直であること」「自分に誇りを持つこと」「答えは自分の中にあること」。

    そして、武枝さんと、たった今をリアルに共有し共鳴し合えたことは、さらに大きな生きる力になりました。

    手を合わせて願いごとをするだけが「祈り」ではないと思います。「苦しい時の神頼み」的なものではなく、現実を受け入れつつも、自分の内なる声を信じる気持ちが祈りに通じるのではないかしら。そして同じような気持ちで私を信じてくださった皆さまの深い愛もまた、無意識の「祈り」となって私の生命の真ん中と繋がっていったように思えるんです。

    なんだか精神論ぽくなりましたが、病気と向き合う時には「心の在り方」はとても大切だと思います。だからこそ、病と闘っている者にとって、どんな言葉が心に効くのか、いのちの真ん中に届くのか。武枝さんと対話を続けたいと思います。

    武枝)今まで、「祈り」について、 これほどまでに心を突き動かす言葉で説いた辞書も人物も、私は知りません。

  • 5-1 あきらめない心

    成田)武枝さん、いのち輝く素敵な句を3つも!ありがとうございました。胸の奥深くからこみ上げてくるような感情の波と、清々しい優しさに満たされ、何度も声に出して味わいました。愛ある言葉は力がありますね。

    細胞たちにシャンパンシャワーを浴びせたあの夏の日から7ヶ月が過ぎましたね。これを書いている今は2019年3月です。初めて悪性リンパ腫の告知を受けた2015年9月から3年半。その前の、なかなかがん細胞の発見に至らず苦しんだ日も含めると、長い長い道のりでした。やっとがん細胞が見つかり、3クールの抗がん剤と50日に及ぶ副鼻腔と上顎への放射線照射を受け退院したものの、2年ほどで同じ場所に再発しました。

    「再発した場合、もう骨髄移植しかない」と言われた日から、自分を見つめ直す旅が始まりました。そして、とうとう2018年の夏、「全てのがん細胞が消える!」という奇跡が起きたのです。私は今、何もなかったのようにしたい仕事をし、念願だった日本語教師としての資格に必要な420単位を履修することができ、その間、京都で武枝さんとお会いする機会もありましたね。でもそれは、私たちを出会わせてくださったテレビ番組の大プロデューサーを偲ぶ会でした。愉快で豪快な方でしたから、集まった人達も、思い出話しに花を咲かせてみんな笑顔でしたね。会場に飾られた遺影から、「こら〜!幸子〜、万寿美〜、また俺を見送って、2人で飲んでるな〜!」とよく響く声が聞こえてきそうでした。そう!お見通し通り、偲ぶ会の後も2人で飲みましたね。テレビの良き時代に私たちを出会わせて下さったことに心からお礼を申し上げてお別れしました。

    さらに、12月には父を天国に見送りました。享年91歳でした。父の死については、とても心静かに受け止めました。「人は誰でも死ぬのだ!死に向かって生きているのだ」ということを自分ごととして体験したからかもしれません。晩年、父の記憶が壊れていくことに老いることの残酷さは見ましたが、91歳まで生き抜いてくれたその人生に敬意と感謝しかありませんでした。荼毘にふすときには、子供の頃のように「行ってらっしゃい!」と声をかけました。何も親孝行らしいことはできませんでしたが、私が先に逝くことなく、父を見送らせてくれたことに感謝しました。そんなこんなで、人生は、良きも悪しきも色々ありつつ前に進んでいます。

    武枝)怒涛のような日々も、改めて振り返ってみれば感慨無量ですね。

    成田)私の命は続きましたが、一方でお世話になった人達とのお別れも多くなりました。その場に立ち会ってみると、生き方が別れ方にもあらわれるような気もして、自分ならどんな風に旅立ちたいかなぁと少し想像しました。しみじみと2018年が暮れていきました。

    武枝)確かに、生き方が別れ方にもあらわれますね。ある意味、怖いような……

    成田)さて、私自身の「今」はというと、あの夢のような奇跡が起きた日から、すでに2回の全身CT検査を受けていますが、体のどこにも悪いものは見つかっていません。再発時、悪しき細胞が点在していると言われた副鼻腔も、「怪しき影は一つもありません。今までで1番綺麗です!」と耳鼻科のI先生に太鼓判を押していただきました。ただ、ドクターとしては「がん細胞が消えた」とは思っていらっしゃらないようです。医学的には、がんに完治はなく、「今は抑えられているだけ」ということのようです。でも、私はどちらでもいいです。「今、何もないという事実」だけで幸せです。

    この終楽章では、ここに来て、今思うこと、感じていること、知ったこと、自分自身のこと、など。改めて武枝さんと話したいと思います。大前提としては、タイトル通り、「生(いのち)を見つめて」です。武枝さんとやり取りできたことの奇跡と、何者かの導きに感謝して、楽譜のない終楽章を、二人の言葉で奏でてみたいと思います。もうしばらくお付き合いくださいね。どうぞよろしくお願いいたします。 

    武枝)成田さんの 《医学的には、がんに完治はなく、「今は抑えられているだけ」ということのようです。でも、私はどちらでもいいです。「今、何もないという事実」だけで幸せです》の心境が素敵です。

    どんな状況にあっても、今の生(いのち)があることにまず感謝できる!自分の人生が幸せであると思えるかどうかの分岐点はそこらあたりに潜んでいるような気がします。

    そうそう、幸せといって思い出したことがあります。以前、お仕事を通じて親しくさせて頂いたことのある京都大学名誉教授の新宮秀夫先生が幸せ感を家に例えられた「幸福の四階建て論」です。先生の元々のご専門は金属加工学ですが、その延長線上でエネルギー科学も研究され,、地球のエネルギーや環境問題に取り組むうちに、それらを解決するには、まず人間の幸福の在り方を問うべきだろうと考えていて思い付いたっておっしゃってました。

    一階建ての家の場合は、富や名声、恋愛、そしてスポーツをしたり、食事をしたり……本能に近い直接的な快楽を得ることに幸せを感じる在り方。快楽を持続させるための努力をしたり工夫をする”日々の営み”の方により幸せを感じるのは二階建て。降りかかる苦しみや悲しみを克服することによって獲得しようとする達成感の伴う幸せ感は三階建て。そして、克服できない苦しみの中にも幸せを見い出そうとするのが四階建て。

    詳しくは、先生のご著書「幸福ということ―ーエネルギー社会工学の視点から」(NHKブックス)にありますが、「人間の幸福は快楽や満足感だけにあるのではなく、苦しみや悲しみの中にもある」と、エネルギーとの関係性の中で編み出された幸福論がとても面白く、先生のお話を伺いながら拍手喝采をしていました。

    成田)なるほど!家に例えるとイメージしやすいですね。腑に落ちます。自分の知っている言葉に置き換えて恐縮ですが、新宮先生のおっしゃる「富や名声、恋愛、そしてスポーツをしたり、食事をしたり……本能に近い直接的な快楽」は、コーチングでいう「ニーズ」に近いのかなぁと思いました。コーチングでは、個々の「ニーズ」と「価値」の違いを扱うことがよくあります。「ニーズ」は、文字通り「人が欲しているもの」ですが、それは、手にしても手にしても満たされることはなく、失う不安から「もっと頂戴!もっと頂戴!」となる。そして、人はこの快楽を持続させようと努力や工夫をする。もちろんそれは素晴らしいことですし、多くの人は、そのことが意味あることだと刷り込まれてきたのかもしれません。

    それが、一斉に教育する義務教育の在り方ではなかったかしら。そのことを受け入れられる子供とそうでない子がいる。私の場合は後者でしたけどね(笑)。大人や社会のニーズに合わせるために走り続けることが辛い子供(大人)もいます。それは時にストレスと戦うことにもなる。それでも降りかかる困難を乗り越えれば、達成感という大きな満足を得られることを知ることもある。私の勝手な解釈ですが、これが、家に例えると2階3階を建てることなのでしょうか。

    でも、4階だけはちょっとエネルギーレベルが違う感じがしますね。「こう頑張れば、こうなれる」というものではなく、「克服できない苦しみの中にも幸せを見い出そうとする」なんて!成功モデルがないのですから。それでも、4階を建てなければ、その家は根こそぎ倒れてしまうかもしれないことはわかっている。4階はもはや「ニーズ」レベルの努力ではどうにもなりません。武枝さんに教えていただいた新宮先生の言葉、「人間の幸福は快楽や満足感だけにあるのではなく、苦しみや悲しみの中にもある」。を読んで、私が闘病中に味わった幸福感と重なる気がします。

    私は命と向き合った闘病中にこれまで味わったことのない幸福感が共存することを知りました。それは、ニーズを全て手放し、普遍の「存在価値」に触れたような壮大な幸福感でした。でも、病気を克服した今の私は、また生きるためのニーズに苦しめられていますけどね(笑)。それでも、あの幸福感を思い出し、できるだけ、自分の「価値観」に基づいた生き方をして行きたいと思っています。それが自分を大切にすることであり、細胞の喜ぶ生き方の一つなのではないでしょうか。家でいえば、土台(基礎)がしっかりするということでしょうか。

    武枝)私の推察するに、新宮先生がおっしゃりたかったのは、四階建てだから上等の幸せという訳ではなく、高い階になるほど建てるのに本人のエネルギーを大いに費やさなければいけない、けれども、その代わり、下の階では見ることのできなかった風景(感じることのできなかった幸せ)を味わえるよ、って。だから、地球のエネルギー資源を消費することで得る幸せばかりを追い求めずに、個人個人が体内に持ちあわせているエネルギーを発動して、それぞれにお似合いの幸せを掴みとってみませんか、と。

    新宮先生の伝で言えば、成田さんは「三階建ての家」を闘病中に建てましたよね。私の場合、このやり取りを通じて、三階建ての世界にお邪魔させてもらえているという感懐です。

    成田)武枝さん、私は勝手に新宮先生のお話に自分を重ねて、「地球のエネルギー資源を消費することで得る幸せばかりを追い求めずに、個人個人が体内に持ちあわせているエネルギーを発動して、それぞれにお似合いの幸せを掴みとってみませんか」を、4階と受け止めてみると、闘病中に、このエネルギーレベルの幸せに少しばかり触れたように感じられました。4階に住み続けるのはなかなか至難の技かもしれませんけど、自分の細胞たちと会話し、自分を信じることのできた瞬間の幸福感を忘れずに生きていきたいです。

    武枝)そうか~闘病中に、四階建ての幸せをすでに味わっていたんですね!復活宣言をしてからの成田さんの姿勢に、四階建てを築き上げているエネルギーを感じてはいましたが、あの過酷な治療を受けながら、その次元に至っていたんだ~四階建ての幸福感を掴んだら、一階、二階、三階建ての幸せを味わうのは自由自在。だからなんだ!成田さんから、多彩な幸せオーラが溢れんばかりに放たれているのは。

    成田)ひと時でも、私から幸せオーラ!が放たれているように見えたなら、それは、とても嬉しいです。

    武枝)それにつけても、《一階建ての幸せ感は「ニーズ」に近い!》は言い得て妙ですね~

    地球や社会や他人のエネルギーをより多く自分のテリトリーに取り込むことで得ようとする幸せ感は、ともすれば、成田さんのご指摘通り《手にしても手にしても満たされることはなく、失う不安から「もっと頂戴!もっと頂戴!」となる。》新宮先生の危惧されたのはまさにその点だと思うのです。

    そんな壮大な幸福論の話の後に、ほんのささやかな出来事ですが、先日、嬉しいことがありました。

    一昨年に頂いた鉢植えの紫陽花がその年で枯木になってしまったのですが、捨てずに他の植物と同じように水やりを続けていたら、なんと、この4月の初め、枯れた枝から小さな新芽が次々に出てきて、どんどん膨らんでいるのです。昨年も表向きは枯木のままだったのに、おっとどっこい、生きているぞって!人も植物も、しぶといのだ。ホント、捨てずに水やりを続けてよかった~。諦めるなかれ!ですね。つくづく、そう思いました。

    成田)なんと愛おしい紫陽花でしょう!傍目には枯れたように見えていても、紫陽花の細胞達は静かにエネルギーを蓄えて、復活の時を待っていたのですね。武枝さん、毎日水やりをしてくださって、ありがとうございます。紫陽花に代わってお礼を申し上げたい気持ちです。

    そうそう!私も嬉しいことがありました。友人が経営する会社で仕事をされている男性が、ある日突然がんの宣告を受け、大病院で「もう手術はできない!緩和治療しかない」と見放されて、絶望されていたそうです。そんな時に、友人が私たちのこのやりとりを勧めてくれたそうです。すると、何かが伝わったのでしょうか?「諦めずに闘おう!」という気持ちになって下さったそうです。そして、自ら病院探しをされて、とうとう「手術しましょう!」と言ってくださる医師と出会い、お住まいから遠く離れた病院で手術を受けられたそうです。武枝さん、その結果ね、なんと!今はまた職場復帰をされているそうです。その話を友人から聞いて、私は、言葉で言い表せない喜びで体が震えました。一軒の病院の診立てだけで、治療を、命を、諦めなくて本当に良かった。きっと、「諦めない」心が細胞達を頑張らせ、出会いを引き寄せたのではないでしょうか?

    その方は、昔、私が出演していたテレビ番組も見て下さっていたそうですよ。今もこのやりとりを読んでくださっているかしら。もし読んで下さっていたら、この場をお借りして、お祝いを申し上げます。「手術のご成功、おめでとうございます。諦めなくて、本当によかったですね。生きていて下さってありがとうございます。」

    武枝)ウォー!!素晴らしい!震えます。

    このやり取りが、諦めない心を奮い立たせる一助となっていたのだとしたら、こんなに嬉しいことはありません。

    振り返ってみれば、成田さんもずっと諦めなかった!!

    そして、その男性のことを知り、改めて強く思います。諦めない心を奮い立たせたら、「蘇生力」が目を覚ますのだ!と。そのパワーが、三階、やがては四階まで建ててしまうのではないか、って。

    成田)諦めない心とは、自分を信じる心でしょうか。そこから目に見えない蘇生のエネルギーがこんこんと溢れ出してくるのかもしれませんね。深い青の美しい泉をイメージしています。枯らさないようにしなくちゃ(笑)

  • 4-7 細胞たちが踊ってる!

    成田)現在のがん治療は、主に毒を以て毒を制する方法なのですが、それは、悪い細胞だけを攻撃するのではなく、良い細胞も一緒に破壊してしまうほどの過酷な治療なのです。あの頃の私は、「良い細胞達まで殺すなんてできない」と本気で思っていました。不思議な感覚なのですが、体の中から、「今闘っているから!もうちょっと待って」と言う声が聞こえてくるような気がしました。その声がどこから来るのか分かりませんが、なんとも愛おしくて、悲しくて、胸が締め付けられるような感覚でした。懸命に頑張っている細胞達まで、一緒に殺してしまうなんて、とてもできない…。

    武枝)《体の中から、「今闘っているから!もうちょっと待って」と言う声が聞こえてくるような気がしました。》って!
    なんて麗しい感覚なんでしょう!
    それこそ、どんなに苦しい時も目をそらさずに、「生(いのち)を見つめて」、心と体の声に耳を傾けてきた者だけが手に入れることのできる、深~い感覚なのだと思います。

    そして、生(いのち)を支えているすべての細胞たちの頑張りにまで気づき、愛おしむ感性は、過酷な治療によって一度は失った機能を復活させた者に授かる恩恵なのかもしれません。
    自分自身のことをより深く知ろうと心の声に耳を傾け続けてきた成田さんが、骨髄移植を迫られた状況の中で、更に「自覚領域」を押し広げましたね。ここに、成田さんを”細胞たちの声を聞いた直感のパイオニア”と呼ばせて頂くことにします。

    成田)おお〜!武枝さん、なんという表現をされるのでしょう。”細胞たちの声を聞いた直感のパイオニア”だなんて、すご過ぎる言葉を頂き、なんだか気恥ずかしさでいっぱいになり赤面してしまいます。でも、誰かに笑われようと呆れられようと、私はあのとき、大真面目でした。そんな私を、武枝さんもまた大真面目に受け止めてくださって本当に嬉しいです。このやり取りのお陰で私はどんな深刻なときも楽しく笑うことが出来ました。私が笑えば細胞たちも笑っていましたよ。

    そして、自分らしく”今を生きる”ことを決めた私は、検査結果を待たずに、秋以降の仕事を受け、「休学届け」を出していた学校にも復学しました。自分の細胞達の声を信じるなら、治療の準備などせずに、とにかく前に進もうと思ったんです。
    「一旦休学にしているので、今期の単位取得は難しい!」と言われていたのですが、「絶対!1月に卒業する」と決めて、その想いを伝えると、なんと希望するクラスへの復学が叶いました。今思えば少々言葉に気迫がこもっていたかもしれません。何事も諦めなければ想いは伝わりますね。
    この時、骨髄移植という現実を受け入れようと準備していた気持ちと、自分の細胞達の声を信じようとする気持ちがハッキリ入れ替わったように感じました。

    武枝)振り返ってみれば、過酷な治療の後、退院をクリスマスの日と決めて、それが実現したことを含めて、いつも自分らしく今を生きることを優先して前に歩を進めた結果、ことごとく望みを叶えてきましたよね。

    でも今回はちょっと事情が深刻だった。骨髄移植の治療を受けるかどうかで、途方に暮れた時期もありました。そんな中でも、自分の中に潜んでいる可能性を見つけようとする強い想いによって、成田さんは、生(いのち)をつなぐために頑張る細胞たちの声を聞いてしまった!そして、その想いに細胞たちは精一杯応えてくれている、そう感じ取ることもできた!だから、前向きになれたのですよね。

    成田)前向きになろうと意図したわけではなく、そうするように何かに突き動かされていたように思います。

    武枝)「何かに突き動かされていた」かぁ~!自分を超えた”何か”とは何か。これは、今回のやり取りの大きなテーマのひとつですね。

    成田)そして、2018年8月8日。いよいよ検査結果が出る日になりました。この日のことを私は一生忘れないでしょう。ドクターの第一声は、こうでした。「当院で採取した細胞からは何も出ませんでした。今すぐ過酷な治療をすることはお勧めしません。」

    私は、ドクターをまっすぐ見つめ、夢のようです!とだけ言いました。そのあと、しばらく言葉が見つかりませんでした。だってセカンドオピニオンの際には「骨髄移植しかない」とはっきり言い切られていたのですよ。正直なところ、にわかには信じがたいものがありました。ドクターは私の気持ちを察したように、「あの時は再発直後だったのであのように言いましたが、あれから日が経ち、今現在は何も見当たらないのですから、今すぐ過酷な治療をすることはお勧めしません。見守って行きましょう」と。

    武枝さん、1月に再発告知を受け、5月に副鼻腔の怪きところを広範囲に切除する手術をして、その部分を生体検査に出したところ、「副鼻腔にがん細胞が点在しています」と言われたのです。そのがん細胞が、全て消えている?!これまでも「再発したら骨髄移植しかない」と何度も聞いていました。でもそれは完治を目指せるものではない過酷な治療だということから、私はなかなか治療を決断する気持ちになれず、「今を生きる」ことを選択して、念願の引越をし、新しい仕事をお受けし、通っていた学校を卒業することも決めて、治療を延ばし延ばしにしてきました。この結果は、本当に「夢のよう」でした。

    武枝)「夢のよう」、本当に「夢のよう」なことが現実になった歴史的瞬間!衝撃的な事実です。こういうことが起こりうるということを、身をもって証明してしまいましたね。

    成田)まだ事態を受け止めきれないまま病院を出ると、空模様が一変し嵐が吹き荒れていました。タクシーに乗り込んでの帰り道、少しずつ喜びが込み上げてきて、自然に笑みがこぼれました。体の中では細胞達が踊っていました!赤や緑の三角帽を被り、手足を元気よく動かして「やった〜!やった〜」と鼻高々に笑いながら踊っている。「やっぱりこの子達を殺さなくてよかった!」自分の身体にシャンパンかけをして、頑張った細胞達と喜び合いたい気分でした。

    帰宅後、武枝さんと電話でエアー乾杯をしてから、本当にシャンパンを買いに行きました。不思議なことに、嵐は通り過ぎ、陽が射していました。あの雨上がりの澄み切った夏空を、私は忘れることはないでしょう。

    武枝)がん細胞も嵐さえも大人しくさせてしまうなんて、本当に凄いなあ~!!あの時に2人が交わした永久保存版のメールを見直してみたら、12時22分に成田さんから「武枝さんとシャンパンがけをしたい~」とありました。F1レーサーたちが表彰台でするようなシャンパンファイトをイメージしながらのエアー乾杯でしたね。

    成田)2人のグラスの中で美しい泡がキラキラ輝いて弾けていました。あ〜、諦めかけていた秋が来る。美味しいものも食べられる。新しい年を迎えることができる。目の前の霧が晴れたようでした。病気にならなければ味わうことのできなかった感動です。これまでの全てに心から感謝しました。

    武枝)成田さんのその気持ちにシビれます。過酷な治療を行うために費やした時間も、苦しさも悲しさも戸惑いも不安もすべて帳消しにしてまだ余りある感動って、想像しただけでゾクゾクします。

    成田)人生はいつだって希望に向かって進んでいると感じています。悲しみや苦しみや不安の真っ只中にあっても、全ては通過点。いつ霧の向こうから女神様の笑い声が聞こえてくるかわかりません。だから明日を信じて、自分を信じて良い心の状態で過ごすことがとても大事だと確信しました。医学的には「がんは消えたわけではなく、抑えられている状態」のようです。でも、私は何があっても、もう恐れません。
    「覚悟」と「希望」の両輪で、軽やかに人生をハンドリングしていきます。
    今回のことを奇跡というなら、その奇跡を起こし続けてみせましょう。病気は悪いことばかりではありません。私は、病気のお陰で心のひだが増えたように感じています。
    たくさんの素晴らしい出会い、たくさんの愛、たくさんの優しさ、たくさんの心に染みる言葉。たくさんの応援。たくさんの自分と向き合った時間。そして、たくさんの愛おしい細胞たち。
    本当にありがとう。

    続きは次の楽章で!どんな音楽を奏でましょうか。
    武枝さん、ここで一句お願いできませんか。

    武枝)わぁ~成田さんの”心のひだ”のあちらこちらから歓喜の歌声が聞こえてきます。
    ここで一句、ということですが、三句思い浮かんでしまったので、まとめて送ることにします。

    霧晴れて生(いのち)の雫きらめける
    祝祭や八月空の青に酔う
    喝采にシャンパンシャワー遠花火
                                            幸子
  • 4-6 必ず霧は晴れる

    武枝)骨髄移植の治療をようやく決断したというのに、その心を折るようなセカンドオピニオンには、親身に相談に乗って下さっている主治医のO先生も耳鼻科のI先生も途方に暮れておられるようですね。I先生がお勧めになるサードオピニオンを探すとしても当てがあるわけではないし……

    成田)O先生は考え抜いた上で大病院のドクターをご紹介くださったと思うので、申し訳ないような気持ちにもなりました。耳鼻科のI先生はご専門が違うので骨髄移植関連のドクター情報をお持ちではありません。

    でも、この時I先生が面白い表現をされました。「成田さん、これは恋愛とは違いますからね、二股でも三股でもかけていいんですよ!」って(笑)。この言葉は、ともすれば途方にくれそうになる重い空気を和ませて下さいました。ふっと肩の力が抜けたのを覚えています。

    恋愛だって、二股はあまりいただけませんが、思いを寄せる相手の本音が見えない時は、そのグレー部分を追求することに心を奪われ過ぎず、別の素敵な男性との出会いを求めたほうが良い場合もありますよね(笑)

    少し話が逸れますが、以前、武枝さんに「成田さんは情が深い」と言われて驚いたことがありました。だって、私は若い頃から男性にのめり込むようなことはなく、関係を切るときはバッサリ切るタイプで、どちらかというと自分のことをクールで薄情けの女かと思っていましたから…。

    I先生の言葉でそのことを思い出したんです。そうそう!相手の言葉に違和感や戸惑いを感じた時、その言葉の真意を正すことにエネルギーを奪われ過ぎず、他のドクターとも会って話してみれば良いのだと。

    武枝)I先生、さすがに当意即妙ですねえ。ドクターからそんなアドバイスを受けたら、大手を振って二股三股をかけられる!!

    成田)何事も迷い過ぎて決められないのは良くないと思いますが、治療法や医師の説明に違和感があるなら、二股三股は、重要不可欠なプロセスだと断言したいですね。

    私は、希望を捨てることなく、自ら骨髄移植のできる病院を調べ、気になった病院のホームページを隅々まで読み、自分の直感だけを頼りにサードオピニオンを受ける病院を探しました。そして、ある病院の理念にこんな言葉を見つけました。「医療を通して人がその人らしく生き抜くことを支援する」。私は「その人らしく生き抜く」という言葉に心が震えたんです。その瞬間、この病院をサードオピニオン候補に決めました。

    武枝)そうでしたね。あの時、成田さんが候補に挙げた病院を「そこがいいね」とも言い切れず、私は胸をかきむしっていました。窮地に追い込まれながらも、一歩踏み出す構えを崩さない成田さんって、剣術の達人の若武者みたい。

    成田)武枝さん、若武者ではなく、「どこからでもかかって来い!」といった老剣士の心境だったかも(笑)

    武枝)姿は若武者、心境は老剣士!いいですねえ。

    で、成田さんは情が深いという話ですが、なぜかっていうと、成田さんは、相手の琴線に触れることを一番大事にしていて、外面的な条件よりも、その想いを最優先するから。お互いに一点でも強く心が響き合っていれば繋がり続ける、よね。

    成田)はい!ご名答でございます。以前武枝さんと話したことがありますが、私たちって両生類的なところがありますよね(笑)。
    生意気な言い方に聞こえるかもしれませんが、「男性だから何かを求める」というものがないのですよね。一人の「人」としては、自分の中に完成形を求めているから、男性に対して、一般的にいう男らしさの条件(力、経済力、包容力、学歴、社会的地位など)にはあまり興味がなくて、多少性格的にバランスに欠けていても、人として強く尊敬・共鳴する部分が一点あれば、「惚れてしまうやろ〜!」なのです(笑)

    ここがなくなるとバッサリ!なんですね。武枝さんと話していると自分のことが本当によくわかってきます。でも、人は、「あなたは男を見る目がない!」と言いますねけどね。

    武枝)女性にとっての結婚の条件が、三高やら三強やら四低やら三生やらと、時代によって変遷しているらしいけれど、そういう条件にかなうかどうかで男性を見ていないものね。確かに、「私たちって両生類的」。言い得て妙です。だから、企画の仕事などで、女の視点でアイデアを出してくださいって言われると、一瞬戸惑ってしまう……自分のこの考えは女の視点によるものかどうか、と。

    成田)その通り〜〜!!「わたしの視点」でしかない。でも、それは男性が想像する「女の視点」とはほど遠いようで、男性スタッフをがっかりさせましたよね。

    武枝)そうなのよね〜!ところで成田さんは、両先生との話し合いの後の電話で、取り乱すこともなく「とりあえず霧の中に座っていることにする」って言ってたよね。あの言葉を聞いて、私にもし絵心があれば、霧の中で一人静かに目をつむって座っている姿を想像してキャンバスに描きたい、もし私に音楽の心得があり、楽器を弾くことができれば、成田さんの心模様を音符に置き換えてチェロで演奏したいと思いました。そのどちらにも共通している通奏低音があります。必ず霧は晴れるという強い想い。望みは捨てないという揺るぎない姿勢です。

    成田)私は本来、物事をグレーにできない性質ですが、いつの頃からか、あまりに霧が深い時は、一度立ち止まり、力を抜いて、無になることも必要だと思うようになりました。この時は自分の深い呼吸にだけ意識を向けています。あとは静寂です。

    あの時、「とりあえず霧の中に座っていることにする」と私が言ったのですか?まったく記憶がありません!でもまさに、その時の私の”心の声”だったのでしょう。覚えていて下さってありがとうございます。確かに、必ず霧は晴れるというような心境でした。「答えは自分の中にある」はずだからです。

    たぶんサードオピニオンを受けても、これまでと同じ見解だろうことは私にも想像できました。でも、私はサードオピニオンに、別の治療法を求めていたのではなく、納得のいく説明をしてくださるドクターとの出会いを求めていたんです。霧を晴らし、”自分の中の答え”を見つけるために。

    武枝)窮地に陥った時は、ジタバタしないで、霧の中に座っている。霧が晴れるのを待ち、心が落ち着いたら、納得のいく見解を外の世界に求める。最終的に、自分の中に答えを見つける。今までも、成田さんがいろんな困難を切り抜けてきた“三段戦法”
    今回のような最大級の危機的状況でも、日ごろから身に着けている行動設計のスキルを最大限に発揮していますね。

    おそらく、最終的に自分の中に答えを見つけようとする成田さんに、何十兆とも推定されている細胞たちが総動員して何かを導きだしてくれることでしょう。

    成田)そうなんですね!霧の中を歩き回れば道に迷う!こんな時はジッと座っているに限る。まだ霧の中ではありましたけれど、静かにエネルギーを蓄えて、私はとても元気でした。

    ちょうどこの頃、武枝さんから送られてきた、この「キセキの対談」第3楽章の記事タイトルが「覚悟が決まれば楽しめる!」でした。「それが成田さんの特性を表す言葉だから!」って。何度かのやり取りのあと、深夜にようやく決まったこのタイトルは、私に大きな力をくれました。奇しくも翌日は、大病院の検査結果が出る日。どんな結果であれ、しっかり受け止めて次なる決断をしようという覚悟ができました。その夜はぐっすり眠ったような気がします。

    武枝)あの夜は二人とも妙に感動して興奮していましたね。検査結果がどう出るか、不安が極致に達しているはずなのに、なぜか心が弾んでいました。そして、成田さんがその時力強く発した言葉が脳裏に焼き付いています。「せっかく頑張っている私の体の60兆もの細胞を、治療で殺すなんてできない!」って。そのセリフを、成田さんの細胞たちが聞いて喜んでいるだろうなと、私も嬉しくなったのを思い出しました。

  • 4-5 お腹が空く!万歳!

    成田)大病院は、要塞のようにそびえ立ち、私は1人でそこに乗り込む戦士の気分でした。初診受付は手続きも多く、ドクターに会うまで、結構な時間がかかりました。

    そして、ドクターとはセカンドオピニオン以来の再会です。私が持参したデータと共に診察室に入りましたので、私のことはあまり覚えてらっしゃらないようでした。開口一番、こうおっしゃいました。「なぜ、うちの病院にいらしたのですか?」と。
    その経緯はもちろん、私の個人的事情や考え方については主治医のO先生が細やかに紹介状に書いて下さっているはずなのですが…、私は机の上に置かれたままの紹介状とデータを横目に見ながら、これまでの経緯。切除した副鼻腔の組織にがん細胞が点在していたこと。その結果を受けて主治医から骨髄移植の勧めがあったこと。などを自分の言葉で説明しました。

    ドクターはセカンドオピニオンの時と同じ厳しい口調で、「前にも言いましたが、治療は骨髄移植しかありません。」ときっぱりおっしゃってから、骨髄を提供してくれる身内がいるかについて聞かれました。私は「いません。肉親には妹がいますが、頼むつもりはありません。もし移植しかないなら骨髄バンクで探していただけませんか」とお願いしました。
    すると、「その時は移植科にご紹介はしますが、あなたをサポートする家族はいらっしゃいますか?」と続けの質問。さらに、「1人ではとても、この過酷な治療を乗り切れませんよ」とおっしゃいました。。

    私はドクターの言葉の意味を掴みきれず、こう聞き返してしまいました。「先生、もし私に同居する家族がいなければ、治療できないということですか?」と。
    私のその質問に対するお返事はなく、「例えば、治療後も酸素ボンベを手放せない生活になることもありますし、合併症で最悪のことが起こる場合もありますから、サポートはもちろん、ご本人の相当な覚悟が必要です。治療するならお仕事も諦めて下さい。」

    私は、もう動揺することはありませんでしたが、指先が冷たくなるほど心が凍りつき、思考が停止してしまいました。
    ただ…ぼんやりとですが、あまり私の治療に積極的ではないのかもしれないと感じていました。

    ドクターは、その空気を断ち切るように、「まずはうちの病院でもう一度全ての検査をしましょう。その結果を見てみないと、今はなんとも言えません!」と。
    この日はこれで終わりでした。診療時間は10分くらいだったでしょうか。2週間後の7月23日にPET検査、24日に副鼻腔の細胞を採取する検査の予約をして、診察室を後にしました。

    2018年7月9日12時42分に、武枝さんに送ったメッセージの記録がスマートフォンに残っています。「病院の帰りです。何も見えなくなりました。でもお腹空きました。築地市場に寄ってお寿司を食べました!美味しくて幸福。帰宅してからご報告しますね」と。
    何、この文章!?しかもこんな日に築地で高級お寿司?自分で自分の行動に呆れています。でも、ゆっくり頭を整理するためにも、何はともあれ、お腹を満たさなくちゃ妙案も出ない!という心境だったように思います。

    武枝)ええええええええええええええええっ~~~

    と叫びたいところですが、初診の様子を電話で私に報告する時の成田さんは、すでに築地市場で美味しいお寿司を食べて、満腹・幸福感に浸り、生命力を注入してからだったので、もうすっかり平常心!

    これまでに何度も泣き叫びたい目に遭いながらも、そのつど突破口を見つけて克服してきただけに、今回は、「もう動揺することはありませんでした」と。瞬時に回復軌道に入ったのですね。

    かねがね私は、未来予想図を自分で明るく描くのも暗く描くのも変更するのも本人の自由だけれど、個人の未来について他人が立ち入るお節介は、どんな高名な方であろうとご遠慮願いたい、と思っています(ただし、職業的占い師は例外。未来を予想してもらいたい方には必要な存在だから)。

    今回の初診の際のドクターの対応は、想像するに、成田さんに対して特別にということではないのでしょうね。同じように深刻な病状のどの患者さんに対しても、一様の話法なのだと思います。ある意味、情を差し挟まない接し方だけれど、情を差し挟む、挟まないに関係なく、骨髄移植をした際に起こるであろう不安材料を並べ立てた患者の未来予想図を提示するのは控えて頂きたいと、私は言いたい。

    それでなくても八方ふさがりの状況。がん細胞が点在している現実があり、転移する前に骨髄移植に踏み切るべきだと勧められたものの、過酷な治療をしても最悪の事態は否定できないと言われ、移植をすべきというドクターの言葉を受け止められないままに、一縷の望みを抱いて治療を決意して、ようやく歩を進めようとしたのに。

    「あなたをサポートする家族はいらっしゃいますか?」の質問には驚きました。心は凍りつき、思考も停止するでしょう。明かりなし、周りは断崖絶壁、孤立無援の部屋に追い込まれてしまった気分。それでも、成田さんはするりとそこから出てきちゃいましたね。自分のストーリーを悲惨なものに仕上げたくない、ワクワクしたいという思いがいつも勝るから、お腹が空く!万歳!

    成田)武枝さん、痛快です!ありがとうございます。
    「自分のストーリーを悲惨なものに仕上げたくない、ワクワクしたいという思いがいつも勝るから、お腹が空く!万歳!」いいなぁ〜。
    武枝さんの声が聞こえて来そうなこの言葉に、笑いながら胸を張ってしまいました。お腹が空くって素晴らしいことなのだ!体が今を生きている証!そして、お腹が満たされるとエネルギーと幸福感が満ちてくる。私たちは本来、そんな単純な生き物なのです。どんな時でも美味しいものを食べたくなる私は、健康体そのものではないですか。お腹が空く!万歳だ!!

    さて、後日、この日のことを主治医のO先生と耳鼻科のI先生に報告に行き、私が感じた違和感と戸惑いを正直に伝えました。O先生は、診察のあと耳鼻科にもご一緒くださって、3人で今後のことを話し合いました。O先生の、科の垣根を超えたこういう対応が、本当に有難いです。

    O先生は、「移植は他の大学病院などでも出来ますが、ご紹介した先生は成田さんの悪性リンパ腫のご専門なのでお勧めしました。でも気持ちがすすまないなら、お断りになっても構いませんよ」と優しく、しかし力強く言ってくださいました。
    耳鼻科のI先生は、「やはり骨髄移植しかないという見解は同じでしたね。ただ成田さんと先生の相性が合わないのかもしれませんね」とおっしゃいました。
    相性?なのかなぁと考えていると、さらに「医者の対応や言い方について、あまり考えすぎない方がいいですよ!そこはグレーにしておいて、サードオピニオンも考えてはどうですか?」と。

    何事も納得して先に進みたい私にとって、違和感や戸惑いを「グレーにしておく」という選択は、驚きでもあり、ある意味新鮮にも感じました。私にはそういう緩さも必要なのかもしれません。確かにそんなところに立ち止まっている場合ではありません。ドクターの言葉の真意を問いただしても、あまり良いことはないような気もしました。

    私は、大病院での検査結果が出る日までに、サードオピニオンを受ける病院を自分で探してみることにしました。

  • 4-4 スペシャルな独り言

    成田)武枝さんに「それが成田さんですから」と言っていただけるとしたら、「それが」ってなんだろうと考えてしまいました(笑)。私は決して、人並み外れた強い人間ではありませんし、うろたえますし、声を上げて泣くこともあります。でも、どん底で現実を一度しっかり受け止めたら、そのあとの切り替えと立ち直りだけは人並み外れて速いかもしれません(笑)。だから心が落ちている時間の私を知る人は少ない(笑)。

    武枝)全くその通りです。

    今でこそ、心が落ちて、また這い上がってくるプロセスをほぼ同時進行で目の当たりにしているけれど、以前、一緒に仕事をしていた頃は、自力で平常心に戻した後に最悪だった話を伝え聞くわけだから、そこにはもう心が落ちている成田さんの影すらなかった! 

    成田)決して楽観主義ではありませんし、現実逃避もできません。自分に起こっていることを痛いほどに受け止めています。瞬間的には心臓がバクバクしたり、息苦しいほどの緊張感で呼吸が浅くなっています。それでも、その苦しみの正体を、一度全身全霊で感じる時間が、私にはどうしても必要なんです。顔を上げるのはそれからです。

    私は、コーチングでも、よくクライアントの「感情」を扱います。「何を”考えて”いますか?」ではなく、「何を”感じて”いますか?」を。人とロボットの大きな違いは、人には「感情」があるという点ではないでしょうか。それは血液のようにいつも流れていて、無視したり止めたりできないものです。「感情」が「行動」を引き起こすといっても過言ではないでしょう。でも、情報過多の時代にあって、昨今は多くの人が自分の感情に蓋をしたり、データや情報優先で、物事を判断しようとしていないでしょうか?こんな時代だからこそ、どんな感情も恐れずに、血液のようにさらさら流しておくことが必要だと思っています。「感情」は「直感力」と繋がっていますから。

    武枝)感情を血液に例えるととても分かりやすいですね。

    血液が淀んで老廃物が溜まり、血管が詰まって流れなくなった時の状態を想像すれば、感情に蓋をすることがどれだけ空恐ろしい事態を招くかが、よ~く理解できます。

    成田)人は、信頼できる人に、自分の感情について素直に話せると、必ず自分で突破口を見つけ、動き出せると感じています。私は、このやり取りを初めて以降、武枝さんに電話をしては、いつも感情を受け止めてもらっていますね。話しながら、どんどん自分の言葉が変わって行き、最後はいつも二人で笑ってる。感謝でいっぱいです。

    そして、「それが、成田さんですから!」の「それが」とは、感情を切り替えるために自分にかける「スペシャルな独り言」にあるかもしれません。最近はもっぱら「通り過ぎた女神様さえ、振り返らせてみせましょう」ですね。このやり取りの中で生まれた言葉ですが、私が私らしく立ち上がり、美しく微笑むことのできる魔法の言葉です!「自分に効く言葉を持つ」ことの大切さを痛感します。

    武枝)「自分に効く言葉を持つ」って、素晴らしい提言!

    どんなにひどい目にあっても、その人らしく立ち上がり、美しく微笑むことのできる「スペシャルな独り言」。たぶん、その言葉を考える心の余裕を持つことが、立ち直る力や、やがては笑顔を呼び込むのでしょうね。

    このやり取りで、成田さんから感謝の言葉をもらってとても光栄ですが、それはお互いさまで、テニスに例えれば、感情という名のボールでラリーを続けているうちに、今までに持ち合わせていなかった新たな自分の球種(感情)に気づけた。一番不思議なことは、自分が受けていない治療の痛みや苦しみを自分の感情の一部に取り込めたこと。それは私にとって大きな意味があります。

    成田)丁度この頃、やり取りを公開するサイトのタイトルや見出し、プロフィールをどうするかなど、新しいステージの準備が進んでいましたね。病気に対する不安より、その作業にワクワクしていました。でも、仕事やしたいことを前に進める一方で、「がん細胞が点在していた」という現実を受け止め、3月にセカンドオピニオンを受けた、あの「移植設備のある大病院」で治療することを視野に入れ始めていました。

    主治医のO先生は、「セカンドオピニオンと治療する立場になるのとでは対応も変わると思います。」とおっしゃいました。

    自分で初診の予約を入れ、1ヶ月後の7月9日、私は主治医のO先生の紹介状とI先生に切除していただいた組織の検査結果を手に、再びあの大病院を訪れました。治療を決意しての初診の日です。

    武枝)切除した組織の検査結果を5月20日に聞いた後、どん底に突き落とされながら、よくぞ立ち上がりましたよね。考えてみたら、何度そんな目に遭わなければいけないのでしょう。

    現実を受け止めたら、そのあとの切り替えと立ち直りだけは人並み外れて速い成田さんとはいえ、立ち上がるための「自分に効く言葉を持つ」成田さんとはいえ、今回ばかりは心配しました。それは、骨髄移植をすべきというドクターの言葉を受け止められないままに、治療を決意しなければならない、矛盾した現実に直面してしまったのですから。

    2人で、「選択肢の中に選びたいものが何もない!時間よ、止まれ」って電話をしながら叫び合ったよね。でも、刻々と時間は過ぎて、7月9日を迎えてしまった。

     

  • 4-3 武枝さん、やり取りの先を託します!

    武枝)《その時間を抱きしめたい》って、「生(いのち)を見つめて」きた者だからこその実感ですね。ああ、感動する!
    それにしても、ちょうど降って湧いたような松山での仕事。とても偶然とは思えません。苦渋の末に手術・入院をすることになっているというタイミングで、成田さんが滅多に見せない涙をご存知の美満さん・知恵さんと再会できるなんて!

    成田)振り返れば、私は繊細で豪快な女性達との出会いに恵まれて来ました。男運は少々問題ありですけどね(笑)

    武枝)あらら!

    成田)そうこうして、引っ越しから11日目の4月27日に慌ただしく入院し、5月1日に副鼻腔の内視鏡手術を受けました。
    ドクターに叱られながらも、引っ越しやお受けした仕事をやり遂げたくて、手術を伸ばし伸ばしにしてきました。 でも、私の体は、きっと自分の想いに応えて頑張ってくれると信じていましたから、達成感と爽快感に満たされての入院だったのです。
    一般的にストレスと言われることも、自分にとってワクワクすることなら、エネルギーが高まることを確信しました。「さぁ、私のGWは成田万寿美のバージョンアップ週間だ!」ってね。

    武枝)出ました。得意のスピリット向上ワードですね。

    成田)なるほど!確かにスピリット向上ワードですね!(笑)
    このように引っ越し以降もめまぐるしく様々なことがあり、ここ数ヶ月間、またやりとりが止まっていました。それは、新次元の扉を開ける前に、まず、ここまで書き進めてきたものを発信したくなったからでした。「もし私に何かあったら、このやり取りの先は武枝さんに託したい」という想いも伝えました。武枝さんにもご快諾いただき、私のホームページの管理をしていただいているweb制作のプロであり友人のhibiさん(通称)に協力をお願いしました。3人で打ち合わせを重ね、この素晴らしい新ページ(新たな舞台)が立ち上がりました。hibiさんには今も大きなサポートをしていただき、私たちにとって強力な仲間を得ました。感謝でいっぱいですね。

    武枝)考えてみれば、いざという時に助けて下さる方との出会いがたくさんたくさんありました。前からお付き合いのある方でも、結束力がより揺るぎないものになっていますよね。私はhibiさんとはお目にかかったこともないのに、東京と大阪にいながらにして3人でZOOM通話で打ち合わせをした時も、一声で通じ合ってしまいました。その後もずっと、親身に敏速に対応して、新たな舞台を盛り上げ、底上げして下さっています。本当にありがたく、嬉しい限りです。

    この私たちのやりとりのweb公開を6月20日にスタートさせたのですが、その決心を下したのには、成田さんらしい潔い理由があるのよね。そして、「もし私に何かあったら、このやり取りの先は武枝さんに託したい」という言葉が私に告げられたことにも……
    そう、5月20日の土曜日のお昼過ぎでした。成田さんからの電話を聞いた時の衝撃を忘れることはできません。

    成田)はい!この日は、5月1日に切除した組織の検査結果が出る日でした。休診日だというのに、耳鼻科のI先生も出て来て下さって、結果を踏まえたお話を伺うために病院に向かいました。
    あんなに前向きに頑張ったのだから、やることやりきっての入院だったのだから、「大丈夫!綺麗でした」と言われるに違いない。と思いながらも、それはどこか祈るような気持ちで、今思い返せば少し緊張していたように思います。

    結果は…、広範囲に切り取った副鼻腔の組織から、「がん細胞が点々と見つかりました」というものでした。「一つではなく、点在している!」という言葉が衝撃でした!
    I先生は「CTやMRIなどには映らなくても、細胞レベルには”ある”ということがはっきりしたのだから、内臓などに転移する前に骨髄移植に踏み切るべきです!」とおっしゃいました。それでも私は、その場で決心などつくはずもなく、「少し考えます」と言って診察室を出ました。フラフラしながらロビーを歩いていると、以前お世話になった看護師さんとばったり出会いました。

    私の様子がおかしいことに気がつかれたようで、私に椅子に座るようすすめてから、その膝元に佇んで話を聞いて下さいました。私は、たった今I先生から聞いたことを泣きながら話していました。久しぶりに人前で泣きました。どのくらいの時間がたったでしょう。看護師さんにお礼を言って、フラフラと立ち上がり、救急外来の出入り口から武枝さんにお電話したのでした。電話に出てくださって、本当にありがたかったです。

    武枝)このやりとりをするようになって以降、私の手帳のスケジュール欄に成田さんの通院日も記すようになり、5月20日は検査結果の連絡があればすぐに電話に出られるようにしていました。すると、今まで聞いたことのない呻きにも似た成田さんの声!立ってもいられないほど憔悴しきっているのが手に取るように分かりました。
    あれほど希望を抱いて、わくわくしながら新しい扉を開いた成田さんに、またしても喉元に刃が突きつけられてしまった。私はただただドクターからの話の内容に耳を傾けることしかできませんでした。でも、話しているうちに、どんどんいつも通りの成田さんの声に変化していったのよね。

    3月21日にも、手術日の相談に行ったにもかかわらず、耳鼻科のI先生から手術をするより骨髄移植を勧めると言われた後に電話をもらって、私たちは途方に暮れ、しばらく呆然としていたことがありましたね。でも、結局は笑いで収めたし、翌日、「こんな状況でも食欲のある自分が可笑しいです」のメールが届いたわけで、この時も、同じように盛り返すであろうことは予測できました。それが、成田さんですから。

  • 4-2 大切な時間を抱きしめたい

    武枝)不動産屋さんのお母さんの、またしてもお導きですか~人の助けを当てにしないで、力の限りを尽くす者だけに差し伸べられる手、ですね。すべてが素敵過ぎます。

    「この子が綺麗なのは、心の中にバラを一輪もっているからだ」という一節が、フランスの作家サン=テグジュペリが書いた小説「星の王子様」にあるけれど、成田さんを見て、お母さんはそう直感されたのだと思います。東京の大都会で、女性が不動産屋さんを続けてこられたこと自体、まず驚きで、あらゆることにおいての目利きでいらっしゃるのでしょう。

    そんな方だからこそ、成田さんをひと目で見抜くことができるのよね。それにしても「あなた、ここに住みなさい。私は人を見る目はありますよ。困ったことがあればなんでも言ってね」と、無条件に信頼して部屋を貸して下さるなんて、豪胆ですねえ。病院にも看護助手のハンサム・ウーマンがいらしたけれど、お母さんにふさわしい言葉は何でしょう。“スーパー・モガ”かな!?

    成田)「スーパー・モガ物語」なんて、ドラマになりそうです(笑)

    2018年4月16日、念願の引っ越しを無事に済ませたものの、大型ごみの処理、新居のしつらえ、機器のトラブル、様々な手続きや住所変更などの雑事に追われながら、翌週には松山出張もあり、27日の入院を控えて大忙しでした。

    そうそう、武枝さん、一緒にテレビの仕事をしていた頃、大阪に「まつやま」というカウンターだけの小料理屋さんがあったことを覚えていらっしゃいますか?松山出身の女性、美満さんと知恵さんの二人でやってらして、私が唯一ひとりでも飲めるお店でした。
    当時、女性初の報道キャスターに抜擢されたとはいえ、実力が追いつかず必死の毎日で、夫婦関係も壊れ「幸せにしてあげられなくてごめんなさい」と私が謝って離婚しました。
    「まつやま」だけが、その頃のわたしの癒しの場所で、愛ある手料理をいただきながら、泣かせてもらった日もありました。大阪を離れる日の夜も、荷物を送り出した後、「まつやま」の美味しい料理とお酒で見送ってもらって、スーツケースを手に、一人上りの最終新幹線に乗りました。

    武枝)はい、よ~く覚えています。二人でも何度もお店に寄せてもらいましたね。いつも両手を広げて迎え入れて下さった笑顔が眼に浮かびます。その深い懐に、私たちはいつも遠慮なく飛び込んでいってました。
    成田さんのキャスター時代は、一緒に飲み歩く機会が減って、時折り会った時も、キャスターの今の仕事を辞めることにしたとか、離婚をした経緯などを聞いてはいたものの、辛い話というよりも、次のステップに進む報告事項として受け止めていて、まさか、そんな状態で上京していたとはゆめゆめ知りませんでした。自分に合った活躍の舞台を東京に求めて行ったのは確かなのだろうけれど、いろんな思いが交錯していたのですね。スーツケースを手に一人淋しく上りの最終新幹線に乗っていたなんて……

    成田)武枝さん、一人片道切符を握りしめて深夜の新幹線!と言うと、確かに淋しい姿を想像しますね(笑)。でも、私は覚悟が決まっていましたから、涙も感傷的な気持ちもありませんでした。その夜は新居近くのホテルで眠りにつきました。新しい街で新しい朝を迎えるために…。

    大阪を出ることを決めた理由や経緯については、当時誰にも本心を話しませんでした。多くの人が、成田万寿美は活動の場を求めて東京に行ったと思って下さってたと思いますが、本当のところは。走り続けてきた仕事に対する一種の燃え尽き状態と、次に進むべき道が見えない虚無感から、実績のない街で、何も無い自分と向き合ってみたくなったんです。と言うとカッコ良すぎますが、実際。住まいだけを決めて仕事はまさにゼロからのスタート!40歳になる私にとっては、決して甘い選択ではありませんでした(笑)。先日武枝さんと京都で会ったとき、あの時のことを初めて少し話しましたよね。今はもう笑って話せますけど。

    武枝)そう、20年目にして、初めてその真相を知りました。同じ放送業界に身を置いていたので、成田さんがその時点で東京に行こうと決意した気持ちはよく理解できました。
    当てもなく飛び込んだ東京で、次に進むべき道を見つけ、どんどん成田さんだからこそできる世界を拡げていっている!よくぞここまで、という思いと同時に、今後、どんな新たな花を咲かせていくのか、ホント楽しみです。

    成田)父はよく「万寿美は考え無しだから!」と言っていましたが、ほんと!私って、若い頃から、煮詰まったときは、積み上げて来たものを捨てても「ゼロに戻りたい願望」があったように思います。松山の二人は、私のそんな危うさを愛おしく思って下さっていたのかもしれません。

    武枝)《煮詰まったときは、積み上げて来たものを捨てても「ゼロに戻りたい願望」があった》って、確かに、そのあたりの思い切りの良さはいつも鮮やかというか、ファンタスティックというか。ただ、積み上げて来たものを捨ててゼロに戻っても、その経験はのちのち生かされますよね。成田さんは、本能的にも経験的にも、一旦ゼロにした方が、先々の行動に飛距離が出ることを体得しているんだと思います。

    成田)そうですね!私って、若い頃から、「心の声」に従わざるを得ない体質だったようです。人は、頭で考え過ぎたり、誰かに相談したりすると、だんだん常識的考えに負けて動けなくなるのではないかしら?だから、大事なことは人に話さず自分で決めるしかないと思うのです!今の年齢になってようやく、武枝さんのおっしゃる《積み上げて来たものを捨ててゼロに戻っても、その経験はのちのち生かされますよね》の意味がよく分かります。「若かりし頃の無謀に思える行動も、自分の心の声に従い決断したことは、全てに意味があり繋がっている」のだと確信します。

    武枝)まったく同感です。着地点の見えないことに向かおうとしているのだから、他人には無謀に見えるのは当然だけれど、自分で決断したことだから、たとえうまくいかなくても、人のせいにはしないし、それに、そうやすやすと実現することを求めてはいないのでしょうね。そう言うと、自信があるように誤解もされがちだし、お父さんのおっしゃる「考え無し」に映るのかもしれませんが、出口が見つからなければ、今まで積み上げてきたものをあえて惜しげもなく壊すのは、常に道半ばという感覚だからなのではないかと思うのです。今、思いついたけど、陶芸家で、自分が気に入らないものは苦心して創り上げた作品でも割ってしまうって方がいらしたけれど、その心境や行為と相通じますね。

    成田)壊したくなる!って感じ、すごくよく分かります。そういえば大阪にいた頃、武枝さんと信楽焼の女性陶芸家さんを訪ねたこともありましたね。結局、「まつやま」の美満さんの紹介で、近場の大阪で陶芸を学び始めたんです。指先に意識を集中し、頭の中を空っぽにできるいい時間でした。

    でも、ある時先生が、「成田くん、ろくろばかり回してないで、そろそろ作品展に出品してみたらどうなの!」とおっしゃいました。その時気づきました。私は作品展に自作を出品したい気持ちは全くないと言うこと。ただ指先で土の感触を味わいながら、ろくろを回している”瞬間”が好きだったんです。以前にも書いたかもしれませんが、私には、やはり「将来何になりたいかより、今どう在りたいか」が大事なようです。
    美満さんも、作品展には興味なさそうでしたが、料理人らしく手先がとても器用で、素敵な食器をたくさん作ってらっしゃいました。二人で先生の登窯がある備前に行き、朝まで窯焚きもお手伝いしました。3000度もあると言う登窯の中で、真っ赤に焼ける陶器の美しさを見たときの感動は忘れられません。その様子を目に焼き付けて、陶芸教室をやめました(笑)

    武枝)ハハハハ……常に道半ばとはいえ、自分の向かう方向はこの道ではないと。そこらあたりの見極めは、自分を知っている者ならではの素早さですね。
    そうそう、「まつやま」のお二人は、踏ん張っている人のタガを緩める不思議な雅量をお持ちですよね。

    成田)まさに!不思議な雅量の持ち主ですね。「うちの女のお客の中であんたが一番好き!成田さん、離婚はしてもええけど、子供だけ作っとき。うちが育てたるから」なんて、冗談か本気かわからないことも時々言われていました(笑)。まんざら嘘でもなかったように思いましたよ。

    武枝)へえ~そんないい話があったんだ!現実に想像できる光景ではありますね。

    成田)その数年後、お二人もお店を閉めて故郷松山に戻り、今は終の住処で二人静かに暮らしていらっしゃいます。
    4月の松山での仕事の翌朝、お二人を訪ねてみました。20年ぶり位になるでしょうか。「75才と80才になったよ」と聞いてびっくり!お互いの元気を確かめるように抱き合いました。知恵さんは、早朝だというのに綺麗にメイクをして待っていてくださいました。私のためのお洒落だということが伝わってきて泣けるほど嬉しかったなぁ。美満さんは、早朝から筍ご飯と煮物を作って、滞在時間の少ない私のために、タッパーに入れて持たせて下さいました。

    空港での別れ際、美満さんが大らかに笑いながら、懐かしい松山言葉のイントネーションでこうおっしゃいました。
    「よう来てくれたなぁ。これが最後かもしれんもんなぁ(笑)」
    どんな気持ちでそんなことを言ったのかは分かりませんが、「そんなことはない!」とは、言い切れない私でした…。
    帰京して、お土産の筍料理をいただくと、美満さんの手作りの味が心に沁みすぎて、鼻をすすって泣きながらいただきました。

    思い切って会いに行って良かったです。大切な人、会いたい人には、思い立ったら会いに行こうと思いました。これを最後にはしたくないけど、「最後かもね」というくらいの熱い想いでその時間を抱きしめたいです。

  • 4-1 「自分サイズの部屋」の真実

    成田)武枝さん、2018年4月16日に無事引越しをしました。

    武枝さんが「新しい部屋の扉の先には、“新次元“の成田さんの、どんな舞台が待っているのでしょう」と言ってくださったように、私は希望に溢れて新居の扉を開きました。都心でありながら静かで、窓の下にはいっぱいの緑、春風が木々の葉を揺らす音が心地よく、鳥のさえずりも聞こえます。
    私は片付けも忘れ、ベランダに出て深呼吸をしました。この部屋に巡り合えて本当によかった!って。そこにも色んな人との出会いやの助けがあったことを思い、心から感謝しました。

    武枝)とにかく、よかった~!の一言に尽きます。

    2017年のクリスマス当日、成田さん復活の祝いに駆けつけた時、病気になった時の住まいを変えて、気分を一新したいって聞いて、大病を経験して更に研ぎ澄まされた成田さんにお似合いの空間を私もイメージしながら、2人で夢を膨らませたのよね。

    そして、何と、成田さんが住みたいと思うような物件を、かねてからずっと探して下さってる不動産会社の女性社長がいらした!この方とのご縁は長く、成田さんのことをよ~く理解して、いつも応援して下さっているのよね。

    そして、その結果、都心のど真ん中に、“五感”を震わせる環境を掴むことができた!扉の向こうに、新次元の成田さんにふさわしい舞台がちゃんと設えられた!さ~て、次なる展開が楽しみになってきました。

    成田)今回の引越しの目的は二つありました。まずは、誰がなんと言おうと「したいことをする」「ワクワクすることはする」という自分の心の声に従うこと。もう一つは、前向きな意味なのですが、「自分の身辺整理」を視野に入れていました。
    もし入院することになった時、サポートしてくださる人に対して恥ずかしくないシンプルな部屋にしておく、もし病院から戻って来られたときには、自分が動きやすく掃除しやすい部屋にしておく。そして、もし私に何かあった時は、できるだけ迷惑をかけないよう後片付けのしやすい部屋にしておくこと。
    そこで…読みなおすことのないだろう本、しばらく履いていない靴、必要のない書類など、躊躇なく整理しました。洋服も小さなクローゼットに入る分だけを選びました。ワークスペースと必要最小限のものだけに囲まれた”自分サイズの新居”は快適そのもので、なんだか重石が取れたように体も心も軽くなりました。これまで、随分必要のない物を溜め込んでいんだなぁ〜と実感しましたよ。

    武枝)入院を控えて、成田さんが、軽やかに「その前に引越し引越し!新しい部屋で気分一新して入院致します」って言ってたけど、それは自分を鼓舞する台詞だったのですね。

    ただ、《誰がなんと言おうと「したいことをする」「ワクワクすることはする」という自分の心の声に従うこと》の気持ちの一方で、《前向きな意味なのですが、「自分の身辺整理」を視野に入れていました。》というのは、軽やかにという言葉だけでは到底済まされない“逡巡”の末に到達した境地だということを、今回は同時進行で関わってきただけに、私は思い知っています。

    そして、どんなに落ち込んでも浮かび上がってくる術を必ず見つける成田さんも知っています。やはり、その通りになりました。
    引っ越しも、入院までにという、自分で決めた制約がある中で、仕事をしながら一人でやりきったのよね。私は遠い大阪にいてヤキモキだけしていました。過労とストレスは禁物の体なのに~と、心配で、確か4月3日の深夜に電話をしたのよね。すると、山積みの本を紐で縛るべきかどうか迷った末に、紙袋に詰め込み、ごみ置き場まで何往復もしてようやく処分し終えたところだって、明るい声で言ってたけれど、たぶんへとへとだったはず。

    段取りの良さや決断力、気力には定評があるけれど、さすがに短期間のうちに整理しての引っ越しはそう簡単ではないよね。体力的には限界だったはずなのに、《ワークスペースと必要最小限のものだけに囲まれた自分サイズの新居》にするための準備をきっちり仕上げてしまいました。驚きの一語に尽きます。

    成田)結構ドタバタしてましたよ(笑)その証拠に、唇の下に口唇ヘルペスのようなものができ、引っ越しの日の朝に、近所の皮膚科で塗り薬をもらいましたから。

    武枝)危ない危ない!いつもギリギリになっても音を上げないからね。

    成田)確かに体はヘトヘトのサインを出していましたけれど、それを上回るワクワク感が止まらなかったのも事実です。だって今回の引っ越しは、愛ある人たちのサポートがあって実現したんですもん。やり遂げずにどうするって感じでした。

    16年ほど前に遡りますが、今回の部屋とのご縁に繋がる、忘れなれない女性との出会いがありました。
    当時、フリーランスとはいえ安定収入がなく、東京に知り合いもいなくて、土地勘もない私は、なかなか良い部屋を借りることができませんでした。そんな時、最後の頼みと飛び込んだ、ある街の小さな不動産屋さんの女性会長が、「あなた、ここに住みなさい。私は人を見る目はありますよ。困ったことがあればなんでも言ってね」と、無条件に私を信頼して部屋を貸してくださったのです。当時すでに80歳を過ぎていらしたと思いますが、自ら素敵な部屋にご案内くださいました。この日の感動を私は一生忘れません。あの日の出会いのお陰で、私は今もこの街に住まわせてもらっているのですから。

    その女性は、今回お世話になった不動産会社社長Sさんのお母さまです。今回の引っ越し直前に98歳で亡くなりました。
    娘さんのSさんは私と同い年で、お母さん同様、親しくして頂いてましたので、今、住んでいる物件の内覧に行く道すがら、お母さんの人生について、いろんなお話をしてくださいました…。
    恩人の悲しい知らせに大泣きしていた私も、娘さんの話を聞くうちに、悲しむより素晴らしい生き方に拍手を送りたいと思うことができました。ぜひ、武枝さんにも知って頂きたい素晴らしい女性です。お母さん(と呼ばせていただきます)は、若い頃はモガ(モダンガールのこと)で、相当のお転婆さんだったそうです。人目も気にせず、新しいことに、何でもチャレンジする女性だったそうです。資格を取るのも好きで、趣味の延長で取った宅建が、ご主人亡きあと、役立つことになったそうです。でも、女手一つで育ち盛りの5人の子供を食べさせることは並大抵ではなかったでしょう。

    結婚当初は、アイディアが止まらず、様々な会社を作られたそうですが、お姑さんとご主人に「嫁が働きに出ているのは近所に恥ずかしいから仕事をやめろ!」と言われ、専業主婦として5人の子供を産み育てることに専念された時期もあったとか。
    お洒落が大好きで、亡くなる直前まで、娘さんに髪を染めてもらい、ネイルサロンに行き、亡くなる2週間前には、若い頃から大好きだった銀座にタクシーで出かけ、うなぎを食べたり、洋服を見たり、銀ブラしながら若い綺麗な女性たちを嬉しそうに見つめてらしたそうです。そして、亡くなる2〜3日前まで、現役会長として店先にも1日1回は座ってらっしゃいました。
    「成田さんのことが大好きで、成田さんが帰った後も、ほんとに綺麗よね〜って、何度も言って、嬉しそうにしてたのよ」なんて、娘さんが教えてくださいました。
    最近は、私が伺うとすぐに手を握ってこられて、「成田さん、大好き!ずっとこの街に住んでいてね」って、なかなか手を離そうとされませんでした。その手の温もりが、今も手のひらに残っています。最後は、ご自宅で「ちょっと息が苦しい」と言って眠るように逝かれたそうです。
    とても98歳には見えない若々しくチャーミングな女性でした。人生で泣いたのは二度だけだそうです。ご主人が若くして亡くなった時と、お姑さんの意地悪で仕事ができなくなったとき!(笑)

    それ以外は、楽しい人生だったとおっしゃっていたそうです。
    あっぱれですよね。どうしたら、こんな生き方ができるのでしょう。今は、ただただ心からお礼を申し上げたいです。そして、今回の部屋は、お母さんの導きだと思います。「ここに住みなさい」と。だから私は、迷いなく「この部屋に住もう!」と決めたんです。人生の新しい扉を開くために。