終楽章〜感謝〜

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5-3 よく生きた!また会おう!また飲もう!

成田)私にとっての「祈り」をもう少しわかりやすい言葉にできないかと考えていたら、第4楽章で書いた「スペシャルな独り言」を思い出しました!「常に自分の内側で交わされている”スペシャルな独り言”」が祈りに通じていたのではないかと。

スペシャルとは、苦しみや悲しみからくるニーズ(欲求)ではなく、真実を受け止める穏やかで澄み切った心の状態。過去の悔いや未来への不安ではなく、”たった今”の自分の内なる声との対話。その「スペシャルな独り言」を、心で思うだけではなく声や文字にして外に出すと、自分の目や耳からもう一度インプットされますよね。それが、私にとっての「祈り」になったのではないかしら。

武枝)ますます分かりやすくなりましたねえ。

「祈り」の言葉の成り立ちを調べてみると、「い=神を祀るという意味の斎(い)み」+「のり=神聖な言葉を発するという意味の、宣(の)る、告(の)る」→「斎み宣る(いみのる)」からきているという説があって、それだけに、崇高な境地のように思え、距離感があり過ぎるのよね。それを、誰もが手の届く身近なレベルに、アシストしてもらった感じです。

成田)本来「祈り」という言葉には、そういう成り立ちがあったのですね。そんな崇高な意味も知らず、勝手な捉え方をしていたことを少し恥ずかしく思いながらも、許されるなら、「祈り」を身近なものとし、自由なスタイルで祈りたいなぁと思っている私です(笑)

ただ、「祈り」について、一つだけ、疑問に思うことがあります。それは、「高価な祈祷を受けたり、誰かの祈りを込めたという水や物品を購入する」という祈り方についてです。信仰を持たない私ですが、礼拝や祈りとは、個々人の心の中にあるものだと思っています。人の弱みにつけ込み、精神をコントロールして”お金を要求する人”には惑わされてはいけないと言いたいです。

「遠隔操作」などと言って、有料で誰かのために祈る人が存在するんですよね。大病で亡くなった芸能人の方の中にも、最後はそうした「祈りの力」に頼られたという話を結構聞きました。私は、そうしたものに頼ることは、かえって人間が本来持っている自己治癒力を鈍らせ、依存体質になるのではと思えてなりません。

もし、本当にそのような力を持つ人が存在するとしても、私は、知らない人に自分の体と心を操作されたくはないです!それって、自分の人生を人に預けるようなものではないですか。結果がどうあれ、自分で考え選択する過程にこそ、生きる意味があり、人としての成長や喜びがあるのではないかと言いたいです。

武枝)私も、力を込めてそう言いたい。

誰かに頼りたいという気持ちが勝ってしまうと、人生の大事な局面で、「遠隔操作」的な存在に引っかかる!だから、私は、他人の力は有難く”お借りする”にとどめておくことにしています。

成田)コーチングでは判断を他人に任せることを「他責」といい、コーチは、相手が自分の責任において選択する「自責」で物事を考えられるように対話します。人は自分で決めたことしか、本気にはなれない生き物のようです。自力で「決断した後のパワー」は大きく、自分の言葉で決断を宣言したとたん、別人のようにスッキリとした表情で軽やかに動き出す方も多いです(笑)自分の言葉が人生を動かす力を持っているなら、これこそ「祈り」ではないかしら?ただ、私は、一旦宣言したことも「絶対」ではなく、気が変わっても良いと思っています。あまり深刻にならず、「そうなればいいな〜」とワクワクするような、ゆる〜い祈りがいいと思うんだなぁ。

武枝)ああ、その「ゆる~い祈り」って、いいですねえ。常に修正可能というスタンスですよね。
「自責」と「他責」という話が出たので、ついでに日ごろ気になっている「無責任」話を。
「誰かがそう言ってた」という話を、そのままいかにも本当らしく話す人がいて、その話を聞いた人がまた他の人に「そうらしい」と話して、本当か嘘かわからない話が延々と続いていく状況。あれって「無責任」の数珠つなぎですよね。その延長線上に、《高価な祈祷を受けたり、誰かの祈りを込めたという水や物品を購入する》という事態も発生しているような気がしてなりません。

成田)全く同感です!私は、西洋医学もドクターに対しても、心からの敬意を払っています。昨今の診察が少々データに偏りつつあるようには感じますが、それも医療の進歩の一つでしょう。そして私が出会ってきたドクターの多くは、「患者を救いたい」と言う思いから、懸命に考え、寄り添って下さいました。

入院していた時に、その様子はこの目でしっかり見てきましたから。人としての信頼関係が基盤にあるからこそ、データに基づく医師の話も冷静に受け止める事が出来、自分の思っていることも正直に話すことができました。私が、再発しても骨髄移植に踏み切れず心が揺れていた時、主治医のO先生がこんなことを言ってくださいました。

「成田さん、移植を選択しなくても、民間療法”だけ”に頼ることはお勧めしません。不安があれば、なんでも私に相談してください」と。

そして、以前にも書きましたが、忘れられない言葉がありましたね。「医者はデータで話しているにすぎません。データとして正しいことが、成田さんの生き方にとってベストかどうかは別だよね。何を選択するかは成田さんが決めることです」。このドクターの言葉があの時の私を強くしました。いえ、今も私の支えです。

武枝)本当に、ヒビが入りそうになる不安な心の隙間をコーキングして、更に強化してくださいましたね。ドクターと患者の間で、人生観に関する会話がこれほど真正面から向き合って交わされたってことに、改めて感動します。

成田)私は民間療法には一切頼りませんでしたが、患者は時に、藁にもすがりたくなるかもしれません。そんな気持ちも察して寄り添って下さいました。だからこそ、自分はどのように生きたいのか、何を大切にしたいのか、自責で冷静に考え選択することができました。

どんなに医学やAIが進歩しても、最高の妙薬は、心(魂)を支える「人対人」ではないでしょうか?私は良き主治医に巡り会えたことに心から感謝しています。もしかしたら、出会うべき人に出会えたことも、「祈りが通じた」ということではないかしら。

武枝)半世紀以上生きてみると、「どのように生きたいのか、はっきりしている者、自責で冷静に考え選択してきた者は、その人にとって大切な状況を引き寄せる」ということが明確に実感できるようになりましたね。会いたい人には会える!会うべくして会う!そして、こうありたいという方向に向かう、と。

そうそう、ラグビーの2019年ワールドカップ日本大会で、優勝候補のアイルランドに歴史的な勝利を遂げた後、日本代表の主将リーチ・マイケルがこんなことを語っていましたね。

「勝ちたいというメンタリティーと、勝てるという自信が一番の勝因」って。

これを聞いて、成田さんの言う「”スペシャルな独り言”が”祈り”に通じる」の意味が更に生き生きと立ち上がってきました。そして「祈りが通じた」んだという、計り知れない力の大きさも感じました。

成田)「誰の人生にも光と陰がある!」とよく言いますが、誤解を恐れずに言うと、私は、命に関わる病になったことが「人生の陰」とは思っていません。以前にも書きましたが、告知を受けてからの日々は、決して苦しみばかりではなく、その裏側に張り付いている「幸せ」を感じることのできた時間でもありました。

闘病中の私は、ハードな治療の中でも、この「幸福感」に多くの意識を向けていたように思います。一瞬真っ暗な海の底まで沈むこともありましたが、仰ぎ見れば、そこには暗い海底に差し込む一筋の太陽の光が見えました。その光は、自分のスペシャルな独り言であり、信頼するドクターの声であり、私の命の真ん中に届く愛ある人たちのスペシャルな言葉でした。

武枝)暗い海の底に沈んでも天を仰ぎ見れば必ず一筋の光が見える!それを命がけで体験した成田さんの”命の真ん中に届いた言葉”は、どのようなものだったのでしょう。

成田)武枝さんも成田も、長年言葉にこだわる仕事をしてきて、言葉選びがどんなに大切なことかをよくよく知っていますよね。自分が感じている言葉へのこだわりや違和感は譲れなかった!自分の言葉に嘘はないか、正直か、誰かを傷つけないか、間違った解釈をしていないか、偏った見方ではないか、シンプルで誰にでも伝わる言葉かなど。

私は報道キャンスターだったとき、記者さんが足で取材し、映像にまとめ、時間に合わせて書かれた原稿を読んだ後、自分に与えられた時間(15秒くらい)の中で、秒針を見ながら、どんなキャスターコメントで締めくくるか、必死で毎日向き合っていました。

まだまだ世間知らずで、自分の考えや言葉に自信がなく、与えられた役割の大きさに潰れそうでした。

キャスターの言葉一つで、ニュースをわかりやすくも台無しにもします。取材記者の想いやニュースのポイントがよりクリアになるような言葉。ある時は、違った視点を提供できるような言葉を選び、それをどんな声のトーンや表情で伝えるか。これは大きなやりがいでもありましたが、今思えば修行でした。生放送での言葉選びは、自分の中身が丸見えになる瞬間でしたから、怖くて、不安で、いつも緊張感との戦いでしたよ。

私は、”原稿読み”は上手とは言えませんでしたけれど、”自分の言葉”をアウトプットできる場を与えていただき、ある意味水を得た魚のようでもありました。

でも、それまで感性だけで自由にものを言っていた私にとって、ニュース番組のアンカーとして、責任ある言葉を選び、短いコメントで何を伝えるかを考え続けた日々は、なかなか苦しい修行時代でした。でも人生に意味のないことはありませんね。あの経験のお陰様で、自分の感性と冷静な思考の両輪で言葉を選ぶ術を少しばかり鍛えられたように思います。

武枝さんの言葉の源泉はどこにあるのですか?そう言えば、長いお付き合いなのに伺ったことなかったですね。出会った日から誰より言葉が通じあっていたから(笑)聞く必要もなかったのですが、よかったら改めて教えてください。

武枝)確かに、驚くほど、面白いほど、すぐに二人は通じ合いましたねえ。

成田さんとの出会いは、報道キャスターとして抜擢される前ですが、その時に一緒に携わった番組でも、従来の傾向だった男性司会の女性はアシスタントというのではなく、二人司会の掛け合いで進行するという形でした。”自分の言葉を持っている”成田さんが、女性メインの報道キャスター第一号になったのは当然の道筋だった、と思います。

で、私の言葉の源泉についてのご質問の件ですが、私は中学生まで日本の秘境中の秘境で育ち、村には本屋さんもなければ、映画館もないような環境でしたし、木に登ったり、一日中、外で遊びまわっていた子でしたから、実のところ、その頃、本らしい本を読んだ記憶がありません。高校に入ってできた友達が、たまたま文学少女(今どき使わない表現ですね)で、家に遊びに行くと、お父様の書斎には本がびっしり。その時、友人の勧める本を読み始めて、自分の言葉の貧弱さを思い知りました。

そして、友人がやっていた短歌も真似て、雑誌「短歌研究」に投稿するようになったのが、言葉修行のスタートですね。

それから、もうひとつ、高校の「倫理社会」の先生の影響も大きかったなあ。授業で世界中の哲学者たちの名言を片っ端からかみ砕いて教えてくださって、それをまずノートの左半分に書き、右半分は空けておいて、家に帰って、自分の考えたことを何でもいいから書き、書いたらそのつど提出するというやり方でした。強制ではなかったので、右ページが真っ白なままの生徒もいたようですが、私はそれが楽しくて、いつもぎっしり書いて出すと、先生は真正面から向き合って、必ず感想や補足を書き加えて返してくださいました。

教えてもらった名言の中で、心にずっと残っているのが「我思う、ゆえに我あり」というフランスの哲学者デカルトの言葉です。あれ!これって、成田さんの根底に流れている考えと一緒じゃ~ん!

成田)え〜〜!「我思う、ゆえに我あり」。武枝さん、そんなすごい哲学者の真理が、私の根底にも流れているなんてさらりと言わないで下さい。我(私の場合)はささやかな「自意識」にすぎませんから(笑)

武枝)報道キャスター時代に《自分の言葉に嘘はないか、正直か、誰かを傷つけないか、間違った解釈をしていないか、偏った見方ではないか、シンプルで誰にでも伝わる言葉か》と毎日必死で向き合っていた成田さん。第三楽章の3-6「まだ何を試されているのか」で書いているように、病気の再発の診断が下された時に、「まだ何を学べというのか?」「何を試されているのか?」「何を経験しろというのか?」と自分に問いかけた末に、「希望はある」と前に進むことを決意し、かねてからの願いだった引っ越しを決行した成田さん。どのエピソードを切り取っても、「成田さん思う、ゆえに成田さんあり」ですから~

成田)そうですね!誰がなんと言おうと、「自分のことは自分と対話して決める」と言う気持ちがいつも私の根底にありますね。人はこんな私を頑固と言うかもしれませんが、私はただ「自分に嘘をつきたくない」だけなんですよね。自分自身との信頼関係なくして、人と”真の信頼関係”は築けないのではないかしら。

だから自分自身と対話できる人は、人の話にも真摯に耳を傾けることのできる人だと思います。そして自分の考えや価値観を人に押し付けることはしません。まさに「我思う、ゆえに我あり」ですね。そんなことを生徒に考えさせて下さった「倫理社会」の先生が素敵です。私も悩める少女時代にお会いしてみたかったな。

武枝)そうそう、その先生のことを私は勝手にソクラテスって呼んでました。「無知の知」を唱えた古代ギリシャの哲学者の名前ですけど、その言葉の意味を教えてくださった恩師がソクラテスの再来のように思えたのかもしれません。

成田)そして!武枝さんにとって、雑誌「短歌研究」への投稿も言葉修行の一つだったのですね。私たちの対談の中でも、武枝さんが私のために詠んで下さったいくつか素敵な句がありましたね。本当に一つの言葉から、武枝さんの想像力とそこに見える情景と想いを共有させていただき感動しました。「言葉」は、長く説明すれば伝わると言うものではありません。言葉を使う人の感性と伝えるタイミングでしょうか。

私たちが出会った頃から不思議なほど通じ合えたのは、表現の修行の根底に「自分で考え自分の言葉で伝えたい」欲求があったからかもしれませんね。そう言う意味では、修行ではなく「自分の在り方」探しだったような気もします。だからこそ武枝さんと共鳴し合える今があるのですから。振り返って見れば、あの修行は、苦しみではなく、実は喜びへと続く道だったと確信します。

それにしても、心柔らかな年頃に、誰と出会ったか、どんな言葉に接したかは、一人の人間の生き方に大きく影響するのでしょうね。倫理社会の先生の「右半分は空けておいて、家に帰って、自分の考えたことを何でもいいから書いて、書いたらそのつど提出するというやり方」も、それを「強制しない」というところも素敵です。鳥肌が立ちました!武枝さんの「ノートの右半分」には、多感な頃の武枝さんの想いや言葉が溢れていたでしょう。ゾクゾクします。

若い頃は、自分という存在自体が不可解で、大人の使う言葉や社会通念に対する違和感の”正体”もつかみきれず、その自分の戸惑いを言葉にすることがとても難しいことに思えました。同じ言葉を聞いても、「そういうものなんだ」と受け入れられる子供と、「なんか違う」とこだわる子供がいる。

武枝さんの倫理社会の先生は、どんな偉人や哲学者たちの名言でも、自分でしっかり考え、自分の意見(言葉)を持つことの大切さを教えてくださったのかもしれませんね。すごいなぁ!ノートの右側の白紙部分が眩しく輝いて浮かびました!勝手な想像ですみません。

武枝)まったくその通りです。同じ言葉を聞いても「なんか違う」とこだわる側にいた子供にとって、倫理社会の先生が与えてくださったレッスンは、「なんか違う」から「この点がこう違う」と、具体的に言葉で表す方向に導いてもらえたという実感があります。「ノートの右側の白紙部分が眩しく輝いて浮かびました!」と言って頂いて、嬉しいわ~乏しいボキャブラリーを引っ張り出して、哲人の名言に対して異論を書いてもいたんだろうなあと思うと、笑えます。

成田)笑うどころか拍手喝采です!偉人の言葉には感動も学びもたくさんありますが、それは誰にでも共通するたった一つの正解ではなく、心柔らかな年頃にたくさんの言葉に出会い、自分で考える経験こそが大切なのではないでしょうか。

私が命に関わる病気になった時、多くの人がいろんな言葉をかけて下さいました。私の”命の真ん中に届いた言葉”については、これまでも、この対談の中でたくさん紹介してきました。主治医の言葉、仕事先の担当部長の言葉、友人の愛ある言葉に一条の光を見ました。

一方で、あまり嬉しくない言葉があったのも事実です。ある日突然、大病を打ち明けられたら、なんて言っていいかわからないものですよね。受け止め方は人それぞれなので、あくまで私の感覚にすぎませんが…、もう少し言葉について振り返ってみたいと思います。

ご承知のように、私は、自分の病気については、両親にさえ打ち明けず、仕事などで迷惑をおかけする方やごく身近な人にだけ伝えました。なるべく明るくさらりと伝えるのですが、多くの方が言葉に詰まられました。私が一番困ったのは泣かれることでした。これは本当に困ります。それって…まるで永遠の別れのようではないですか(笑)「大丈夫です!必ず戻ってきますから」なんて、逆に私が慰めたりして、後で重い気持ちになったものです。

他には、「何も考えず、今は治療に専念してね」も、言ってしまいがちですよね。私はこれも、少し寂しい気持ちになりました。もちろん専念するから入院するんですよ!意味がわかりませんでした。「あなたがいなくても大丈夫!」と言われているようにも感じました。私は、人から必要とされることがエネルギーになる人間ですから。私をよく知る人なら使わない言葉でしょうね。

こんな言葉もありました。「無理しないで、泣きたくなったら電話してきてね!」う〜ん、無理なんかしないし、泣きたくなると決めつけないで〜!もしも本当に泣きたくなったら、私はきっと一人で泣くでしょう。それが成田万寿美ですから。

さらに戸惑ったのは、両手を握りしめ「私のパワーを分けてあげる!」って。え〜、いらないから〜!思わず体を引いてしまいました(笑)

こんな私は、かなりへそ曲がりでしょうか?皆さん、言葉が思いつかず、精一杯の気持ちを伝えようとして下さっているのはわかりますが、正直言うと、私はあまり嬉しくありませんでした。がんになったらこんな気持ちに違いない。こう励ますべきだろうと決めつける。当の本人は、泣く暇などなく、必ず戻ってくると思って準備をしているのにね。

一方で、嬉しかった言葉は、「成田さんの底力を信じていますよ」「オファーを入れておきます。来年も一緒に仕事しましょう」「姉さん、また飲もう」「成田さんは病気ではありません。心はとびっきり健康ですから」「いつもそばにいるよ!」「成田さん、大好き!」「愛してるよ!」など。曇りのない笑顔と私を信じて下さる真っ直ぐな言葉でした。その言葉に泣きそうになったことはありましたけれど、心から嬉しく心強く思えました。「きっと、またこの人と元気で会おう!」って。
言葉は本当に大切です。短くても魂に触れる言葉があることを実感しました。

先日、私が主宰する「笑声(えごえ)会」の望年パーティーで、こんな挨拶をしました。
「…私は、明日死んでも悔いのない生き方をしたいと思っています。だから一つだけ皆さんにお願いしたいことがあります。私が死んでも、お”悔やみ”申し上げますだけは言わないでね。そんな常套句は私には必要ありません。それより、よく生きた!また会おう!また飲もう!と言って笑顔で送ってね。」私は至極真面目な本音を明るく笑いながらスピーチしました。みんなが笑ってくれたことが嬉しかったです。

武枝)素晴らしい!!その3つのフレーズに、成田さんの人生、生き方、価値観が凝縮されています。

短くても魂に触れる言葉と、饒舌でも美辞麗句であっても空々しい言葉。その境界線はどこにあるのでしょうね。

先日、モスクワ生まれで西に亡命したアファナシエフというピアニストのドキュメント「ハイビジョン特集~漂泊のピアニスト・アファナシエフ「もののあはれ」を弾く~」のテレビ再放送があって、それは、彼の深遠な演奏と、彼が日本の「もののあはれ」に惹かれていることとの関係に迫るという内容だったのですが、その中の、後進に指導する場面で印象的なアドバイスがありました。「演奏の時に体や手を大きく動かして、その曲を表現したつもりにならないで!」と。

その演奏が魂に触れるかどうか、その言葉が魂に触れるかどうか、の問いに共通するキーワードかもしれません。

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