第四楽章 ~希望~

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4-1 「自分サイズの部屋」の真実

成田)武枝さん、2018年4月16日に無事引越しをしました。

武枝さんが「新しい部屋の扉の先には、“新次元“の成田さんの、どんな舞台が待っているのでしょう」と言ってくださったように、私は希望に溢れて新居の扉を開きました。都心でありながら静かで、窓の下にはいっぱいの緑、春風が木々の葉を揺らす音が心地よく、鳥のさえずりも聞こえます。
私は片付けも忘れ、ベランダに出て深呼吸をしました。この部屋に巡り合えて本当によかった!って。そこにも色んな人との出会いやの助けがあったことを思い、心から感謝しました。

武枝)とにかく、よかった~!の一言に尽きます。

2017年のクリスマス当日、成田さん復活の祝いに駆けつけた時、病気になった時の住まいを変えて、気分を一新したいって聞いて、大病を経験して更に研ぎ澄まされた成田さんにお似合いの空間を私もイメージしながら、2人で夢を膨らませたのよね。

そして、何と、成田さんが住みたいと思うような物件を、かねてからずっと探して下さってる不動産会社の女性社長がいらした!この方とのご縁は長く、成田さんのことをよ~く理解して、いつも応援して下さっているのよね。

そして、その結果、都心のど真ん中に、“五感”を震わせる環境を掴むことができた!扉の向こうに、新次元の成田さんにふさわしい舞台がちゃんと設えられた!さ~て、次なる展開が楽しみになってきました。

成田)今回の引越しの目的は二つありました。まずは、誰がなんと言おうと「したいことをする」「ワクワクすることはする」という自分の心の声に従うこと。もう一つは、前向きな意味なのですが、「自分の身辺整理」を視野に入れていました。
もし入院することになった時、サポートしてくださる人に対して恥ずかしくないシンプルな部屋にしておく、もし病院から戻って来られたときには、自分が動きやすく掃除しやすい部屋にしておく。そして、もし私に何かあった時は、できるだけ迷惑をかけないよう後片付けのしやすい部屋にしておくこと。
そこで…読みなおすことのないだろう本、しばらく履いていない靴、必要のない書類など、躊躇なく整理しました。洋服も小さなクローゼットに入る分だけを選びました。ワークスペースと必要最小限のものだけに囲まれた”自分サイズの新居”は快適そのもので、なんだか重石が取れたように体も心も軽くなりました。これまで、随分必要のない物を溜め込んでいんだなぁ〜と実感しましたよ。

武枝)入院を控えて、成田さんが、軽やかに「その前に引越し引越し!新しい部屋で気分一新して入院致します」って言ってたけど、それは自分を鼓舞する台詞だったのですね。

ただ、《誰がなんと言おうと「したいことをする」「ワクワクすることはする」という自分の心の声に従うこと》の気持ちの一方で、《前向きな意味なのですが、「自分の身辺整理」を視野に入れていました。》というのは、軽やかにという言葉だけでは到底済まされない“逡巡”の末に到達した境地だということを、今回は同時進行で関わってきただけに、私は思い知っています。

そして、どんなに落ち込んでも浮かび上がってくる術を必ず見つける成田さんも知っています。やはり、その通りになりました。
引っ越しも、入院までにという、自分で決めた制約がある中で、仕事をしながら一人でやりきったのよね。私は遠い大阪にいてヤキモキだけしていました。過労とストレスは禁物の体なのに~と、心配で、確か4月3日の深夜に電話をしたのよね。すると、山積みの本を紐で縛るべきかどうか迷った末に、紙袋に詰め込み、ごみ置き場まで何往復もしてようやく処分し終えたところだって、明るい声で言ってたけれど、たぶんへとへとだったはず。

段取りの良さや決断力、気力には定評があるけれど、さすがに短期間のうちに整理しての引っ越しはそう簡単ではないよね。体力的には限界だったはずなのに、《ワークスペースと必要最小限のものだけに囲まれた自分サイズの新居》にするための準備をきっちり仕上げてしまいました。驚きの一語に尽きます。

成田)結構ドタバタしてましたよ(笑)その証拠に、唇の下に口唇ヘルペスのようなものができ、引っ越しの日の朝に、近所の皮膚科で塗り薬をもらいましたから。

武枝)危ない危ない!いつもギリギリになっても音を上げないからね。

成田)確かに体はヘトヘトのサインを出していましたけれど、それを上回るワクワク感が止まらなかったのも事実です。だって今回の引っ越しは、愛ある人たちのサポートがあって実現したんですもん。やり遂げずにどうするって感じでした。

16年ほど前に遡りますが、今回の部屋とのご縁に繋がる、忘れなれない女性との出会いがありました。
当時、フリーランスとはいえ安定収入がなく、東京に知り合いもいなくて、土地勘もない私は、なかなか良い部屋を借りることができませんでした。そんな時、最後の頼みと飛び込んだ、ある街の小さな不動産屋さんの女性会長が、「あなた、ここに住みなさい。私は人を見る目はありますよ。困ったことがあればなんでも言ってね」と、無条件に私を信頼して部屋を貸してくださったのです。当時すでに80歳を過ぎていらしたと思いますが、自ら素敵な部屋にご案内くださいました。この日の感動を私は一生忘れません。あの日の出会いのお陰で、私は今もこの街に住まわせてもらっているのですから。

その女性は、今回お世話になった不動産会社社長Sさんのお母さまです。今回の引っ越し直前に98歳で亡くなりました。
娘さんのSさんは私と同い年で、お母さん同様、親しくして頂いてましたので、今、住んでいる物件の内覧に行く道すがら、お母さんの人生について、いろんなお話をしてくださいました…。
恩人の悲しい知らせに大泣きしていた私も、娘さんの話を聞くうちに、悲しむより素晴らしい生き方に拍手を送りたいと思うことができました。ぜひ、武枝さんにも知って頂きたい素晴らしい女性です。お母さん(と呼ばせていただきます)は、若い頃はモガ(モダンガールのこと)で、相当のお転婆さんだったそうです。人目も気にせず、新しいことに、何でもチャレンジする女性だったそうです。資格を取るのも好きで、趣味の延長で取った宅建が、ご主人亡きあと、役立つことになったそうです。でも、女手一つで育ち盛りの5人の子供を食べさせることは並大抵ではなかったでしょう。

結婚当初は、アイディアが止まらず、様々な会社を作られたそうですが、お姑さんとご主人に「嫁が働きに出ているのは近所に恥ずかしいから仕事をやめろ!」と言われ、専業主婦として5人の子供を産み育てることに専念された時期もあったとか。
お洒落が大好きで、亡くなる直前まで、娘さんに髪を染めてもらい、ネイルサロンに行き、亡くなる2週間前には、若い頃から大好きだった銀座にタクシーで出かけ、うなぎを食べたり、洋服を見たり、銀ブラしながら若い綺麗な女性たちを嬉しそうに見つめてらしたそうです。そして、亡くなる2〜3日前まで、現役会長として店先にも1日1回は座ってらっしゃいました。
「成田さんのことが大好きで、成田さんが帰った後も、ほんとに綺麗よね〜って、何度も言って、嬉しそうにしてたのよ」なんて、娘さんが教えてくださいました。
最近は、私が伺うとすぐに手を握ってこられて、「成田さん、大好き!ずっとこの街に住んでいてね」って、なかなか手を離そうとされませんでした。その手の温もりが、今も手のひらに残っています。最後は、ご自宅で「ちょっと息が苦しい」と言って眠るように逝かれたそうです。
とても98歳には見えない若々しくチャーミングな女性でした。人生で泣いたのは二度だけだそうです。ご主人が若くして亡くなった時と、お姑さんの意地悪で仕事ができなくなったとき!(笑)

それ以外は、楽しい人生だったとおっしゃっていたそうです。
あっぱれですよね。どうしたら、こんな生き方ができるのでしょう。今は、ただただ心からお礼を申し上げたいです。そして、今回の部屋は、お母さんの導きだと思います。「ここに住みなさい」と。だから私は、迷いなく「この部屋に住もう!」と決めたんです。人生の新しい扉を開くために。

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