第四楽章 ~希望~

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4-7 細胞たちが踊ってる!

成田)現在のがん治療は、主に毒を以て毒を制する方法なのですが、それは、悪い細胞だけを攻撃するのではなく、良い細胞も一緒に破壊してしまうほどの過酷な治療なのです。あの頃の私は、「良い細胞達まで殺すなんてできない」と本気で思っていました。不思議な感覚なのですが、体の中から、「今闘っているから!もうちょっと待って」と言う声が聞こえてくるような気がしました。その声がどこから来るのか分かりませんが、なんとも愛おしくて、悲しくて、胸が締め付けられるような感覚でした。懸命に頑張っている細胞達まで、一緒に殺してしまうなんて、とてもできない…。

武枝)《体の中から、「今闘っているから!もうちょっと待って」と言う声が聞こえてくるような気がしました。》って!
なんて麗しい感覚なんでしょう!
それこそ、どんなに苦しい時も目をそらさずに、「生(いのち)を見つめて」、心と体の声に耳を傾けてきた者だけが手に入れることのできる、深~い感覚なのだと思います。

そして、生(いのち)を支えているすべての細胞たちの頑張りにまで気づき、愛おしむ感性は、過酷な治療によって一度は失った機能を復活させた者に授かる恩恵なのかもしれません。
自分自身のことをより深く知ろうと心の声に耳を傾け続けてきた成田さんが、骨髄移植を迫られた状況の中で、更に「自覚領域」を押し広げましたね。ここに、成田さんを”細胞たちの声を聞いた直感のパイオニア”と呼ばせて頂くことにします。

成田)おお〜!武枝さん、なんという表現をされるのでしょう。”細胞たちの声を聞いた直感のパイオニア”だなんて、すご過ぎる言葉を頂き、なんだか気恥ずかしさでいっぱいになり赤面してしまいます。でも、誰かに笑われようと呆れられようと、私はあのとき、大真面目でした。そんな私を、武枝さんもまた大真面目に受け止めてくださって本当に嬉しいです。このやり取りのお陰で私はどんな深刻なときも楽しく笑うことが出来ました。私が笑えば細胞たちも笑っていましたよ。

そして、自分らしく”今を生きる”ことを決めた私は、検査結果を待たずに、秋以降の仕事を受け、「休学届け」を出していた学校にも復学しました。自分の細胞達の声を信じるなら、治療の準備などせずに、とにかく前に進もうと思ったんです。
「一旦休学にしているので、今期の単位取得は難しい!」と言われていたのですが、「絶対!1月に卒業する」と決めて、その想いを伝えると、なんと希望するクラスへの復学が叶いました。今思えば少々言葉に気迫がこもっていたかもしれません。何事も諦めなければ想いは伝わりますね。
この時、骨髄移植という現実を受け入れようと準備していた気持ちと、自分の細胞達の声を信じようとする気持ちがハッキリ入れ替わったように感じました。

武枝)振り返ってみれば、過酷な治療の後、退院をクリスマスの日と決めて、それが実現したことを含めて、いつも自分らしく今を生きることを優先して前に歩を進めた結果、ことごとく望みを叶えてきましたよね。

でも今回はちょっと事情が深刻だった。骨髄移植の治療を受けるかどうかで、途方に暮れた時期もありました。そんな中でも、自分の中に潜んでいる可能性を見つけようとする強い想いによって、成田さんは、生(いのち)をつなぐために頑張る細胞たちの声を聞いてしまった!そして、その想いに細胞たちは精一杯応えてくれている、そう感じ取ることもできた!だから、前向きになれたのですよね。

成田)前向きになろうと意図したわけではなく、そうするように何かに突き動かされていたように思います。

武枝)「何かに突き動かされていた」かぁ~!自分を超えた”何か”とは何か。これは、今回のやり取りの大きなテーマのひとつですね。

成田)そして、2018年8月8日。いよいよ検査結果が出る日になりました。この日のことを私は一生忘れないでしょう。ドクターの第一声は、こうでした。「当院で採取した細胞からは何も出ませんでした。今すぐ過酷な治療をすることはお勧めしません。」

私は、ドクターをまっすぐ見つめ、夢のようです!とだけ言いました。そのあと、しばらく言葉が見つかりませんでした。だってセカンドオピニオンの際には「骨髄移植しかない」とはっきり言い切られていたのですよ。正直なところ、にわかには信じがたいものがありました。ドクターは私の気持ちを察したように、「あの時は再発直後だったのであのように言いましたが、あれから日が経ち、今現在は何も見当たらないのですから、今すぐ過酷な治療をすることはお勧めしません。見守って行きましょう」と。

武枝さん、1月に再発告知を受け、5月に副鼻腔の怪きところを広範囲に切除する手術をして、その部分を生体検査に出したところ、「副鼻腔にがん細胞が点在しています」と言われたのです。そのがん細胞が、全て消えている?!これまでも「再発したら骨髄移植しかない」と何度も聞いていました。でもそれは完治を目指せるものではない過酷な治療だということから、私はなかなか治療を決断する気持ちになれず、「今を生きる」ことを選択して、念願の引越をし、新しい仕事をお受けし、通っていた学校を卒業することも決めて、治療を延ばし延ばしにしてきました。この結果は、本当に「夢のよう」でした。

武枝)「夢のよう」、本当に「夢のよう」なことが現実になった歴史的瞬間!衝撃的な事実です。こういうことが起こりうるということを、身をもって証明してしまいましたね。

成田)まだ事態を受け止めきれないまま病院を出ると、空模様が一変し嵐が吹き荒れていました。タクシーに乗り込んでの帰り道、少しずつ喜びが込み上げてきて、自然に笑みがこぼれました。体の中では細胞達が踊っていました!赤や緑の三角帽を被り、手足を元気よく動かして「やった〜!やった〜」と鼻高々に笑いながら踊っている。「やっぱりこの子達を殺さなくてよかった!」自分の身体にシャンパンかけをして、頑張った細胞達と喜び合いたい気分でした。

帰宅後、武枝さんと電話でエアー乾杯をしてから、本当にシャンパンを買いに行きました。不思議なことに、嵐は通り過ぎ、陽が射していました。あの雨上がりの澄み切った夏空を、私は忘れることはないでしょう。

武枝)がん細胞も嵐さえも大人しくさせてしまうなんて、本当に凄いなあ~!!あの時に2人が交わした永久保存版のメールを見直してみたら、12時22分に成田さんから「武枝さんとシャンパンがけをしたい~」とありました。F1レーサーたちが表彰台でするようなシャンパンファイトをイメージしながらのエアー乾杯でしたね。

成田)2人のグラスの中で美しい泡がキラキラ輝いて弾けていました。あ〜、諦めかけていた秋が来る。美味しいものも食べられる。新しい年を迎えることができる。目の前の霧が晴れたようでした。病気にならなければ味わうことのできなかった感動です。これまでの全てに心から感謝しました。

武枝)成田さんのその気持ちにシビれます。過酷な治療を行うために費やした時間も、苦しさも悲しさも戸惑いも不安もすべて帳消しにしてまだ余りある感動って、想像しただけでゾクゾクします。

成田)人生はいつだって希望に向かって進んでいると感じています。悲しみや苦しみや不安の真っ只中にあっても、全ては通過点。いつ霧の向こうから女神様の笑い声が聞こえてくるかわかりません。だから明日を信じて、自分を信じて良い心の状態で過ごすことがとても大事だと確信しました。医学的には「がんは消えたわけではなく、抑えられている状態」のようです。でも、私は何があっても、もう恐れません。
「覚悟」と「希望」の両輪で、軽やかに人生をハンドリングしていきます。
今回のことを奇跡というなら、その奇跡を起こし続けてみせましょう。病気は悪いことばかりではありません。私は、病気のお陰で心のひだが増えたように感じています。
たくさんの素晴らしい出会い、たくさんの愛、たくさんの優しさ、たくさんの心に染みる言葉。たくさんの応援。たくさんの自分と向き合った時間。そして、たくさんの愛おしい細胞たち。
本当にありがとう。

続きは次の楽章で!どんな音楽を奏でましょうか。
武枝さん、ここで一句お願いできませんか。

武枝)わぁ~成田さんの”心のひだ”のあちらこちらから歓喜の歌声が聞こえてきます。
ここで一句、ということですが、三句思い浮かんでしまったので、まとめて送ることにします。

霧晴れて生(いのち)の雫きらめける
祝祭や八月空の青に酔う
喝采にシャンパンシャワー遠花火
                                        幸子

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