終楽章〜感謝〜

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5-1 あきらめない心

成田)武枝さん、いのち輝く素敵な句を3つも!ありがとうございました。胸の奥深くからこみ上げてくるような感情の波と、清々しい優しさに満たされ、何度も声に出して味わいました。愛ある言葉は力がありますね。

細胞たちにシャンパンシャワーを浴びせたあの夏の日から7ヶ月が過ぎましたね。これを書いている今は2019年3月です。初めて悪性リンパ腫の告知を受けた2015年9月から3年半。その前の、なかなかがん細胞の発見に至らず苦しんだ日も含めると、長い長い道のりでした。やっとがん細胞が見つかり、3クールの抗がん剤と50日に及ぶ副鼻腔と上顎への放射線照射を受け退院したものの、2年ほどで同じ場所に再発しました。

「再発した場合、もう骨髄移植しかない」と言われた日から、自分を見つめ直す旅が始まりました。そして、とうとう2018年の夏、「全てのがん細胞が消える!」という奇跡が起きたのです。私は今、何もなかったのようにしたい仕事をし、念願だった日本語教師としての資格に必要な420単位を履修することができ、その間、京都で武枝さんとお会いする機会もありましたね。でもそれは、私たちを出会わせてくださったテレビ番組の大プロデューサーを偲ぶ会でした。愉快で豪快な方でしたから、集まった人達も、思い出話しに花を咲かせてみんな笑顔でしたね。会場に飾られた遺影から、「こら〜!幸子〜、万寿美〜、また俺を見送って、2人で飲んでるな〜!」とよく響く声が聞こえてきそうでした。そう!お見通し通り、偲ぶ会の後も2人で飲みましたね。テレビの良き時代に私たちを出会わせて下さったことに心からお礼を申し上げてお別れしました。

さらに、12月には父を天国に見送りました。享年91歳でした。父の死については、とても心静かに受け止めました。「人は誰でも死ぬのだ!死に向かって生きているのだ」ということを自分ごととして体験したからかもしれません。晩年、父の記憶が壊れていくことに老いることの残酷さは見ましたが、91歳まで生き抜いてくれたその人生に敬意と感謝しかありませんでした。荼毘にふすときには、子供の頃のように「行ってらっしゃい!」と声をかけました。何も親孝行らしいことはできませんでしたが、私が先に逝くことなく、父を見送らせてくれたことに感謝しました。そんなこんなで、人生は、良きも悪しきも色々ありつつ前に進んでいます。

武枝)怒涛のような日々も、改めて振り返ってみれば感慨無量ですね。

成田)私の命は続きましたが、一方でお世話になった人達とのお別れも多くなりました。その場に立ち会ってみると、生き方が別れ方にもあらわれるような気もして、自分ならどんな風に旅立ちたいかなぁと少し想像しました。しみじみと2018年が暮れていきました。

武枝)確かに、生き方が別れ方にもあらわれますね。ある意味、怖いような……

成田)さて、私自身の「今」はというと、あの夢のような奇跡が起きた日から、すでに2回の全身CT検査を受けていますが、体のどこにも悪いものは見つかっていません。再発時、悪しき細胞が点在していると言われた副鼻腔も、「怪しき影は一つもありません。今までで1番綺麗です!」と耳鼻科のI先生に太鼓判を押していただきました。ただ、ドクターとしては「がん細胞が消えた」とは思っていらっしゃらないようです。医学的には、がんに完治はなく、「今は抑えられているだけ」ということのようです。でも、私はどちらでもいいです。「今、何もないという事実」だけで幸せです。

この終楽章では、ここに来て、今思うこと、感じていること、知ったこと、自分自身のこと、など。改めて武枝さんと話したいと思います。大前提としては、タイトル通り、「生(いのち)を見つめて」です。武枝さんとやり取りできたことの奇跡と、何者かの導きに感謝して、楽譜のない終楽章を、二人の言葉で奏でてみたいと思います。もうしばらくお付き合いくださいね。どうぞよろしくお願いいたします。 

武枝)成田さんの 《医学的には、がんに完治はなく、「今は抑えられているだけ」ということのようです。でも、私はどちらでもいいです。「今、何もないという事実」だけで幸せです》の心境が素敵です。

どんな状況にあっても、今の生(いのち)があることにまず感謝できる!自分の人生が幸せであると思えるかどうかの分岐点はそこらあたりに潜んでいるような気がします。

そうそう、幸せといって思い出したことがあります。以前、お仕事を通じて親しくさせて頂いたことのある京都大学名誉教授の新宮秀夫先生が幸せ感を家に例えられた「幸福の四階建て論」です。先生の元々のご専門は金属加工学ですが、その延長線上でエネルギー科学も研究され,、地球のエネルギーや環境問題に取り組むうちに、それらを解決するには、まず人間の幸福の在り方を問うべきだろうと考えていて思い付いたっておっしゃってました。

一階建ての家の場合は、富や名声、恋愛、そしてスポーツをしたり、食事をしたり……本能に近い直接的な快楽を得ることに幸せを感じる在り方。快楽を持続させるための努力をしたり工夫をする”日々の営み”の方により幸せを感じるのは二階建て。降りかかる苦しみや悲しみを克服することによって獲得しようとする達成感の伴う幸せ感は三階建て。そして、克服できない苦しみの中にも幸せを見い出そうとするのが四階建て。

詳しくは、先生のご著書「幸福ということ―ーエネルギー社会工学の視点から」(NHKブックス)にありますが、「人間の幸福は快楽や満足感だけにあるのではなく、苦しみや悲しみの中にもある」と、エネルギーとの関係性の中で編み出された幸福論がとても面白く、先生のお話を伺いながら拍手喝采をしていました。

成田)なるほど!家に例えるとイメージしやすいですね。腑に落ちます。自分の知っている言葉に置き換えて恐縮ですが、新宮先生のおっしゃる「富や名声、恋愛、そしてスポーツをしたり、食事をしたり……本能に近い直接的な快楽」は、コーチングでいう「ニーズ」に近いのかなぁと思いました。コーチングでは、個々の「ニーズ」と「価値」の違いを扱うことがよくあります。「ニーズ」は、文字通り「人が欲しているもの」ですが、それは、手にしても手にしても満たされることはなく、失う不安から「もっと頂戴!もっと頂戴!」となる。そして、人はこの快楽を持続させようと努力や工夫をする。もちろんそれは素晴らしいことですし、多くの人は、そのことが意味あることだと刷り込まれてきたのかもしれません。

それが、一斉に教育する義務教育の在り方ではなかったかしら。そのことを受け入れられる子供とそうでない子がいる。私の場合は後者でしたけどね(笑)。大人や社会のニーズに合わせるために走り続けることが辛い子供(大人)もいます。それは時にストレスと戦うことにもなる。それでも降りかかる困難を乗り越えれば、達成感という大きな満足を得られることを知ることもある。私の勝手な解釈ですが、これが、家に例えると2階3階を建てることなのでしょうか。

でも、4階だけはちょっとエネルギーレベルが違う感じがしますね。「こう頑張れば、こうなれる」というものではなく、「克服できない苦しみの中にも幸せを見い出そうとする」なんて!成功モデルがないのですから。それでも、4階を建てなければ、その家は根こそぎ倒れてしまうかもしれないことはわかっている。4階はもはや「ニーズ」レベルの努力ではどうにもなりません。武枝さんに教えていただいた新宮先生の言葉、「人間の幸福は快楽や満足感だけにあるのではなく、苦しみや悲しみの中にもある」。を読んで、私が闘病中に味わった幸福感と重なる気がします。

私は命と向き合った闘病中にこれまで味わったことのない幸福感が共存することを知りました。それは、ニーズを全て手放し、普遍の「存在価値」に触れたような壮大な幸福感でした。でも、病気を克服した今の私は、また生きるためのニーズに苦しめられていますけどね(笑)。それでも、あの幸福感を思い出し、できるだけ、自分の「価値観」に基づいた生き方をして行きたいと思っています。それが自分を大切にすることであり、細胞の喜ぶ生き方の一つなのではないでしょうか。家でいえば、土台(基礎)がしっかりするということでしょうか。

武枝)私の推察するに、新宮先生がおっしゃりたかったのは、四階建てだから上等の幸せという訳ではなく、高い階になるほど建てるのに本人のエネルギーを大いに費やさなければいけない、けれども、その代わり、下の階では見ることのできなかった風景(感じることのできなかった幸せ)を味わえるよ、って。だから、地球のエネルギー資源を消費することで得る幸せばかりを追い求めずに、個人個人が体内に持ちあわせているエネルギーを発動して、それぞれにお似合いの幸せを掴みとってみませんか、と。

新宮先生の伝で言えば、成田さんは「三階建ての家」を闘病中に建てましたよね。私の場合、このやり取りを通じて、三階建ての世界にお邪魔させてもらえているという感懐です。

成田)武枝さん、私は勝手に新宮先生のお話に自分を重ねて、「地球のエネルギー資源を消費することで得る幸せばかりを追い求めずに、個人個人が体内に持ちあわせているエネルギーを発動して、それぞれにお似合いの幸せを掴みとってみませんか」を、4階と受け止めてみると、闘病中に、このエネルギーレベルの幸せに少しばかり触れたように感じられました。4階に住み続けるのはなかなか至難の技かもしれませんけど、自分の細胞たちと会話し、自分を信じることのできた瞬間の幸福感を忘れずに生きていきたいです。

武枝)そうか~闘病中に、四階建ての幸せをすでに味わっていたんですね!復活宣言をしてからの成田さんの姿勢に、四階建てを築き上げているエネルギーを感じてはいましたが、あの過酷な治療を受けながら、その次元に至っていたんだ~四階建ての幸福感を掴んだら、一階、二階、三階建ての幸せを味わうのは自由自在。だからなんだ!成田さんから、多彩な幸せオーラが溢れんばかりに放たれているのは。

成田)ひと時でも、私から幸せオーラ!が放たれているように見えたなら、それは、とても嬉しいです。

武枝)それにつけても、《一階建ての幸せ感は「ニーズ」に近い!》は言い得て妙ですね~

地球や社会や他人のエネルギーをより多く自分のテリトリーに取り込むことで得ようとする幸せ感は、ともすれば、成田さんのご指摘通り《手にしても手にしても満たされることはなく、失う不安から「もっと頂戴!もっと頂戴!」となる。》新宮先生の危惧されたのはまさにその点だと思うのです。

そんな壮大な幸福論の話の後に、ほんのささやかな出来事ですが、先日、嬉しいことがありました。

一昨年に頂いた鉢植えの紫陽花がその年で枯木になってしまったのですが、捨てずに他の植物と同じように水やりを続けていたら、なんと、この4月の初め、枯れた枝から小さな新芽が次々に出てきて、どんどん膨らんでいるのです。昨年も表向きは枯木のままだったのに、おっとどっこい、生きているぞって!人も植物も、しぶといのだ。ホント、捨てずに水やりを続けてよかった~。諦めるなかれ!ですね。つくづく、そう思いました。

成田)なんと愛おしい紫陽花でしょう!傍目には枯れたように見えていても、紫陽花の細胞達は静かにエネルギーを蓄えて、復活の時を待っていたのですね。武枝さん、毎日水やりをしてくださって、ありがとうございます。紫陽花に代わってお礼を申し上げたい気持ちです。

そうそう!私も嬉しいことがありました。友人が経営する会社で仕事をされている男性が、ある日突然がんの宣告を受け、大病院で「もう手術はできない!緩和治療しかない」と見放されて、絶望されていたそうです。そんな時に、友人が私たちのこのやりとりを勧めてくれたそうです。すると、何かが伝わったのでしょうか?「諦めずに闘おう!」という気持ちになって下さったそうです。そして、自ら病院探しをされて、とうとう「手術しましょう!」と言ってくださる医師と出会い、お住まいから遠く離れた病院で手術を受けられたそうです。武枝さん、その結果ね、なんと!今はまた職場復帰をされているそうです。その話を友人から聞いて、私は、言葉で言い表せない喜びで体が震えました。一軒の病院の診立てだけで、治療を、命を、諦めなくて本当に良かった。きっと、「諦めない」心が細胞達を頑張らせ、出会いを引き寄せたのではないでしょうか?

その方は、昔、私が出演していたテレビ番組も見て下さっていたそうですよ。今もこのやりとりを読んでくださっているかしら。もし読んで下さっていたら、この場をお借りして、お祝いを申し上げます。「手術のご成功、おめでとうございます。諦めなくて、本当によかったですね。生きていて下さってありがとうございます。」

武枝)ウォー!!素晴らしい!震えます。

このやり取りが、諦めない心を奮い立たせる一助となっていたのだとしたら、こんなに嬉しいことはありません。

振り返ってみれば、成田さんもずっと諦めなかった!!

そして、その男性のことを知り、改めて強く思います。諦めない心を奮い立たせたら、「蘇生力」が目を覚ますのだ!と。そのパワーが、三階、やがては四階まで建ててしまうのではないか、って。

成田)諦めない心とは、自分を信じる心でしょうか。そこから目に見えない蘇生のエネルギーがこんこんと溢れ出してくるのかもしれませんね。深い青の美しい泉をイメージしています。枯らさないようにしなくちゃ(笑)

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