投稿者: masumi

  • 2-11 チームリーダーは患者自身

    成田)私の思う「プロ患者」のあり方とは、

    1. 自分ができることは可能な限り自分で行動する。
    2. 自分の体に起こることは逐一チームに報告する。
    3. チームの目標に向けて常に前向きに会話する。
    4. 治療法や薬についての不安は納得いくまでよく聞く。
    5. 自分の意見はきちんと伝える。

    これって、仕事をする時のチームの在り方と同じですよね。

    「病気を治す」というチーム目標に向けて、それぞれの知識と経験を持ち寄り互いに尊敬し、信頼し合い、対等な関係性で話し合い、情報を共有し、チャレンジする。そして大事なことは、チームリーダは患者自身だということではないでしょうか。だからこそ、チーム医療には、「患者力」も必要ではないでしょうか。

    武枝)ホント!すべてのプロに当てはまることでしょうね。そんなチームを組めば、相乗作用で、不可能が可能になるってこと、たくさんあります。「チーム医療におけるリーダーは患者自身」、名言ですねえ。

    成田)お待たせしました。笑える話をしますね。放射線治療も終盤に差し掛かった頃、私は夜中になると喉の奥に溜まる異物が苦しくて、何度も洗面所に行っては吐き出していました。普通の痰とも違う、ザラザラした異物と血液の混じった塊で、吐き出す時に喉に痛みがあるほどのものでした。そのことが気になった私は、「マスクメロン治療(放射線)」の際にドクターに聞いてみました。すると、想像もしなかった凄い答えが返って来たんです!

    放射線科のK先生は相変わらずの大きく快活な声でこうおっしゃいました。「成田さん、放射線はね、ゴキブリは殺せるんだけど、死骸を取り出してくることはできないんですよ!」と。
    「えっ!」私は一瞬絶句したあと、笑いが止まらなくなりました。「腫瘍はゴキブリなんだ!」そいつは完全に死んでいる。その死骸を自分の体が外に出そうと頑張っているのだ!と妙に納得できたんです。胃に落ちれば胃液が溶かし、喉に溜まれば痰が絡めて外に出してくれる。私の体も頑張っている。素晴らしい!!って。それからは心なしか苦しみが軽減し、塊を吐き出すたびに「はい、ゴキブリ一匹出ました〜!」なんて、笑えるようになりました。

    痛みも苦しみも受け止め方一つで変わるものです。そのたとえ話があまりに面白かったので、血液内科のドクター達と笑いを共有したくてすぐに話しましたけれど、「さすがK先生!独特の表現ですね」と苦笑されていました。でも、心の中では「やるな!」って思われていたような気がしましたよ。「今日はゴキブリ出ましたか?」「はい、朝から大きいのが!」なんて、何度か会話の中で使っては一緒に笑いましたから。
    私は、K先生のそのメタファー(たとえ話)をすっかり気に入ってしまいました。武枝さんなら、今頃大笑いしてくださっているのでは…..。

    そうして、2015年12月2日水曜日。5週間に及んだ放射線治療の最終日を迎えました。この日を指折り数えて待っていました。

    武枝)K先生のそのメタファー(たとえ話)、体操競技で言えばG難度のテクニックですよねえ!後方抱え込み2回宙返り3回ひねり並み!注意深く分解しないと把握しにくいけれど、分かれば上手過ぎて拍手喝采!ですよね。

    メタファーごっこって、想像の世界で一人で楽しめて、お金も道具も要らず、わたしにとって人生の大きな愉しみのひとつですが、腫瘍をゴキブリにたとえて、症状を説明されたK先生に、大阪にも一人大ウケしている人間がいるって伝えておいて欲しいわあ。

    そして、そのメタファーを活用してはしゃいでいる成田さんも、楽しみ方G難度ですね。

    成田さん、5週間もの長い間、厳しい治療によく耐え、よく笑い、どんな局面でも楽しみ、よくぞ切り抜けてこられました!

    成田)本当に、辛い時こそユーモアと笑いが大きな力になったと思います。
    マスクメロン最終日は、いつも笑顔で迎えてくださった放射線科の看護師さんもとても喜んでくださいました。「マスクを記念に持って帰りますか?」なんて聞かれましたが、もちろん辞退いたしました(笑)今にして思えば、写真くらい撮っておけばよかったですね。滅多に見ることのできないものですから。でも、そんな心の余裕はなかったです。とにかく、顔に放射線を充てるという恐い治療を終え、心からホッとしていましたから。

    武枝)そうよねえ。マスクメロン治療って言って気を紛らわしているだけで精一杯だよね。その気の紛らわし方も普通は思いつかないハイレベルのテクニックですが。

    ともかく、マスクとはおさらば !クリスマスに退院してシャンパンで乾杯するのを待つばかりですものね。

    成田)ところがその夜、私はとんでもない怖い夢を見たんです…。

    …..夢の中で私は、いつもの硬く冷たい治療台の上にいます。目を開けると、白衣の首のない4人の屈強な男性が私を押さえつけています。「やめてくださ〜い!私はもう治療は終わりました〜!はなしてください!」と大声で叫ぼうとするのですが声が出ません。金縛りです…..

    多分うなされていたのではないかしら。自分の声で目が醒めると汗がぐっしょり。夢だったことに気がついて心から安堵しました。やはり私は、地下2階に行くことが本当に怖かったのだと思います。

    武枝)ちょ、ちょっと待って下さい!今までも治療の様子を聞いて心臓バクバクしていたのに、この夢は、強烈すぎます。もし、成田さんが声なき声で「やめてくださ〜い!私はもう治療は終わりました〜!はなしてください!」と叫ばなければ、連れて行かれていたかもしれないような……。本当に危うい……。でも、よかった!!

    成田)ドクターからも「成田さん、よく頑張りました。今が痛みのピークです。これ以上辛いことはないですから」と励まされ、「治療の山は越えたんだ!」と思いました。その頃から少しずつ食べる努力もはじめましたけれど、まだまだ味覚も嗅覚もなく、固いものは喉を通りませんでした。でも、放射線治療が終ったことで気力は戻りつつありました。

    まだ12月7日からの抗がん剤治療3クール目が残っていましたが、
    最後の抗がん剤投与が始まった頃、病棟の談話室にはクリスマスツリーが飾られていました。
    私はその横で、コーチングの国際資格を取得するための勉強を始めたんです。こんな日が来ると信じ、パソコンを持ち込んでいました。実は告知を受ける前に受験のための申請をし、コーチングセッションを録音したデータをアメリカの国際コーチ連盟に送っていました。もしその合格通知が届けば、インターネットを使って3時間に及ぶ筆記試験を受けることになります。

    少しずつ気分が良くなっていた私は、合格通知が来ることを信じて試験勉強を始めました。そして同時に体力回復のストレッチや体操をするなど、頭と体のリハビリを始めていたんです。この様子を見ていた言葉の魔術師Fドクターは、通りがかりに「成田さん絵になるね〜」なんて声をかけて手を振ってくださったり。癒しボイスのイケメンA先生も「ご気分いかがですか?」と優しい笑顔で話しかけてくださいました。

    入院中は、こんなちょっとした会話や笑顔の交流が本当に嬉しかったなぁ。武枝さん、私、この時にね、ツリーを見ながら改めて宣言したんです。「クリスマスに退院しよう!」「その日を成田万寿美の新しい誕生日にする」って。主治医のO先生に伝えると「高熱さえ出なければいいでしょう」と言っていただき、夢のようでした。

    武枝)クリスマスツリーのそばで、闘い終えて痩せ衰えながらも希望に満ち満ちた成田さんの姿を今、想像しています。映像となり、動いています。言葉の魔術師FドクターもイケメンA先生もフレームインしました。お互いに交わす笑顔も浮かびました。主治医のO先生の声も聞こえたような……

    しかも、大変な放射線治療を終えるや、コーチングの国際資格を取得するための勉強まで始めたなんて!最後の一滴まで力を使い果たした成田さんから、今まで以上に力強い新たな泉が噴きあがっているのを、ドクターたちは目を細めたり丸めたりしながら眺めていたことでしょう。

  • 2-10 初蝶や谷渡り野を自在なる

    武枝)う~ん、いいですねえ。

    考えてみれば、「底力」とは、産道を突き進む時に振り絞る極限のパワーを指すのかもしれません。だから「底力」は誰にも等しく具わっていて、この世に生を享ける時に発動する経験をしているのよね。なのに、せっかく授かった貴重な「底力」の存在を自覚しないまま、有効に発揮しないまま、退化させているのかもしれません。

    でも、成田さんは、常日頃から、自分の「底力」を意識し、信じていて、随所でその力を発揮し続けている。それは、たくさんの人が知るところですが、まさしく、このたび、がんとの闘いっぷりで、産道を突き進む時と同じ激烈な「底力」を示したわけです。

    初めての経験だった赤ちゃんの時は成田さんも泣きました!(いや、あの「オギャー」は、辛かったという泣き声ではなく、生を享けた喜びの雄叫び「ヤッター」なのかもしれません。)けれど、今回、産みのような苦しみの中にありながら、笑顔と笑声を絶やさず、周りを和ませ、笑わせながら“生き直したこと”、ブラボーです。

    結果、「自分が大切にしていることを確認でき、これまで感じてきた違和感や生きづらさを手放すことができ た」ということは、もしや生命起源に関わる揺るぎない根幹に触れてしまったということなのでは!?
    成田さんが闘病中にたびたび感じていた「何かと繋がった」とは、そういうことなのかもしれません。だから、不必要な怯えや扱いかねていた惑いやためらいから解き放たれ、まとっていた鎧のようなものも脱ぎ去ることができたということなのでしょうか?そうだとしたら、成田さんには羽が生えたも同然。内部に滾々と湧き出る力強い生命エネルギーに任せて羽ばたくだけですね。

    成田)そんな風に言っていただくと、ちょっと照れます。年齢と経験を重ねながら、少しずつ鎧のようなものは脱いできたつもりでしたけどね。今回こそ、産道での記憶をしっかり覚えておこう、自分の在り方や根幹にあるものを見つめながら生まれよう、と思いました。
    そして産声が、「オギャーという泣き声ではなく、ヤッターという喜びの雄叫び」だと想像するとゾクゾクしました。なんて可愛い存在でしょう。痛快です。本当に赤ちゃんが雄叫びをあげて生まれてくるとしたら、私たちはこの世に生を受けた時、誰もが何者かと繋がっていることを覚えていて、精神的には「完璧にパワフルな存在」なのではないかしら。だけど成長するにつれて、大人が刷り込む価値観や世俗的な常識や人と比較されることなどで曇らされ、繋がっていたはずの何者かの存在を忘れてしまうのかもしれません。腑に落ちますね〜。だからこそ、誕生を「ヤッタね〜」と歓迎し、自由に生きることを応援してあげたいものですね。

    自分という存在が改めて愛おしくなりました。武枝さん、素敵な仮説をありがとうございます。
    「オギャーは喜びの雄叫び!」
    これ、いいなぁ。素晴らしいです!!

    武枝)あっ!いま、私の頭にチェコスロヴァキア民謡の「おお牧場はみどり」の歌が流れてきました。

     ♪おお牧場はみどり 草の海 風が吹く

      おお牧場はみどり よく茂ったものだ ホイ

      雪が溶けて 川となって 山を下り 谷を走る

      野を横切り 畑を潤し 呼びかけるよ 私に ホイ

    そして、新たな命を生き直すことになった成田さんを思って、またまた浮かんだ拙い一句。

      初蝶や谷渡り野を自在なる  幸子

    成田)あははっ!おお牧場はみどりの、「ホイ」がいいですね。のびのびと野を駆けながら時々跳ねる姿が少し喜劇にも見えます。素敵な句もありがとうございます。

    ところで、先ほどご紹介したベテラン看護助手さんについて少し触れさせてください。この女性は、「こういう人のことをハンサムウーマンというのだ」と思わせる人でした。いつも笑顔でキビキビ動いてらして、大きな声で笑う。時には寝たきりの人のベッドを移動させて髪を洗ってあげる。また時には車椅子を押して楽しげに話しかけながら検査に同行される。患者に新しいパジャマを配り、体を拭くタオルを大量に準備し、汚れた洗面所を洗ってくださる。他にも仕事量は数え切れません。

    看護師さんの手が届かないところを、細やかにサポートしてくださいました。しかも、決められた業務以外の気遣いがすごいのです。よく患者さんを見てらっしゃると思いました。痒い所に手が届くというタイミングで、いつもそばにいらっしゃるのです。私も、どんなに助けられたかしれません。

    ある日、マスクをつけずに検査室の前に座っていると、偶然その方が通りかかり、「あら!成田さん、部屋から出る時はマスクしなくちゃ!」とすぐに気づいてマスクを調達してきてくださいます。私が免疫力が低下している時期だとご存知なのですよ!ベット脇の床に置いていたスーツケースを見つけると、「ホコリがたまるから棚に上げておくわね!」と移動させてくださったり、少し濡れたパジャマをそのまま着ていると、サッと着替えを持ってきてくださる。

    体調が悪い日、放射線治療に行こうとすると「転ぶと危ないから一緒に車椅子で行きましょ!」と申し出てくださる。本当に、360度見える目をお持ちなのかと思ってしまいます。私にはとてもできないお仕事です。あの時の感謝と尊敬の気持ちは生涯忘れません。

    武枝)ああ、こういう人こそ、「他人の人格や行為を高いものと認め、頭を下げるような、また、ついて行きたい気持ちになる」という“尊敬”の二文字にふさわしい方ですねえ。その方の頭文字を教えてくださいな。私の「尊敬する人物」メモリーに入れておきたいので。

    成田)武枝さんの「尊敬する人物メモリー」に!わぁ〜、私まで嬉しくなります。こういう女性の存在をもっと多くの人に知ってほしいです。患者の最も近くに寄り添い、入院生活を支え、生きる力を与えているのは、実はこんなハンサムウーマンの皆さんの働きが大きいです。同じ女性として誇らしく、心から「尊敬」します。お名前を公表したいのですが、許可をとっていないので、「H」さんとさせて下さい。私が退院する時には、感謝の言葉とともに、しっかりハグしました。

    武枝)そうなんだ!本当に素晴らしい出会いがたくさんありましたねえ。

    そんな方々に巡り合うことができた話や、新たな命を生き直すエネルギー漲る成田さんの言葉を聴いていて、子供のころに見たドラマの中の、記憶に残っている台詞を思い出しました。TBS制作「七人の孫」(第1回は1964年~)という、森重久彌が演じる明治生まれの祖父と大正生まれの父母、そして七人の子供からなる大家族が織り成すホームドラマで、調べてみたら、最高視聴率33.3%、脚本・向田邦子と演出・久世光彦が売れっ子になるきっかけになった作品だそうです。そのドラマの中で、森重久彌が孫たちに言ったこの台詞なのです。

     「信じられるあまりにも大きな命を生きよ!」

    その時は意味がよく分からなかったのに、この台詞を私がずっと記憶に留めようとしたのも不思議ですが、成田さんとの会話を通じて、その深い意味を実感し、理解できたこと、そして、私はこの時のために、その台詞を覚えていたのかあ、と思うと感慨深いです。

    成田)あ〜!深い台詞ですね〜。「信じられるあまりにも大きな命を生きよ!」ゆっくり声に出して復唱させていただきました。そしてその台詞を覚えていらしたという武枝さんが素敵すぎます。言葉もまた「生きもの」。ある時、心に刺さった言葉の種が、時を経て芽を出し、必要な時に花を咲かせるのでしょうか。歳を重ねてこそ味わえる感慨ですね。

    さて、そうこうしているうちに治療も終盤です。最後の頑張りから退院までをお話ししますね。

    武枝)あっ、また大変なひと踏ん張りがあるのでしょうけれど、これからは聴くのも今までと違って気が楽かな。

    成田)ぜひ、気を楽にして聞いてください(笑)。ただ産道は決して楽な道ではありませんでした。この頃の私は、体力的には一番きつい状態でした。放射線で、焼けた頬の皮膚が剥けて痛み、耳もかなり聞こえづらくなっていました。そして口内炎だらけの口の中は唾液も無くなり、すぐに舌が上顎に張り付いてしまいます。鼻から喉の粘膜も焼けただれ、痛みで食事をとることも困難になって、体重は入院時から10キロも落ちました。

    痩せることなんて、ある意味簡単なことですね。食べられなくなるとあっという間でした。こうなると、自分でも目に見えて容姿の変化がわかります。Mサイズのパジャマのウエストがぶかぶかになり、半袖のTシャツから覗く二の腕がしわしわにたるみ。浴室で鏡に映る体を見て「これ、誰?」と思うくらいガリガリに痩せていました。また、抗がん剤はじわじわと良い細胞まで殺し、頭髪だけでなく眉毛も睫毛も鼻毛も体毛の全てが抜け落ちてしまいました。

    免疫が落ちているため感染を避けて部屋で過ごす時間も長くなり、会いに来てくれる友人に「キャンセル」メールをすることも多くなりました。風邪の人、下痢をしている人は病棟には入れません。健康な人でも手洗いとマスク着用は義務付けられます。それほどデリケートな状態なんですね。でも、本人は、ここが「元気な産声を上げるため」の踏ん張りどころなのだろうと信じていました。

    武枝)気を楽にして聞ける、なんて言ったけど、とんでもない!今までで一番息が詰まりそうでした。成田さん自身、本当に限界に達していたと思います。体力は底を突きそうになっていた……のでしょうね。でも、成田さんは、限界ぎりぎりのこの時こそ「踏ん張りどころなのだろうと信じていました」とおっしゃる。まさしく“最後の一滴”まで実際に使うことになるのだろうと思うと、一瞬、目がくらみそうになりました。現実にそれを実行できる人が何人いるかって話ですよね。おそらく、大抵は手前で心が折れてしまうでしょう。

    成田)いや〜、私よりもっともっと長く過酷な治療を受けている患者さんはたくさんいらっしゃいます。何のこれしき!ですよ(笑)

    でも、そんな想いとは別に体力はぎりぎりだったのかな〜。今、この頃の自分を俯瞰すると、意識では自分の底力を信じつつも、体は踏ん張ることができなくなってきていたような矛盾した感覚が蘇ります。それが1番怖いことですよね。

    武枝)その矛盾した感覚をよくぞ告白して下さいました!それを聞いて、成田さんが、いかに細い刃の上で命をつないでいたかということがひしひしと伝わってきました。

    成田さんと同じように、いや成田さんよりもっともっと長く過酷な治療を受けている方がたくさんいらっしゃるのですよね。

    成田)そんな時、主治医のO先生からこんなことを相談されました。「成田さん、昨日のカンファレンスで、このまま成田さんの治療を進めるかどうか話し合いました。継続した方が良いという意見と、成田さんの体力が落ちていて、これ以上無理ではないかという意見が半々でした。あとは成田さんの意思次第です。」と。私が、「O先生はどちらの意見ですか?」と尋ねると、「僕は、再発させないためにも、今叩けるだけ叩いておいた方がいいと思いますが、やはり、成田さん自身の気持ちが1番大切だと思います」と。

    世間では、大事な判断を患者に委ねることをどのように受け取られるかわかりませんが、私は、ドクターと家族の話し合いではなく、本人がこうした会話の中心にいられることが、心から嬉しかったんです。もし再発したら同じ治療はもう効果がないそうです。私に残された次なる治療法は、「骨髄移植」だけだと聞いていました。その時はこの病院ではなく移植設備のある病院に転院になります。どこでどんな風に生まれ直すか、その後どんな生き方をするか、自分が決めなくて誰が決めるのでしょう。私は即答しました。「私なら大丈夫です!O先生のお考え通り、ここで最後まで叩いてください。」と。さらに言いました。「先生、私ね、クリスマスに退院して、その日シャンパンで乾杯しますから」って。O先生も「わかりました。一緒に目指しましょう!」そうして、治療は続行されました。

    あっ、武枝さんの辛そうなお顔が浮かびました。ちょっと笑える話をしますね。気持ちを楽にしてください(笑)

    武枝)残された最後の力を振り絞って生まれ直す場を自分で選択し、即答した成田さん!最後までドクターとの信頼関係に揺らぎがなかった成田さん!そしてこの段階でも私の気持ちを察して笑える話を、という成田さん!すべてに感動しています。

    成田)武枝さん、笑える話の前にもう一つ大切な話をしたくなりました。つい先日の定期検査で血液内科のO先生から、こんな言葉をいただきました。「僕は、成田さんとの信頼関係があってこその結果だと思います。僕を信頼してくれて嬉しかった。成田さんを見ていて病気を治すのは患者さんの力だと思いました」って。感動しました。医療のプロと患者がそれぞれの力を発揮してこそ大病に全力で立ち向かえるのだと改めて確信しました。

    でも、チーム医療を根付かせるには、患者の意識も変わる必要があると思います。そしてドクターと患者の信頼関係は、率直で前向きな会話を重ねて培われます。そのことを強く強く伝えたいです。結果がうまくいったから言えると思われるかもしれませんが、もし、結果が思う様にならなかったとしても、力を合わせて共に闘い抜いた実感があれば、私は結果の全てを受け入れ感謝できたと思います。

    武枝)そこですね。結果のよしあしが問題ではないのよね。どう生きるか、自分の可能性を精一杯出し尽くすかに力点が置かれている。結果がよくても悪くても、因って来たるところは自分という「自因自果」の強い気持ちが根本にあるのよね、成田さんには。

    成田さんが”真剣”を抜いて病気と闘った!そして、医療のプロたちは”真剣”を抜いて病気と闘う成田さんを助けようとして下さった!底力の使いどころだけでなく、真剣の使いどころ、ドクターと患者の信頼関係を築くことまで、身をもって示した成田さん。

    その真意が伝わらず、「結果がうまくいったから言える」という方がいらしたら、元プロレスラーの高田延彦さんにお願いして「出てこいや~!」と叫んでもらうことにしましょうか。

    成田)え〜!!突然高田延彦さん登場?いや〜、「出てこいや~!」と叫ぶその声は、武枝さんではないですか〜。私には武枝さんの声が聞こえてる気がしますけど(笑)

    武枝)ホンマやね。高田さんに頼んでいる場合ではない!

  • 2-9 去る髪、追わず

    武枝)坊主頭の写真、見ましたよ~ちょっとビックリです。頭の形が、坊主頭にぴったりのオーバル(長円形)ラインですねえ。不思議に、よけい色っぽいなあ。それに突き抜けた感が半端じゃない。

    成田)自分で見てもエネルギーを感じるので、しばらくスマホの待受画面にしていました(笑)
    自らの意思で坊主頭にした経緯をお話しする前に、治療の副作用について少しお話しさせて下さい。私の場合、抗がん剤を数種類投与しましたが、私が最も心配していた「吐き気」は全くありませんでした。今は、吐き気に関してはお薬の開発も進み、かなりコントロールできるようになってきています。私もドクターや薬剤師さんと相談し、抗がん剤を投与する前に錠剤と点滴で吐き気止めを処方してもらいました。お陰で3クールの抗がん剤治療中、一度も吐き気に襲われることはなかったんです。

    武枝)それは助かりましたね。医薬共に開発が進んで、少しでも副作用の負担が軽減されていくことは患者さんにとっての願いだと思います。

    成田)ただ、これも人によるそうなので、誰にも絶対無いとは言えませんけどね。強いお薬については、薬剤師さんが直接きちんと説明し、本人の不安や考えを聞いてくださいました。そして、投与が始まると、「吐き気がないか」「異常がないか」何度も顔を出して聞いてくださいます。「少しでも気になることがあれば、我慢せず、なんでも言ってください」と。
    もちろん、ドクターから想定される副作用についての説明は受けていました。
    個人差があるようですが、「抗がん剤で髪が抜けること、口内炎だらけになること」「放射線で鼻から喉の粘膜が焼けてしまうこと」は避けられないということは覚悟していました。喉の粘膜が焼けると、痛みで何も食べられなくなったこと、味覚や嗅覚を無くしたことについては以前お話しましたよね。
    でも、「髪が抜ける」ことについては、私は全然平気だったんです。痛くもなんともないですし、治療が終われば生えてきますから。一度「スキンヘッドの自分の顔を見てみたい」くらいに思っていました。

    武枝)さすが、このあたりの覚悟は成田万寿美の真骨頂ですね。

    成田)その髪ですが、抗がん剤投与を初めて2週間くらいで抜け始めました。少しずつパラパラと言うより、ある日突然シャンプーをしている時に、ゴソッと抜け落ちました。髪が指に絡み、その髪で排水口に黒い渦ができました。「来た〜!これか〜!!」って思いました。さすがの私も、その光景はちょっと衝撃でした。排水溝の髪を掃除し、浴室を出てドライヤーをかけると、今度は床が抜け落ちた髪で黒くなりました。なぜか、頭よりお掃除が気になり、すぐに看護師助手のHさんに連絡に走りました。「ごめんなさい!洗面所が髪の毛だらけになって…」と。

    すると満面の笑みで「お掃除はこちらでしますから大丈夫ですよ」と言っていただきました。ホッとして、初めて鏡でまだら頭の自分の顔を見て、笑ってしまいました。なぜ私は、こう言う時に笑うでしょうね。

    武枝)そうですね。でも、そんな時に笑ってられるから、心に余白ができる。いや、逆かな。心の余白部分が豊かだから、最終的にどんな時でも笑ってられる。それと、天性の遊び心の成せる業かな。

    成田さんがゴソッと抜け落ちた髪を見て、「来た~!」とひとりごちていたり、頭のことよりお掃除が気になっていたり、って、こんな言い方は世間的には顰蹙モノだけど、滑稽というか可笑しい。どんな時も、当事者の成田さんと、それを眺めている成田さんがいて、深刻なことにもちょっと隙間ができるからでしょうか。

    成田)そういえば、私はいたって真剣なのに、よく「成田さんて可笑しい!」って笑われることがあります。どこか喜劇的なんでしょうかねぇ。

    武枝)「私はいたって真剣なのに」という点が、まさしく喜劇的。

    成田)でも、この時お掃除してくださったベテラン看護助手Hさんの言葉で私の次の行動が決まったんですよ。「成田さん、抜ける髪への未練なんてさっさと水に流して、頭皮をしっかりマッサージしてね。いい髪が生えてくるから」って笑い飛ばすように言ってくださいました。聞き様によっては乱暴な言い方かもしれませんが、私は救われましたね!

    武枝)いいねいいね、その看護助手さん。伊達にベテランではない!

    成田)「そうだ男と同じ!去る者(髪)追わずだ!」変な例えですけどね(笑)そう思ったんです。抜けていく過程は、決して気持ちの良いものではありません。シャンプーのたびに排水口に溜まる髪を見れば私だって悲しくなります。「そうだ!それなら、抜ける前に自分の意思で剃ってしまおうと」思い立ったわけです。で、すぐに美容室に行って、「坊主頭」にしてもらいました。
    鏡に映った新しい?自分の顔を、私はすごく気に入りました。「ちょっと〜、私って三蔵法師のようじゃない!」って思ったくらいです。武枝さんが「得度をしたの?」なんて聞いてくださいましたが、ほんとに自分で言うのもなんですが、何かが吹っ切れたような、突き抜けたような、清らかな顔に見えました。

    武枝)やっぱり!あの坊主頭、スキンヘッドになった成田さんの表情は吹っ切れてます、突き抜けてます、そして清らかです。

    「ちょっと〜、私って三蔵法師のようじゃない!」って、ほんとですね。夏目雅子の演じた三蔵法師か、成田万寿美の三蔵法師か、うーん、どちらもいいですねえ。

    成田)その対比はすごいですね!!うん、負けてないかも(笑)

    以前、入院中に「産道日記」を書いていた話をしましたよね。翌年はちょうど還暦になる年でしたから、今は産みの苦しみの中にあって、退院したら新たな命を生き直すのだとイメージしました。すると、生命誕生のエネルギーのようなものが湧いてきたのです。坊主頭にしたことで、そのイメージはさらに明確になり、自分の顔が無邪気な赤ちゃんのようにも見えてきました。

    病院に戻った私は、帽子もスカーフも被らず、みんなに見せて一緒に大笑い。ドクター達は安心したように、「成田さん、イケてますね〜。かっこいいですよ」と。同室の皆さんも「隠しているより素敵ね〜」「似合う!可愛い」と笑顔で褒めてくださって、おばあちゃまも、「私も抜けて来たら、そうするわ!」なんてね。大笑いの大盛り上がりだったんです。なんだか嬉しかったな〜。自分をネタにみんなを笑顔にしたい性分は関西人のDNAかしらね。そして誰より私自身、受け身では無く、自分の意思で坊主にしたことで、ググッとエネルギーが高まるのを感じていました。

    武枝)万歳!万歳!万歳!名刀・正宗ばりの切れ味です。

    成田)武枝さん、「髪は女の命」なんて、いつの時代の価値観でしょう。
    「女にとって髪が抜けることは悲しいこと」というのも、誰かに刷り込まれた思い込みではないでしょうか?「髪が抜けることを悲しむのではなく、元気な髪が生えてくることを楽しみにする。」私は、そんな気持ちが病気と闘うエネルギーになったと感じました。放射線で焼けた頬の皮膚も、抗がん剤で髪が抜けた頭皮も、ちゃんと新陳代謝を繰り返している。私たちの体はすごいのです。
    2015年11月14日を、私は「成田万寿美坊主記念日」といたしました。

    武枝)まさしく、ここでも先手を打ちましたね。
    「刷り込み」による思い込みって、自分をもっと生かせる選択肢を自ら制限している気がするんですよね。思い込みから解放されると、小さな発見の楽しみがごろごろ転がっているのにって。私などは、人の言うことを鵜呑みにできない体質なので、周囲からの押し付けをいかにかわして生きていくかが、若いころのひとつのテーマでしたが。

    成田)私も、若い頃から大人が言う一般論や常識とされている考え方、例えば「こうあるべきだ」「こういうものだ」「こうしなければならない」というような、誰かが作り出した価値観の枠にハメられることに、強い抵抗感がありました。誰もが同じように感じるはずがないのにね。体制に合わせなきゃいけないようなムードって、今もありますよね。
    「抗がん剤で髪が抜けること」も、女にとって「悲しむべきことだ」と思われていますが、私は「本当に?」って思ってたんです。なかなか口には出せませんでしたけれど。

    武枝)そうですね。いちいち「本当に?」と口に出していたら、ただの天邪鬼としか受け取ってもらえませんものね。だから、枠にハメられることを避け、押し付けに従うこともせず、長年かけて、自分の中で「こうありたい」というものを積み重ねていったように思います。

    成田)自分が体験したことで確信を得て、堂々と発言することができるようになりました。「成田さん、髪が抜けることは覚悟してください」と気遣ってくださるドクターに、「全然平気ですから」って言える私がいました。でも、実際に自ら坊主にした私の笑顔を見るまでは、ドクターもそれが本心だと信じてらっしゃらなかったでしょうね。

    武枝)でしょうね。やる人だとはかねがね思ってはいたけど、本当にやってくれました!って、ドクターも内心仰天したことでしょう。

    成田さんの、その突き抜けた自由な発想と行動力は、多くの女性が抗がん剤による脱毛を“隠してきた”歴史を塗り替えるんじゃないかしら。抗がん剤を投与された女性はウィッグを利用するのじゃなく、スキンヘッドにしてしまうのが当たり前になっているかも。

    成田)そうだと素敵ですね。生きやすい社会になると思います。

    人に対して、自分と違う容姿や体験を「可哀想」と思うのは本当に失礼な話です。私は絶対そんな風に思われたくないです!

    武枝)ホント、失礼千万です。「可哀想」と思ってあげることが美徳のように思っている方に、切に訴えたいことですね。

    成田)そういう方の中には、ご自身のことも、「可哀想な私」とか、「辛い目に合っている私」と思い込む傾向があるようにお見受けします。「本当にそう思う?」って聞きたいです。少し捉え方を変えれば、というか、もっと自分の心に正直になれば、そこには「楽しい発見や喜びや笑い合えること」がたくさんあります。

    それとね、私は、病名を伝えた時に泣かれることが1番苦手でした。まるでもう戻ってこないみたいじゃないですか(笑)
    また、「私の知り合いも同じ病気になったけど、今は元気よ!だからきっと大丈夫よ〜!」これもよく言われましたが、正直いうと響かないんです。
    私自身病気になって知ったことは、同じ病名の「がん」でも誰一人同じタイプはないということです。患った年齢、腫瘍のできた部位、大きさ、その性質、本人の体力や精神状態などによって一人一人治療効果も違います。誰かと比較してひとまとめに言えないのです。だから、私は退院するまで必要最小限の人にしか話しませんでした。
    聞いた方も、なんといっていいか言葉の掛けようがないですもんね。
    逆に、嬉しかったのは、「あなたの底力を信じてる」「ずっと愛してるよ」「一緒に仕事できる日を待ってるよ」などでした。私が主宰する「笑声®会」のメーリングリストに初めて報告した時も、私は、「成田万寿美の底力を信じて待っててね」と書きました。すると、「また一緒に飲もう!信じて待ってるよ」とか、「万寿美さんは心は誰より健康ですよ!」なんて言葉が嬉しかったな。言葉というものは本当に大切です。愛ある言葉をかけてくれる仲間がいることを心からありがたく思いました。響く言葉も人それぞれかもしれませんけどね。

    私は病気を通して、自分が大切にしていることを確認でき、これまで感じてきた違和感や生きづらさを手放すことができたんです。今の私は、自分を信じる気持ちに迷いがないので、生きることがとても楽になりました。

  • 2-8 大部屋の同志たち

    武枝)成田さんは人と話すことで元気になり、人は成田さんと話すことで気分が晴れ、「私も成田さんみたいになりた~い!」と思う。これって、いい循環ですね。患者さんの中にも、成田さんに感化されていった人がたくさんいたんじゃないかなあ。

    成田)感化というほどではないと思いますが、有難いことに、「あなたと同じ部屋でよかった」と何人かの方に言っていただきました。それで、私もまた元気をいただいていたのですけどね。

    私は、一人での入院でもありましたから、寂しい個室より、賑やかな6人部屋を選びました。6人部屋にも色々あって、ナースセンターに近いお部屋は重篤な方やご高齢の方が多く、私たちの部屋は、意識がしっかりしていて、薬の管理や自分のことは自分でできる人たちの部屋のようでした。私なんか、洗濯も病棟のコインランドリーでしてましたからね。同じ部屋の人とも、体調の良い時はよく話しました。少し部屋の中での様子をご紹介しますね。

    武枝)「私は、一人での入院でもありましたから、寂しい個室より、賑やかな6人部屋を選びました」というのも、成田さんらしいなあ。病いの中にあっても、元気部分を交換し合って、少しでも楽しい時間にして盛り上げましょという感覚ですね。病室でも、新局面を創り出すチャンスメーカーっぷりを発揮したのでしょうね。

    成田)私がいた6人部屋は、短期間で退院していく人が多くて、あっという間に私が最古参になりました(笑)新しい人が入ってらっしゃると、私は部屋の入口のネームプレートを見て、お名前を覚えるようにしました。そして機会があると「〇〇さん。成田と言います。よろしくお願いします」と話しかけました。名前を呼び合えば人はあっという間に仲良くなります。互いの病気や検査について情報交換したり、たわいない話をしたり、時にはご家庭での気がかりもお聞きしました。その頃の私は、体調に波がありましたが、気分の良い時、仕切りカーテンを開けていると、誰かが話に来てくださいました。女性はみんな話好きですね。

    武枝)大体は周りに遠慮してカーテンを閉め切るのだけれど、成田さんのような最古参!がオープン・マインドで接してくださると、ありがたいと思うなあ。しかも、成田さんは人の話を聴くプロでもあるし、辛いことも皆さん吐き出すことができたでしょう。

    成田)お隣の老婦人は、「いつ退院できるか」ばかりをドクターに聞いていらしたので、ある日「ご心配ごとですか?」と声をかけると、ご主人が重病で他の病院に入院されている中、ご本人が心臓の発作で倒れ、ここに担ぎ込まれたとのでした。「ご心配ですね。でも、ご主人のためにも、まずは奥様が元気にならなきゃですね」と言っただけなのですが、退院して行かれる朝、私にこう声かけてくださいました。「若いあなたに教えられました。まずは私が元気でいなくちゃね。あなたのご快復を心から祈っていますよ」と。老老介護の現実を見た気がしました。今頃どうされているかな。

    武枝)自分が心臓の発作で倒れていても、ご主人のことが気にかかる奥様。そんな方だからこそ、成田さんに「ご心配ですね。でも、ご主人のためにも、まずは奥様が元気にならなきゃですね」と言われただけで「若いあなたに教えられました。まずは私が元気でいなくちゃね。」って、すっと考えを前向きに修正できるのでしょうね。

    成田)また、ある女性は、ペースメーカーを入れたくないと悩んでらっしゃいました。ご主人が「また発作が起きる前に、このまま入院して機械を入れてもらえ」と命令口調の大きな声でおっしゃるのに対し、「一度退院して考えさせて」と小声で訴える奥様の不安げな声が、聞こえてきました。そのあと、一人で談話室に座ってらっしゃる姿をお見かけし、思わず「ごめんなさい、ご主人との会話が聞こえちゃった」と話しかけると、「怖いんです。すぐには決心つかなくて」と。そこで…、

    成田「ご主人はどうしてあんな風におっしゃるのかしら?」

    Aさん「また私が倒れると困るからでしょう」

    成田「もしペースメーカーを入れたら何が出来るようになりますか?」

    Aさん「そうね…これまでのように主人と旅行に行けますね。あっ!主人もそう思っているのかしら!!」

    その後、Aさんはご主人ともう一度ゆっくり話され、一度退院して、改めてペースメーカーを入れることにしたこと。ご主人と旅行に行く話をしたことなど笑顔で話してくださいました。「成田さんのおかげで覚悟が決まったわ」と。こういうのお節介というのかもしれませんけど、嬉しかったな。今頃、夫婦旅行を楽しまれているかしら。
    また、妹さんが毎日付き添いに来られていたご婦人は、退院の日にハグしてくださいました。「あなたに元気をもらったわ。ありがとう。成田さんも早く良くなってね!」と。こちらこそ「ありがとうございます」なのです。

    私は病院で、患者さんの数だけ様々な人間関係や人生があることを垣間見せてもらいました。そんな女性たちと、何かのご縁でひと時を同じ部屋で過ごし、元気になって元の生活に戻られる姿を見送る瞬間が、大好きでした。私こそ、退院して行く皆さんから、元気を一杯いただいていたのです。

    武枝)ビジネス&パーソナルコーチは本当に成田さんが自分で見つけ、築き上げた天職なんだなあって、改めて思いましたよ。病室での成田さん、笑声のレッスンやコーチングをしている成田さん、私はその場に居合わせてはいませんが、本質的に同じですね。相手の気持ちのいい方向に、ハッピーに近づくように、その人の長所を最大限発揮できるように、自然にリードしてる。そして、目の前の人が気持ちよく、前向きに、ハッピーになっていくことが成田さんのエネルギー源にもなっているんですものね。

    成田)でもね、笑顔で退院して行く人ばかりではありません。ご高齢で、施設から入院して来られ、また施設からお迎えが来て戻って行かれる方や、遠くに住む息子さんに迷惑かけたくないからと、一人で闘病している方もいらっしゃいました。一人暮らしに戻る不安を抱えたままの退院に笑顔はありません。退院の日、お迎えもなく、たくさんの荷物を持って一人タクシーで帰宅される方を、エレベーターホールまで付き添い、ドアが閉まるまで手を振って見送りました。こういう時は少し切なくなります。「より良き人生を!」と願わずにいられませんでしたよ。

    武枝)ホント切ないですね。だけど、成田さんにお見送りしてもらったこと、どんなに慰めになったことか!その方の心の宝物入れに仕舞われたことでしょう。

    成田)そういう私も人ごとではありませんけどね。これからは、ますますシングルが増えるでしょう。一人暮らしの高齢者が病気になった時、受け入れてくれる病院は多くはありません。まずは、「身元引き受け人」と「支払い能力」がなければ入院もできないのです。このことは、社会的な緊急の課題だと感じています。

    武枝)そうですねえ、私にとっても他人事ではありません。先ほどのお話のように、息子さんに迷惑をかけたくないからと一人で闘病していらっしゃった方もあります。私は、そんな風に気丈に明るく闘病できるか、まったく自信がないけれど……

    成田)大丈夫!私が笑えるネタを持って参上しますよ。もしお先に失礼していても、天国から夢に現れて笑わせますからね〜。

    武枝)ワォ!心強いわ!頼りにしてるからね~。なんてことを気軽に言い合えるって嬉しいですね。元気な時も、病気の時も、いかに在るか、それは成田さんがすでにずっと自分に問い、実行してきた、いや、今もやり続けていることですよね。そして、病気になっても、生きるスタンスはぶれない。病室の人たちを元気にし、笑顔にし、その上更に、今回こうして、どんな状況でも明るく前向きにできるヒントをいっぱい公開してくださっている!

    成田)そんな風に言っていただくと、目頭が熱くなってきました。なんだか自慢話みたいだったかな〜と心配していたところでした。でも、決して自慢ではないです。

    武枝)自慢話だなんて!とんでもない。よくぞそこまで!と驚くばかりです。

    成田)日常から離れ、ただ命と向き合っていた病院での時間は、「生(いのち)への感謝」を感じていた時間でもありました。だから、そこで出会う人とは、同志のような気分になるのかもしれません。中には長い間カーテンを閉めたままの方もいらっしゃいますが、少し体調が良くなり、初めて一人でトイレに行かれる姿を拝見した時は、こちらも嬉しくなるんです。また1日の多くの時間をふさぎ込んでいらっしゃる方も、お孫さんがお見舞いにいらっしゃると明るい声で話されます。そんな様子を見聞きし、それぞれのカーテンの中で、みんな笑顔になっていたと思います。私は俄然、個室より大部屋をお勧めしますね(笑)

    大部屋のありがたさを実感したエピソードを、もう一つ紹介させてください。それは、私が自ら「坊主頭」にした時のことです。

    武枝)エッ?「坊主頭」って?病院でですか?入院中、得度をしたの?それはないよね(笑)成田さん、坊主頭、似合いそう~以前、化粧品のCMに坊主頭で登場したモデルの女性がいたよね。アイコニックって名前だったかな。成田さんの坊主頭、見たかったなあ。

    成田)自分で言うのもなんですが、すごく似合いましたよ!みんなに見て欲しくてブログに写真をアップしたくらいです(笑)武枝さんも見てくださいね。

  • 2-7 ”魔法の言葉”にいやされて

    成田)先ほど、車椅子の私に「今日は患者みたいだね」と声をかけ、私が「患者だよ〜」と軽口を返して笑い合ったドクターのことを、もう少し紹介させてください。いつも素敵な言葉で、私を笑顔にしてくださったこのドクターの人間的魅力を、「ドクターF・マジック」と名付けました。それは時に薬より心によく効きました。

    武枝)私も、そのドクターのこと、もっともっと聞きたいと思っていたのです。なんだか、映画のワンシーンみたいに、成田さんの闘病の光景にフレーム・インしていらっしゃる気がします。さすが、心臓のご専門だけあって、ハートを見事に掴む!!(下手なシャレでごめん)

    成田)武枝さん、下手なシャレどころか、まったくその通りですよ!このドクターには、私の心臓を隅から隅まで覗かれてしまいました(笑)。はじめてお会いしたのは、私が談話室で、お見舞いに来てださった編集者さんお二人と話していた時です。「循環器のFと言います。成田さん、今いいですか?心臓のカテーテル検査についてご説明したいのですが・・」と。やはりこのドクターも明るく気さくな印象でした。
    私は、帰ろうとされる編集者さん達を引き止め、一緒に聞いてもらうことにしました。すると、ドクターの優しい口調と、手元の図を見せながらの説明が実にわかりやすかったので、3人共言葉をなくし、ただただ感服しながら聞き入っていました。そのあと私は、リスクも含め、納得して同意書にサインをしました。

    武枝)この時の成田さん、自分が患者の立場ではなく、編集者さんと同じ立ち位置で、ドクターの説明を聞いていますね。ここにも自分を俯瞰している成田さんがいる!成田さんの俯瞰力と同時に、患者さんをそうさせるドクター・マジックもありますよねえ。その4人が膝を突き合わせている光景は、心臓のカテーテル検査の説明だなんて周りからは到底見えないでしょうね。なんか、楽しい相談でもしているのではないかと。

    成田)お見通しの通りです。全体を俯瞰する癖は昔からありましたが、生放送で鍛えられた部分もあるかもしれませんね。その時の談話室全体の様子も、編集者さん達の表情も、ドクターの声も、録画を巻き戻して観るようにはっきり思い出すことができます。真剣かつ楽しげに仕事の打ち合わせをしているような光景だったかもしれません。

    話が少し逸れますが、この病院が私にとって有り難かったことの一つに、手術や検査をする際の同意書のサインは、本人一人で良いという点にもありました。私のようなシングルは、いちいち身内を遠方から呼べませんし、私は親にも病気のことは内緒にしてましたからね。自分で全ての書類にさっさとサインしました。そのことも、自分が尊重されているような気がして嬉しかったですね。

    武枝)こういう細かい部分についても、一人一人の立場を尊重する、QOLを大切にする精神基盤が病院全体に行き渡っているのですね。

    成田)もちろん未成年者やご自身で判断できないご高齢の方の場合はまた違うでしょうけれどね。私の場合は、一社会人として信頼してもらえたようでありがたかったです。ただこれからの時代は、高齢のシングルがますます増えていきます。私は入院中、多くのシングルウーマンの現実を見ました。このことについてはまた改めてお話しさせてください。

    話を戻しますね。その循環器のドクターはカテーテル検査の説明を終えた後、こうおっしゃいました。「僕はいつも病棟をウロウロしてまいすから、気になることがあったらいつでも声かけてくださいね」と。もう胸キュン!ですよね。ドクターが去った後、編集者さん達の目もなぜかキラキラ。「あんな素晴らしいプレゼンを聞いたことがないわ。良い先生ですね。説明がわかりやすいだけではなく患者を思うお人柄が伝わって来ました。」と感動されていました。なんだか嬉しくなって、お二人の言葉を、後日ドクターにもお伝えしました。ちょっと嬉しそうに見えましたよ。その様子を見て私もまた楽しくなりました。私って褒め名人なんです(笑)武枝さんも…そうですよね(笑)

    武枝)病棟をうろうろしているドクター、素敵ですねえ。私が褒め名人かどうかは疑わしいけれど、本人の気づいていない素晴らしい部分を見つけることは楽しいし、私の趣味の領域かもしれません。

    成田)趣味の領域かぁ!確かに武枝さんは、人間観察力が半端ではないと思います。相手の本質や言いたいことを瞬時にキャッチする感性がすごい。それは、誰でもできることではなく、趣味の領域だからこそ楽しくできるのですね。納得しました。私もその昔、生放送の司会者として、武枝さんに気持ち良く踊らせて頂きましたからね。あの頃、まだまだ自信のなかった自分を鼓舞できたのは、近くに武枝さんの存在があったからだと改めて思います。

    さて、心臓のカテーテル検査の日が来ました。足の付け根の血管から心臓までカテーテルの管を通しますが、局所麻酔なので、ドクター達の会話も聞こえています。「あっ!」とか「えっ!」とか言われるだけでドキドキしました。そして、検査を終えて、足の付け根の針を抜いた後、ドクターFが、「女性だからアルコールで拭かないであげてね。しみるから」と指示する声が聞こえてきました。なんだか照れくさくて、「先生、私は今お酒を飲めない体ですから、せめてアルコールを浴びせて〜〜!」と、冗談を言ってしまいました。
    すると、「成田さんと一緒に飲んだら面白そうだな〜」と会話に乗ってくださるドクター。手術室に笑い声が溢れホッとしました。それから、ストレッチャーで部屋に戻りますが、F先生も付き添ってくださいました。そのことに驚いていると、看護師さんが、「F先生はいつも、患者さんを部屋まで送って下さって、本当にありがとうございます」ってお礼を言われてました。スタッフにも信頼されてらっしゃるのですね。

    患者さん達の人気が高いことも後で知りました。その移動中の短い時間に、ドクターは世間話のつもりなのか、こんなことをおっしゃいしました。「成田さんは、耳鼻科のI先生の紹介ですよね。いい先生でしょう?」「はい、会話も楽しいですしね」「尊敬するな〜。I先生は頭がいいんだろうな。本当のインテリはユーモアがあるんだよね」って。私は、なぜかこの会話が深く記憶に残っています。F医師の目指されているところが、なんとなくわかったような気がしました。

    武枝)ああ、そういうことかあ。病棟をうろうろしているF医師に、私はすでにユーモアを感じています。そして、自分の配慮を人に気づかせないさりげなさにも、ちょっとしびれます。

    で、カテーテル検査ですが、管を通す間の何時間も身動きしてはいけなくて、それに耐えられないって、ある受検経験者に聞いたことがあります。経験豊かなドクターならいいけれど、経験の乏しいドクターの練習台になった時は悲惨だったって。それで、結果はどうだったのですか。

    成田)結局、カテーテル検査では心臓の異常は見つかりませんでした。そこで、今度は、口から消化器にカメラを入れて、心臓を裏から見るという検査をすることになりました。この頃、私は口内炎がひどくて、喉の粘膜も焼けて真っ白になっていましたので、この検査はとても辛いものでした。涙をポロポロこぼしながら検査に耐えた私に、F医師は、肩をトントンしながら、またこんな優しい魔法の言葉をかけてくださいました。「成田さんは、顔だけじゃなくて、心も心臓も綺麗でしたよ」って。まいったな〜!笑顔になっちゃいますよね。本当に、「ドクターF・マジック」なのです。

    武枝)ひや~!羨ましい。☆

    成田)さらにその日は、もうお一人、私に寄り添い気遣って下さったドクターがいらっしゃいました。血液内科の若い女性医師です。以前お話しした、緊急入院の時に迎えて下さったあのドクターです。こうして、いつもチームで見守って下さっていることが、私にはどれほど心強かったことでしょう。この女性ドクターも毎日病室に様子を見にきてくださいました。女性同士ということもあり、気になることをなんでも話しました。また、病気以外に、結婚観などについても話しましたよ。

    その女性医師は独身で、お休みの日には猫カフェで癒されているということも知りました。ドクター達の、常に緊張感を伴う過酷なお仕事ぶりを拝見していると、ドクターも癒しの時間が必要だろうな〜なんて思いました。こんな、たわいない会話も、とても楽しい時間でした。あっ!そうそう、もうお一人、血液内科チームのイケメンドクターをご紹介しなくちゃ!

    武枝)あらら、入院中の話を聞いているのに、このワクワク感は一体何なのでしょう。先ほどから、感嘆詞ばかり。

    成田)でしょ!でしょ〜!その若きイケメンA医師は、私の主治医を補佐するお立場で、私のベットにも「主治医」の名前と共に、「担当医」として名前が書かれていました。出会いは入院前です。初めて脳のMRIを撮った時に、造血剤の注射をしてくださったドクターが、「血液内科のAと言います。よろしくお願いします」と丁寧に挨拶をしてくださいました。その時、お顔はマスクで見えなかったのですが、優しいお声が印象に残っていて、お名前を覚えていました。だから、入院してお目にかかった時にすぐにわかりましたよ。イメージ通り、素敵なドクターでした。そのA医師も、よほどのことがない限り朝夕病室に来てくださって、私の気がすむまで話を聞いてくださいました。痛みや薬のことなど、いつも体調を見ながら一生懸命考えてくださいました。

    談話室でプリンを食べている私を見かけると、「おくつろぎのところ失礼します。今いいですか」と声かけてくださったり、少し遅い時間には「成田さん、今日は外来が混んでいて遅くなって失礼しました。ご気分いかがですか」と、もう帰宅時間なのに、私服に着替えてからでも顔を出してくださいました。「おしゃれなジャケットですね!」とお伝えすると、「妻が選んでくれたものです」なんて。そんなちょっとした会話に癒されていました。A医師はどの患者さんにも一人一人丁寧に話しかけられていて、その声を遠くで聞いているだけでも癒されました。声は目に見えませんが、重要なノンバーバル(非言語)コミュニケーションですよね。

    武枝)本当にそう思います。誠意は目に見えないけれど、声が伝えてくれるんですね。美辞麗句ではなくて、ね。

    成田)はい。言葉は時に嘘もつきますが、声は正直だと思います。ある時、「先生は患者さんに人気あるでしょうね!」とお尋ねすると、「いえいえ、ダントツ1位はO先生(私の主治医)です。F先生(循環器科)も人気あります。見習うことが多いです。私はまだまだですよ」と。ふふっ!ドクターも人気を気にされているのかしらね。一度、主治医のO先生に「この病棟のドクターはみなさん明るいですね!」とお伝えしたことがあるのですが、「血液内科では、とにかく患者さんには、明るく接するように言っています。患者と医師である前に、人対人ですから」とおっしゃっていました。

    武枝)そこですね。心地のいい環境を作り出している根本は。

    成田)自分が患者の立場になってみると、明るく接していただけることのありがたさを痛感しました。でも、一番明るいのは、そういう主治医のO医師でした。廊下から「成田さ〜ん」と明るく元気な声が聞こえて来ます。「女性は着替えなどしているかもしれないから遠くから声をかける」のだそうです(笑)こんな血液内科チームのドクターをはじめ、循環器科のFドクター、薬剤師さん、看護師さんに看護助手さんも代わる代わる様子を見にきてくださって、いつも病室は賑やかでした。

    同室の患者さんから「先生たち、成田さんのところにいらっしゃる率が高くないですか」と言われたことがありますが、そんなことはありません。楽しげに話していたからでしょうかね。だって私は、患者さん人気ランキングトップ3のドクターに担当していただいてたのですから、贅沢の極みですよね。

    武枝)”逆ハーレム”だあ~!
    「前髪たらりん」のことがあって、ますます「チーム成田」の医療スタッフの素晴らしさが光り、有難さも一層身に沁みたでしょうね。

    成田)入院中の私は、痛い時は「痛い〜」と言いながら笑い。怖い時も「マスクメロンに行ってきま〜す」と言って笑い。「プリン食べられた〜」と言って笑い。先に退院していく人を心からの笑顔で送りました。そうしていることで私は元気になれました。「どうせなら楽しく過ごしましょ。」精神ですね!つくづく私は、人と話すことで元気になる人間のようです。

  • 2-6 覚悟が決まれば楽しめる

    武枝)ふう~大きな深呼吸をしないと……まだ、放射線治療の話が始まったばかりですよ~これからまだまだ他の治療も並行して行われるというのに、それに、副作用も……、考えるだけで気が遠くなりそうです。そもそも、私は放射線治療を受ける場所が「地下二階」と聞いただけで震え上がっているのですから。駄目ですねえ。成田さんは、苛酷な治療を受け、副作用に苦しみながらも笑顔を絶やさず、冗談まで言って同じ病気の人たちを和ませ、励ましているというのにねえ。

    そんな成田さんに、副作用による血豆と口内炎でポロポロとめくれた皮膚を冷やすようにと、お母さんが溜めていた保冷剤をくださって、「私こそ、いつも成田さんの明るい声に励まされているんです。ありがとうございます」と言ってくださった同室の30代くらいの女性の声はピッコロの囀りよう!「成田さんは、どんな時も笑顔で来てくださってすごいですね。ありがとうございます」って涙してくださった放射線治療室の看護師さんの涙はハープの音色の滴りのように、私の心に沁み込んで、ようやく正気に返りました。私が、成田さんからエピソードを聞いて慰められてどうするって話ですけどねえ。

    はい、気を取り直して、続きを聞くことにします。成田さんの患者力の見せどころを!

    成田)武枝さん、こうして振り返っていると、変な言い方ですが、「結構きつい治療をしてたんだな〜」なんて、今ちょっと人ごとのように感じています。そういえば、私の中には、自分を俯瞰するもう一人の自分がいて、何かあると会話しているみたいなんです。

    「あなたどうするの?」と一人が聞けば、「なるようにしかならないでしょ!」という声が聞こえます。「じゃあ、どうせなら楽しく過ごしましょ」なんてね。
    私には、覚悟が決まれば、そこに楽しみを見出そうとする特性があるようです。だから緊張感ある報道生番組もどこかで楽しめたのかな。もっと言うと、人生に起こる様々な苦しみや悲しみの中でも、もう一人の私は何かを楽しんでいるような気がします。それは、「覚悟」「楽観」それとも「開き直り」でしょうか?この私の特性が、今回は「患者力」となって自分自身を助けてくれたようにも思います。あくまで自己分析ですが(笑)

    武枝)そうそう、自分のことなのに、他人事のように感じるって!私も多少その傾向にあるので、よく分かります。一般的に“きつい”という状況であるほど、そういう感覚になりがちですね。その代わりに、喜びとか楽しさは自分の内部で人一倍膨らんでいく!だからきつい部分は外部に掃き出されてしまうのかもしれません。

    といっても、私が経験したきついことは、成田さんの今回の病気で味わったことから比べたら、大したことではなかったなあと痛感します。

    こんな状況でも「じゃあ、どうせなら楽しく過ごしましょ。」と、成田さんの持ち味を発揮することに衝撃を覚えますが、これからのきつい話も、成田さんがどんな風に楽しんでいたのかという醍醐味に変換して聞けそうですね。

    成田)よかった(笑)。では、もう少し治療の話を続けますね。放射線治療と並行して、3クールの抗がん剤投与を受けました。1クールとは、3日間点滴による抗がん剤投与を受け、4日目は体に残った余分な抗がん剤を流すために、1日かけて点滴で血管に水を流します。良い細胞へのダメージをできるだけ少なくするためです。ここまでを1クールと言います。でも、 その後1週間ほどの免疫抑制期間が最も危険なんです。

    良い細胞を殺し白血球も少なくなった体は、様々な細菌に感染しやすく、風邪やホコリにも気をつけなければいけません。血液内科病棟では、1日2回看護師さんがシーツのほこりをコロコロしたり、ベッド周りの除菌掃除にいらっしゃいました。この間はお見舞いはご遠慮いただき、部屋の中でも24時間マスク着用です。そうして体調の安定を待って、また同じ過程を繰り返します。初めて抗がん剤を投与した日はとても緊張しました。「いよいよですね!頑張りましょう。気分や体調に何かあったら、我慢しないですぐに伝えてください。」とのドクターの言葉に、「これからどんなことが起こるのかな?」ってドキドキでした。
    まず、抗がん剤点滴用の少し太い針を左手首より少し上の血管に刺し、薬剤師さんから投与される薬の名前と効果、想定される副作用についての説明を聞きました。そして吐き気止めの点滴と錠剤を飲んでから、いよいよ抗がん剤の投与が始まりました。強い薬が体に入ってくることは不気味なものです。「頑張れカラダ!」って自分に声をかけました。

    この間、心電図の装置を首から下げて24時間心臓を見張ってもらっています。トイレに行くときも、点滴と心電図の装置を引き連れて行かなければいけませんし、トイレのたびに尿は全て自分で採取し、指示された機械に入れます。どのくらい尿が出ているかや腎臓の様子も検査しながらなのでしょうね。一つのお薬の点滴が終わるとサイン音が鳴りますので、ナースコールして次の薬剤に変えてもらいます。

    点滴の間は、チューブを伸ばしておかなければいけないので仰向けで眠らなければいけません。熟睡はできませんでした。こうして朝10時くらいから深夜まで点滴は続きます。ようやくその日の分の投与を終えると、腕の針は刺したまま、点滴の機械だけを外し、やっと自由に寝返りをして眠ることができました。
    翌朝は6時に起床し、朝食を食べて、「マスクメロン」の呼び出しを待ちます。そして部屋に戻るとまた抗がん剤投与でベットに張り付けです。決められた時間に薬も飲まなければいけませんし、患者はなかなか多忙なのですよ。

    1クールの抗がん剤投与が終わり免疫抑制期間に入ると、白血球を増やすための皮下注射をします。ところが、ここで想定外のことが起こりました!白血球が一気に増えすぎて、腰に激しい痛みが出て動けなくなったんです。入院直後に骨髄を採取したのですが、丁度そのあたりから白血球の赤ちゃんが生まれてくるようで、まるでギックリ腰になったような激痛でアレヨアレヨと言う間に動けなくなりました。「何これ〜!!」って泣き笑いしてしまうほど情けない姿でした。
    そんな時も放射線治療に行かなければならず、初めて車椅子で連れて行ってもらった時、廊下ですれ違った循環器内科(心臓)のドクターが、「あれ?いつも元気な成田さんが、今日は患者みたいだね〜」って笑顔でおっしゃるので、「患者だよ〜!!」と言い返した後に「イタタタ〜」って(笑)廊下にいた人はみんな笑ってましたけど。こんなやりとりもどこかで楽しんでいた私です。

    武枝)さすが!患者さんも患者さんなら、ドクターも百戦錬磨!笑わせてくれますねえ。

    そう言えば、私たちが一緒にテレビ番組の仕事をしていた時の周りのスタッフって、駄洒落を含めて言葉遊びやら何やら遊び心満載で、仕事をしているのか楽しんでいるのかの境界線がなかったよね。プロデューサーもディレクターも、自分が楽しいと思わないで作った番組は、見ている者も面白いはずがないとばかりに、エンジョイしていたように思います。

    成田さんの患者力って、自分を俯瞰できる視点以外に、どんなに厳しい治療の時も冗談を言って笑い声をあげ、そのよく鍛錬された美声で歌うように「おはようございます」と挨拶をする“笑声”と旺盛な“遊び心”が大きな源泉になっているのではないでしょうか。

    成田)そう言っていただけると嬉しいです。自分の声は自分の耳が聞いています。そして聞いたことを脳に伝達します。だから、辛い声で話すとますます辛くなり、悲しい話をすれば悲しくなるし、明るい声は周りも自分も明るくします。声と感情はつながっているという思いが私の源泉にはあります。

    武枝)ああ、その感覚なのよね。成田さんの人格形成の大きな要因になっているんだと思います。

    粗野な感情が丸裸のまま声に出るという恥ずかしい事態を招かないためにも、自分の声を自分の耳で聞き、脳に伝達し、感情をコントロールして笑いに変換できる大人にならなきゃあ、ですね。

    成田)だからドクターとジョークを言い合えば痛みが軽減し、同室のみなさんと笑い合えば、心が軽くなりました。そして眠れぬ夜は、スマホで笑える動物動画を観たり、外国のパロディー集を読んで過ごしていました。

    武枝)それですね。「じゃあ、どうせなら楽しく過ごしましょ。」精神の具体例その①は。
    私の本棚に、ロシアとユダヤのジョーク集がありますが、厳しい状況下にある国や民族の下で生まれるものと、大阪のギャグでは、同じ冗談でも違うなあって思います。

    そうそう、先日、日本経済新聞の書評の欄を見ていて、「人間はなぜ歌うのか?」(ジョーゼフ・ジョルダーニア著)に関するこんな記述に目を奪われました。「最新の脳科学では、人間が歌ったり音楽を聴いたりすると、生存上の危機に瀕した時と同じ脳の最古層が活性化することが分かっている」「歌は精神高揚に役立つ」「精神が高ぶると脳に強い神経物質が放出されて、痛みや恐怖がブロックされる」「熊が棲む森は歌いながら歩けと言われるように、歌う集団に肉食獣は近づかない」だって!これ、成田さんの患者力とピタリ符合して、思わず膝を打ってしまいました。

    成田)武枝さん、素敵〜!まさにそれですね。私も今、膝を打ちました。私も入院中、自分の感覚を裏付ける素晴らしい本に出会ったんです。ノーマン・カマンズの「笑いと治癒力」です。著者は、不治に近い難病を、「笑い」によって克服したジャーナリストです。人間の自然治癒力の可能性と、心と体の相互作用について書いています。それから、「笑い」についての書物を色々読むようになり、ますます自分の想いと一致して膝を打っていました(笑)。

    そもそも私たちは何のために笑うのでしょう。書物によると、嬉しいとき、おかしいとき、または敵ではないことを伝えたり、好意や謝意を伝えるためにも私達は笑うようです。人間は他の動物に比べて、視覚による伝達情報が効果的だからなのだそうですが、サルの社会にも、上位のものに向けた「劣位の笑い」があり、これが人間の「親和の表情」へと進化したとも書かれています。いわば、笑いは私達のコミュニケーションツールです。でも、もっと「笑い」のルーツを紐解けば、実は動物が誤って口の中に入れた毒物を吐き出す動作が進化したという研究報告もあります。そういえば、犬も変なものを口に入れた時、口角を上げますよね。これは体の自然な反応で、自然治癒行為の一つではないかというのです。

    それがいつしか「快感刺激」へと進化し、笑うことで、心にも良い効果をもたらしているのではないかと。私はまたまた膝を打ちました。病院でも、よく笑っている人は、心と体の毒素をたくさん吐き出しているように見えました。「笑い」の効用についての様々な文献や書物を読むにつけ、「笑顔でいること」「笑声(えごえ)で会話すること」の大切さを確信し、闘病中は意図的に実践しました。

    私は研究者ではありませんが、今、こうして元気でいるという確かな事実。闘病中に起こった奇跡を振り返り、「ユーモアや笑いの大切さ」について身をもって実感しました。私が提唱している「笑声」について確信を持つこともできたことは、病気からの大きなプレゼントだったかもしれませんね。

    武枝)「病気からの大きなプレゼント」と、病気も掛け算にして、人生の経験の豊かさに組み入れられるのも、「じゃあ、どうせなら楽しく過ごしましょ。」精神!具体例その②ですね。

  • 2-5 怒りも悲しみも笑いにかえて

    武枝)聴いているだけで息が苦しくなってきました。動くなと言われても、もし動いたら一体どうなるの?当てるつもりのない正常な細胞にも放射線が照射されてしまったら……

    そんな治療を受けながら、自分の恐怖心を紛らわすためとはいえ、マスクメロンなんて名前をつけて、周りを笑わせて明るくさせていた成田さんの心延えを思うと涙が止まりません。

    成田)武枝さん、マスクメロン治療は本当に不気味でした。確実に腫瘍を砕く一方で、良い細胞も痛めつけます。その副作用はじわりじわりと現れます。私の場合は、まず口の中の大きな血豆と口内炎でした。そしてだんだん頬のあたりがひどい日焼けのように赤黒くなってきて、そのうちポロポロと皮膚が剥けてきます。いつもガーゼに氷を包んで冷やしていました。「チークいらないでしょ!」なんて冗談を言いながら、シミが残ることを覚悟していました。

    そんな時にね。同室の30代くらいの女性が、小さな保冷剤を4つほどくださったのです。「母がケーキを買った時についてくる保冷剤を溜め込んでいるのを思い出したので、持ってきてもらいました」って。ありがたかったです。それから、こうも言ってくださいました。「私こそ、いつも成田さんの明るい声に励まされているんです。ありがとうございます」って。大きな病気と闘っている人は、みんな優しいと思いました。

    この女性は、私より先に退院されたのですが、後日、私のお見舞いに来てくださいました。

    でもその頃の私は、日中も眠っていることが多く、あまりお話しできなかったことが残念です。その日以来お会いしていませんが、お元気だといいいな。長い黒髪が素敵な女性でした。

    それから、放射線の副作用はますます厳しさを増していきました。次第に鼻から喉にかけての粘膜が焼け、喉の奥から食道にかけてむき出しの肉が真っ白でした。こうなると、もう食事は全く喉を通らず、水を飲んでも痛みました。その頃から味覚も全くなくなってしまいました。ペットボトルの水さえ生臭かったです。入院して1週間位は3食完食していた私も、治療を重ねるうちに食事が苦痛になり、出された食事にほとんど手をつけられなくなっていきました。

    「成田さん、お願いだから何か食べて」と看護師さんが励ましてくださるので、期待に応えようとしましたが無理でした。入院当初は、「ヨーグルトとプリンが私の癒し」なんて言って、談話室で一人おやつタイムを楽しんでいたのに、それさえ苦痛になりました。食べる楽しみがなくなることは、本当に悲しかったです。気持ちが落ちますね。

    テレビの健康番組やだダイエット特集などでは、”何が体に良いとか悪いとか”毎日のように伝えていますが、命と向き合った時、そんなことはどうでも良いと思いました。口からものを食べることが大切なんです。舌で味わい、噛むことで唾液を出し、喉ごしを感じ、胃を動かすことで命は育まれるのです。食べるという行為の意味を知りました。点滴で血中に水分や栄養を送り込んでも限界があるのです。その経験から、私は今、栄養バランスとかカロリー取りすぎとかしのごの言わず、食べたいものをなんでも美味しく楽しくいただくことにしています。まぁ以前からそうでしたけどね(笑)食べることこそが命をつなぐこと。生命の営みです。

    武枝)ホント、そう思います。私は成田さんのように食べ物が喉を通らず、水を飲んでも痛み、味覚もなくなるという極限の状況になったことはありませんが、成田さんのおっしゃる通り「栄養バランスとかカロリー取りすぎとか四の五の言わず、食べたいものをなんでも美味しく楽しくいただく」のを旨として暮らしています。

    食べものやさんで、これはヘルシーですからとか、体に優しいからって勧められると、天邪鬼のように「じゃあ、別のものにしま~す」って言うことにして、四の五の言うことに冗談めかして抵抗しています。骨付き肉なら、軟骨部分までむしゃぶりつき、尾頭付きの魚なら、その実体が何か分からなくなるまで、食べられるところはすべて食べてしまう。お肉、魚、野菜、海草、あらゆる命を食べ尽くすことで今生きていられるんだという実感はずっとありますねえ。

    成田)同感です。武枝さんとは、昔、食べることの至福をいっぱい共有しましたよね。考えてみたら私の場合、仲良くなる人は、男女を問わず、美味しく楽しく食事できる人かどうかが大前提のような気がします。「食事を共にするとその人がわかる」というと傲慢ですが、今後どのくらいのおつきあいになるか、もうお食事することはないかが見えてしまいませんか。これって、動物的な直感かな?

    武枝)まったくその通りです、私も。それにしても、よく飲んで、よく食べて楽しい成田さんが、口にモノを入れることが苦痛になっていたなんて……

    成田)そうなんですよ。参りました!でもその頃、「痛みは我慢しないでください」とのドクターの言葉に従い、胃に何もない状態で4時間おきに鎮痛剤を飲んでいました。しかも錠剤は痛くて喉を通らないので、液体や粉末をお白湯に溶いて、少しずつ飲み込みました。特に夜中の痛みが激しく、とうとう準麻薬の鎮痛剤までいきました。すると、怖いもので、足元がふらつき、頭がボ〜とするようになります。転びそうなのでトイレも車椅子で連れて行ってもらうことが多くなりました。それでも痛みで眠れず睡眠導入剤にも頼りました。夜は意識が痛みに集中してしまうからでしょうね。夜中のナースコールが増えていきました…。

    痛みに耐えながら長い夜を過ごしていると、窓の外が明るくなるのが待ち遠しかったです。看護師さんが「おはようございます」と電気をつけて、空気の入れ替えに窓を開け、6人部屋の仕切りのカーテンを開けてくださると、みなさんホッとした笑顔で顔を見合わせ挨拶を交わしました。誰もが不安な夜を過ごしていたのでしょう。夜中に泣いている人もいらっしゃいました。中には、朝起き上がれない人も。誰もがそんな時期を経験しているので、そういう方には声をかけず、比較的元気な人と洗面所で歯磨きしながら互いの体調を気遣いあったり、とりとめのない話をしました。不思議なことに、笑顔で言葉を交わしたり笑い合ったりしていると痛みを忘れていられるんです。ただ、私は放射線の影響で唾液が少なくなり、口の中はカラカラに乾燥していて、朝は舌が上顎に張り付いていましたので、すぐには声が出ません。少しずつ水を含んで舌や口中を潤しました。そうしてまた、「マスクメロン」の呼び出しを待ちます。

    ある日、ふらつきが激しいため、車椅子を押してもらって放射線治療に行ったんですね。いつものように「おはようございます」とご看護師さんにご挨拶をすると、「成田さんは、どんな時も笑顔で来てくださって、すごいですね。ありがとうございます」って涙してくださったことを覚えています。その日は、さすがに辛そうだったのかなぁ、私。

    武枝)その状況でも、笑顔で挨拶している成田さん!これは健気とか壮絶とかという次元ではない。気高さを感じます。

    成田)この頃は、ふらつきだけでなく、自分で薬の管理もできなくなるほど意識もぼ〜っとしていました。そのことがすごく怖くなって、痛み止めの医療用準麻薬を飲むことを断ることにしました…。

    この決心をするに至ったのは、ちょっぴり悲しい出来事があったからなんです。その日は日曜日で、いつもの血液内科チームの信頼するドクター達はお休みでした。
    夜は、私の知らない当直の若いドクターだけでした。その夜、私は放射線で焼けた喉の痛みに耐えきれなくてナースコールをしました。あまりに痛がる私の様子を見て、看護師さんは、「私には判断できないので、当直のドクターに連絡します」と言われ姿を消されました。どのくらい待ったでしょうか。当直のドクターが、いかにも忙しそうな雰囲気を醸し出しながらいらして、開口1番、「成田さん、放射線の副作用による痛みについてはO先生から説明受けてますよね。成田さんより重篤な患者がたくさんいるんですよ!」と苛立ちが態度にも言葉にも溢れていました。「そうですか!では結構です。どうぞ、そちらにいらしてください。私が先生を呼んでほしいとお願いしたわけではないので・・・お忙しいのにすみません。」と必死で冷静を装いました。

    すると、少し声のトーンが変わり「辛いお気持ちはわかります」と言い残して、行ってしまわれました。それから痛みに耐えて何時間か経った頃、私は、やはり痛み止めをもらおうと再びナースコールをしました。すると看護師さんは、またドクターを呼びに行かれました!「あっ!やめてほしいな〜」と思いましたが、しばらくして現れたドクターは怒りを抑えきれない語気でこうおっしゃったんです。「なんども呼ぶのはやめてください。もう今夜はここには来れませんから、聞きたいことがあったら今全部聞いてください…。でも、成田さんは最近、薬をよく間違うそうですね。
    ナースセンターでも噂になっていますけど…。」と冷たい口調で言われ、私は心が凍りました。「それ、どういう意味です??私は鎮痛剤をいただけるか看護師さんにご相談しただけで・・・」と言いかけて喉が詰まり、あとは声になりませんでした。
    私が、わがままでドクターを何度も呼んだように思われていたのでしょう。私は深く傷つき、悔しくて悔しくて、その夜だけは一睡もできませんでした。確かに私はその頃、頭がボーっとしていて、自己管理していた薬を2度ほど間違えました。でも、そのせいで、こんな扱いを受けるくらいなら、鎮痛剤を止めよう!と決心したのです。翌月曜日の朝、血液内科のチームドクター達の顔を見た時は、心からホッとしました。

    でも、いつもよくしてくださるドクター達にその話はしたくありませんでした。入院中、悲しい扱いを受けたのはこの時だけでしたけど、でもこんな時こそ成田万寿美の本領発揮ですよね、武枝さん!
    私は「感情のマネジメント」も勉強してきたのです。今こそ、昨夜のおぞましい会話と負の感情をどうしたら消し去ることができるかを考えました。そしてこんなことを実践したんです。
    まず、あの当直医さんに「前髪たらりん」というあだ名をつけました。もう、それだけで、昨夜のストーリーが漫画の世界に変換できますね。
    さらに天井に大きな白い紙をイメージして、そこに「前髪たらりん」と指で書いて、両方の手のひらでくしゃくしゃに丸め、窓から遠くに投げてやりました!!あ〜、スッキリした。これで笑い話になりました〜。

    武枝)さすが!!起き上がり小法師もびっくりだあ、成田さんの前にはひれ伏したまま起き上がってはこられないでしょう。

    その一件で、成田さんが修得してしまったという「感情のマネジメント」。怒りや悲しみという負の感情のエネルギーを笑いに転換する極意を、私は、<成田万寿美の三段跳び>と名づけました。

    怒りと悲しみの負のエネルギーを助走にし、爆発寸前の負のエネルギーをホップの踏み切りでコントロールし、ステップの段階で、蓄えた負のエネルギーを「前髪たらりん」という漫画の世界に変換して飛距離を伸ばし、笑いで爆発させた!

    成田)あはは〜!私が三段跳びしている絵が浮かびました〜!さてさて、治療は、喉の痛みに苦しんだ放射線治療と同時進行で抗がん剤投与が3クール。さらにその間に、問題を抱えた心臓のカテーテル検査や、放射線で焼けた喉から食道にカメラを入れて、心臓を撮影する検査などが行われました。医療のプロの叡智と、私の患者力の見せどころです。お茶でもいれて、少しゆっくり聞いてくださいね。

  • 2-4 内なる声を聴きながら

    武枝)治療方針の説明の場に「叡智」の人・Y子さんもいらっしゃるということ、そして、確実にその役割を果たしていらっしゃるということを何と言い表せばいいのか……ドクター、成田さん、Y子さん、この場のこのトライアングルは、その形の意味する通り、エネルギーが増幅し、上昇するまさしく始まりの光景なのでしょうね。

    成田)どんなドクターに命を託せば良いかなんて、医療の素人にはわかりません。だから人は大病院や権威ある医師に頼ってしまうのでしょう。でも私には「命を託すドクター」というより、生意気な言い方かもしれませんが、「共に闘えるドクター」 が必要でした。それは人柄や会話から感じる相性みたいなものです。でも、Y子さんは少し違ってたんです。この日、ドクターに対して、私には思いもつかない質問をされました。「先生は、万寿美さんと同じ病気の人を何人くらい診て来られましたか?」と。

    Y子さんにとっては「医師の経験」が大切なポイントだったのでしょう。ご自身の時には、分厚い医学書を取り寄せ、病気について徹底的に研究された方ですから。超がつくほど感覚人間の私にはない視点をお持ちでした。Y子さんなりの冷静は判断基準で、真剣に考えて下さっていたのだと思います。私は正直、その単刀直入な質問にドギマギしてしまいましたが、ドクターは顔色一つ変えず、Y子さんの質問にきちんと答えて下さいました。

    今もこの時の光景をありありと思い出すことができます。私には、こんな頼もしいY子さんが寄り添って下さっている。そして、どんなことでも遠慮なく話せるドクターが一緒に闘って下さる。
    もう迷いはありませんでした。これが、武枝さんのおっしゃる”始まりの光景”でしょう。

    武枝)なんと手ごわいトライアングル!変な話、病気の方が戦意喪失してしまいかねないぐらい……共に闘って貰う最高の協力者に恵まれましたねえ。とはいえ、見えない敵に対する恐怖が消えたわけではないでしょう。

    と、病気のことを”敵”と書いたものの、少し違和感を感じてしまいました。闘う“相手”と言った方がいいのかもしれません。30種類以上もあるという悪性リンパ腫の中でも、がんを退治するはずのNK(ナチュラルキラー)細胞自体が、がん細胞に犯されていることで発見が難しく、また見つかった腫瘍を切除してもおしまいにはならない、手ごわい相手と闘わなければいけないのですものね。

    成田)そうですね。知れば知るほど厄介なやつです。でも武枝さんの違和感通り、この頃の私は、病気は「外敵」ではなく、自分の「内側」に生まれたものなのだから、自分の一部。それなら自分の体が折り合いをつけるだろうと感じていました。信頼できる医療のプロと愛ある人達との出会いに恵まれて、もはやなんの迷いもなくなっていた私は、恐怖心もありつつ、これから自分に起こることに対する好奇心さえ芽生えていました。

    武枝)「折り合いをつけるか」~そういう感慨って、私にとっては想像で描くことしかできない理想の境地だなあ。修行したからといって誰しもが到達できるとは限らない心境!成田さんはそれを実感したのですね。都合のいいことも悪いことも含めて自分であるという感覚は、ある種、至福の領域かもしれません。

    成田)至福とまで言えるかどうかわかりませんが、自分の中にあるものを「敵視」する気持ちにはなれませんでした。治療は医療のプロにお任せするわけですが、体の内なる声を聞くことができるのは患者本人だけだと思うんですよ。だから…仲良くしないとねっ。

    武枝)ああ、そういう風にさらりと言える成田さんって、ホント小気味いいよね。“至福”だなんて、こんな状況の時に使う言葉ではないと反省しながらも、そのナイスな返しを聞いて、今や成田さんは、例えるとスミレの香りのする深めの赤ワインのように熟成されたのだなあと確信しましたね。

    でもその時、成田さんの心臓の動脈と静脈の間に穴が空いて血液が漏れていたなんて!
    このままでは心臓が抗がん剤治療に耐えられないかもしれない危険な状態だったのよね。しかも、がん治療をすぐ始めるか、心臓の検査と治療を優先すべきか、血液内科と循環器内科で話し合われていた矢先に、鼻の奥のリンパ腫が急激に肥大していることが分かった!一刻を争う事態が同時にいくつも重なって起きていたわけですもんね……思い出したくもないでしょう。
    その治療はどのくらいの期間行われたの?

    成田)ドクターからは、当初「治療に半年下さい」と言われていました。でも結論から言うと、2ヶ月で退院したんです。びっくりでしょ!それは、医療のプロと、大いなる愛の人と、自分で言うのもなんですが患者力とを結集させることができた「幸運の成せる業」でしょう。

    武枝)うんうん、まさしく!凄いという言葉はめったに使いたくないけれど、これはほんとに凄い!

    成田)武枝さん、お気遣いありがとうございます。でも、思い出すことが辛ければ、そもそもこんなやり取りを武枝さんにお願いしませんでしたよ。私は、病気の苦しみや治療の過酷さを話したかったわけではありません。ただ、病気になってみなければ分からないことや患者の気持ち。私がその時どんな想いで治療に向き合い、何を考えながら入院生活を送っていたかを残しておきたいと思っていました。そんな時、武枝さんと20年ぶりに品川で再会しましたね。あの時閃きました。

    「そうだ!昔、魂の深いところで会話していた武枝さんと語り合いたい」と。
    一方的な書き物にするより、武枝さんとの対話形式にすれば、病気という体験を通して、より深く「生き方」を見つめ直せるのではないかってね。神様は、闘病前に出会わせる人、入院中を支えてくださる人、新たな命を生き始める時に再会させる人を意図して出会わせているのではないかと思わずにいられません。ほんと、話させて下さってありがとうございます。

    武枝)それは、こちらが言う台詞です。

    成田)でも、少し治療の話をしますね。私の病気には、抗がん剤と放射線治療を同時に進める治療法が最も有効であることが10年ほど前に確立されていました。今やどこの病院でも同じ治療が行われているようです。でも、たった10年前まで、同じ病気で多くの人が亡くなっていた事実を思うとき、亡くなられた方々の闘いの上に、今、自分がこの治療を受けられるんだな〜って心から感謝しました。”医療は日進月歩”です。

    武枝)私の父ががんになった40年前と比べて、おそらくその正体についてはるかに多くの事が突き止められていて、増殖の力を削いだり、鎮める方法は圧倒的に進歩し、症状に応じて細分化されていると思ってはいたのですが、成田さんが今こうして私と語り合っている事実が、医療の格段の進歩を物語っています。

    成田)私の本格的な闘いは、一時帰宅から戻った翌日の10月26日から始まりました。不安を抱えた心臓を24時間見張りながら、抗がん剤と放射線を組み合わせた「Devic療法」がいよいよスタートしました。では、先行して始まった放射線治療の話からさせてください。
    私は、毎朝5分間、鼻の奥から上顎にかけての放射線照射を50日間続けました。照射自体は痛くも熱くもないのですが、顔に放射線を照射することは、本当に怖かったです。

    武枝)エッ~!顔に放射線を?どういう状態で行われるのか、想像の域を超えました。放射線の威力がどれほどすさまじいものか、少しは理解している者にとって、毎朝5分間、50日間も当てたらどうなってしまうのか、考えただけでも震えます。

    成田)はい、ちょっと覚悟して聞いてくださいね(笑)。私の場合、腫瘍は左副鼻腔に6×6×1㎜大になって発見され、それから急激に大きくなりました。告知の日に受け取った病理組織診断書には「リンパ球浸潤の程度は高度」と書かれていました。
    放射線科のドクターは、その鼻の腫瘍に向けた放射線照射設計図のようなものをパソコンで見せて下さいました。当然鼻は顔の中心にあり、近くには目や耳や喉や脳があるのですから、素人ながら、設計はとても難しそうに思いました。一つ間違えたら?と考えると怖いです。

    でも、そのドクターは放射線治療への自信に溢れて見えました。体も声も大きくて一度会ったら忘れられない個性的な風貌でした。怒られるかもしれませんが、ちょっとオタクっぽい印象もあったかな。だってね、初診の日の第一声は、「放射線は嫌われものですが、確実に腫瘍をたたきますから」と自信満々で。

    そして「成田さんの声に影響が出ないように、昨夜徹夜で設計図を考えましたよ〜」なんて、イキイキとお話しされるんですよ(笑)説明によると左副鼻腔の腫瘍に一点集中するのではなく、様々な角度から腫瘍に放射線を充てていくそうです。それで、なるべく喉を通らないように考えると、どうしても鼻から後頭部に放射線が抜けるらしく、「その部分の髪が抜けるんですが、どちらがいいですか?」と聞かれました。髪のことは、いずれ抗がん剤で全て抜けると言われていましたから、気になりませんでした。それより、すでに私の仕事のことなど全ての情報を共有されていて、「声を守ってあげたい」と一晩考えて下さったことが心底嬉しかったです。ここにもまた、頼もしいドクターがいらっしゃいました。

    武枝)放射線の持つ特性を研究し尽くして、ある確信をお持ちなのでしょう。正常な細胞へのダメージを排除し、腫瘍だけにその威力を最大化させるよう、最大限の心を砕いてくださったのですね。その徹夜で作成された設計図って、どんなのだったのでしょうね。放射線をどの方向からどういう風に当てていくかっていう図ですか。

    成田)はい、放射線が顔や頭部のどこを通るかという図です。でもね、その設計図の説明の日に放射線科のドクターはこんなこともおっしゃったんです。「成田さん、4月に新しい機械が入ってくるのですよ。それなら周囲へのダメージが少なく、ピンポイントで腫瘍に放射線を照射することができるのですが、半年も待てないですしね〜」って。実に残念そうなんです。そのどこか憎めないドクターに、私は笑いながらこう言いました。「待てませんね。では使い慣れた機器の説明をお願いします」。おかしなな会話でしょ(笑)ともあれ医療はそれほど日進月歩ということです。
    特に医療機器は、世界レベルですごいスピードで進化しているようです。今なら、ピンポイントで照射することができるでしょう。これもタイミングですね。 だから私は、今可能な方法で最善を尽くしていただければ充分だと感じていました。

    そこで、設計図通り放射線を照射するために、まず私の顔の形に合わせた専用のオリジナルマスクを作ります。それは白い網目状になっていて、顔全体にぴったり張り付くものです。息苦しく、精神的にも圧迫感がありました。私はその頃、副鼻腔で大きくなった腫瘍のせいか、ほぼ口呼吸でしたので、この型取り作業はすごく苦しかったです。息が止まってしまうのではないかと思うほどでした。翌日から毎日、このマスクをつけて放射線照射を受けるのですが、治療を終えてマスクを外すと、顔にくっきり網目模様が残るんですね。それはまるでメロンの網目のようなので、私は「マスクメロン治療」と名付けました。

    この放射線治療は、50日間土日以外毎日続けなければいけないのですから、少しでも親しみを持てる方がいいでしょ。だから、毎朝放射線科から呼び出しがあると、「は〜い!マスクメロン行ってきま〜す」と、看護師さんや同室の皆さんを笑わせていました。と言うより、自分の恐怖心を紛らわせていたのですけどね。
    そして、一人で6階の病室から、エレベーターで薄暗い地下二階に降りて、ライナック(放射線治療室)に行くと、上半身裸になり、冷たく硬い治療台に仰向けに寝かされ、マスクメロンを装着し、真っ暗になった部屋の中で、私は微動だにせずジーという小さな機械音だけを聞いています。

    その時間は5分間ほどなのですが、どんなに長く感じたことでしょう。「絶対動かないで」と言われると、人は動きたくなったり、鼻が痒い気がしたり、唾を飲みこみたくなったりするものです。
    初めての日なんて、「動いたらどうなるんだろう?」って想像して、心臓が破裂しそうなくらい緊張していました。恐怖から、勝手に体が起き上がるような妄想にかられたりもしました。治療中の痛みは全くないのですが、日を追って少しずつ、副作用に苦しむことになります。ちょっと一息つきましょうか。

  • 2-3 ドクターに”一声惚れ”

    武枝)それにしても、成田さんと共に全力で闘って下さった病院の医療のプロたちは、何を1番大事だと思って医療に携わっていらっしゃるのでしょうね。おそらく、言葉では定義のできない“心の中のある思い”があって、それを最優先に考え、それぞれのポジションに応じた行動で示そうとしている方たちなのではないでしょうか。思いをひとつにする者同士(医療のプロも患者のプロも)連帯し、連動すれば、大きな力になりうる、そう信じている“チーム”だったと思うのです。

    成田)何を1番大事にされているか直接聞いたことはありませんが、今思えば、いわゆる患者のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)を大事にされていたのでしょうか。ご承知のようにQOLとは、「生活の質」などと訳されますが、精神的、社会的活動を含め、患者がいかに自分らしく生活をできるかを尊重しながら治療を選択していくことですね。入院の時期を決めるときも、入院してからも、仕事を持つ一人の社会人として尊重していただいたと感じています。それは、今も会話の端々に感じます。

    武枝) QOLを重視するって、言うのは簡単ですが、その本質的な意味で患者さんに向き合うって難しいことだと思うのです。その病院の医療チームでは、QOL をことさらに目的に掲げることなく、当然の振る舞いとして実現させているって、素敵です。

    昨今、「弱者にやさしく」とか、私には上から目線に聞こえてむしろ耳障りのよくない言葉が氾濫しています。そんな中、とてもフェアな環境で入院生活ができたことは幸せでしたね。

    成田)そこですよね。患者を「健康弱者」なんて見方をせず、社会との繋がりを持つ一人の人間として尊重して下さったことが、私には何より有難いことでした。この病院のどこにも、QOLなんて掲げられてはいませんでしたし、私自身も、自分が病気になるまでは、その言葉は知っていても、なんだか綺麗事のように感じていました。実際には、患者と医療スタッフの信頼関係が前提になると思いますし、患者自身の意識も変わらなければ、まだまだ本当の意味での実現は難しいように思います。私が入院した病院でも、病院の方針というより、個々のドクターの考え方に依るところが大きいのではないかと思います。
    耳鼻科のドクターにご紹介いただき、初めて血液内科の医師を尋ねた時のことは今もはっきり覚えています。まずは、その出会いから話させてください。

    武枝) 成田さんにとって、世紀の瞬間ですね。

    成田)そう!確かに世紀の瞬間です。初めてドクターと対面する時って、患者はみんなドキドキしながら診察室のドアをノックすると思います。どんなお医者さまかな〜って。ところが、そんな私のドキドキを一瞬でかき消すような大きな明るい声が聞こえてきました。
    「はい、どうぞ〜!」
    深刻な告知を受けた患者を迎えるには、意外なほど明るい声でした。その声に誘われるようにドアを開けると、「あ〜、成田さんですね!大変でしたね。びっくりされたでしょう〜」と親しみを込めた声で迎えて下さいました。とても安心したことを覚えています。
    そして病気や治療についての怖い説明を聞いている間も、私はドクターの明るく自信に満ちた声に救われていました。
    声って大事ですよね!
    私は、目の前のドクターに”一声惚れ”していたのです!

    武枝) 同感です。

    成田)とは言っても、それから、PET検査(陽電子放射断層撮影)と言われる全身のがん検査や脳への転移がないかを調べるMRI検査、心臓の検査などがあり、次にドクターと会えるまで3週間もありました。実はこの間が一番不安になります。前にも書きましたが、ついついネットで病気について調べてしまい、のちにドクターから「ネットには怖いことしか書かれていません、情報も古いものが多いです。見ないほうがいいですよ」と言われましたが、ドクターと話せない日々を、ただじっと待ってなんていられないのも患者の心理です。
    私もその間、いろいろな情報に触れ、やはりセカンドオピニオンも受けようかと揺れました。友人が有名な大学病院の医師を勧めてくれたり、話題の民間療法を紹介されたり。中には、高価なお祓いを受けるよう勧めて下さる方も(笑)。

    武枝) よくぞ、お祓いの方向に引っ張り込まれずに済みましたねえ。勧めて下さった方も、成田さんのことを思ってのことでしょうが。日ごろから鍛えている自分の直感を信じての決断力がぎりぎりのところで生きましたが、その時の揺れる気持ちは、想像を超えます。さぞかし、不安に押しつぶされそうになっていたのでしょう。

    成田)そうですね。情報があればあるほど、自分の判断が揺れたり、人に頼りたくなるのが人間ですね。不安の中で私にもその気持ちは生まれましたが、一方で、「何かと繋がった」という自分の感覚がますます冴えてきていて、結果的には、与えられる情報より、自分の内なる直感を信じる気持ちが勝りました。

    3週間後、全ての検査結果が出揃い、治療方針を聞きに病院を訪れた日。実はあのY子さんが付き添って下さり、私の手を握っていて下さったんですよ。そしてドクターの説明をノートに書き取って下さってました。ドクターは、改めて私の病気について、検査結果を踏まえての治療法や治療期間について、治療の副作用について、再発率やその時はどんな治療になるか等、2時間くらいかけて丁寧に説明して下さいました。
    やはりその言葉は明快でわかりやすく、声も聞き取りやく力強いんです。それでもやはり怖い説明のところで思考が止まり、全てを聞き取れてはいないものです。後に、Y子さんのメモがどれだけ役に立ったかしれません。また、不安げな私を察してか、ドクターも、「成田さん、分からないことは、いつでも何度でも話しますから」と言って下さいました。更に、「病院では思いっきりわがまま患者になって下さい。遠慮せずどんな変化も教えて下さい」とも。
    もう十分ですよね。私は、このドクターとなら、何でも話し合いながら病気と闘っていけると確信しました。

  • 2-2 叡智の歯車の音がする

    武枝)Y子さんとM子さんの話を一気に聴いて、私ね、お二人を表すにふさわしい言葉を探してさ迷いました。そして、見つけました。これが「叡智」ということなのだと。
    すでに連帯・連動していたY子さんとM子さんの叡智の歯車が、一人で考え、決断し、実行してきた成田さんの歯車と噛み合った!その瞬間の音が聴こえ、そして新たに繋がった歯車がゆっくり回り始めている映像がイメージできました。不安におののき、思考が停止するほどの恐怖の中でも、なんとか踏ん張って一人で回してきた成田さんの歯車に、2人の女性の叡智の歯車が繋がった!これは強力ですねえ。

    facebookにグループを作って、入院中に必要な物をスマホからグループに投稿すれば、時間のある方がお買い物をしてくださるというシステム、何という素晴らしいアイデアなのでしょう。
    自分が味わった苦しかった経験、辛かった経験、心細かった経験を、苦労話にするのは簡単だけれど、Y子さんM子さんのように、文明の利器もフル活用しながら、無理のない形で連帯できる手立てを考え出す知恵と実行力に、頭が下がります。その上、facebookグループに「強運レデイース」と名づけるあたり、お2人には、ユーモアというか、余裕まで感じられます。

    そして、病気を見つけて下さったドクター、緊急入院した時の当直だった女医さん、耳鼻科 、血液内科、循環器内科……の諸先生方、看護師さん、いろんな人たちの叡智の歯車が順次重なり合って、成田さんの命を繋いでくださったのでしょうね。

    成田)そうですね。強運レディースやお世話になった医療のプロ達のお顔を思い出すと、カチッカチッカチッと、幾つもの歯車が重なり合った音が聞こえてくるようです。

    武枝)「さあ、本番だ」って!患者のプロとしての日々が始まるのですが、共に病気と闘ってもらえるようなドクターとよくぞめぐり会えましたね。

    成田)”めぐり会えた”という言葉は ぴったりだと思います。人生には、節目節目に大切な出会いがありますが、それはお一人との偶然の出会いではなく、ご縁が巡り巡って出会うべき人に出会っているのではないかと思います。
    今回の私の場合、最初の耳鼻科で「いつ治るんですか!」と啖呵を切って飛び出し、友人のご主人(医師)の親友がたまたま耳鼻科のドクターだったことから現在の耳鼻科の主治医をご紹介いただき、「最後まで責任を持って診ますから」と球場で小石を探すような発見困難な敵の正体を見つけて下さり、最終的に血液内科のドクターに繋いで頂きました。もともと医師の知り合いなど一人もいなかった私です。

    奇跡の繋がりループですよね。だから、その流れに委ねようと思いました。だいたい告知を受けたばかりで動揺覚めやらぬ患者にとって、病院選択の余裕などありません。戸惑っている私にドクターは、「よくお考えになって、ご希望の病院があれば紹介状を書きますが、ここの病院はチーム医療を目指していますから、耳鼻科もタッグを組んで一緒に診ていきますよ」と言われました。「チーム医療!」「タッグを組む!」。この2つの言葉に反応した私は、この病院でお世話になろうと決めました。大学病院などでは、情報が科毎に管理されていて医師間の垣根も高いと聞きます。

    その点、私が入院していた病院では、診療科の垣根なく患者情報を共有していて、別の科のドクターとも、気さくに会話をされていました。そのことは患者にとって、医療のプロ達が力を合わせ自分のために全力で闘って下さっているような安心感と心強さを感じました。また、この病院では、主治医対患者ではなく、主治医を中心に複数のチームで一人の患者に関わって下さるので、私が緊急入院した日も、すでに私の情報を共有していたチームの女性ドクターが「成田さんのことは聞いています」と、余裕で出迎えて下さったのです。そのことは、後で知りました。
    この「チーム医療」の考え方は、これから病院選びの大きなポイントになってくると私は思います。大病院のブランドや一人の権威ある医師の名声で病院を選ぶ時代ではなくなっています。まだまだ、患者側にも権威や名声に頼る意識が根強いと思います。

    武枝)病院選びは本当に難しいことだと思います。病気になって初めてその病院や医師のことが分かるというのが現実ですから。改めて思うのは、病院選びひとつを取ってみても、やはり、その人が何を一番大事にして生きているかが表れるかもしれません。
    権威?名声?それとも……

    成田)私が病院やドクター選びで大事にしたことは、一言で言うと「コミュニケーションできるかどうか」でした。この病院では、関係する各科の担当医、看護師、さらに薬剤部も加わって定期的なミーティングが行われていました。医療のプロの英知を結集した上で、最終的には患者の意思が尊重されていたんです。そして入院中は毎日、チームのドクターが入れ替わり立ち替わり病室に来てくださり、私と会話をして下さいました。

    そしてその会話がまたチームで共有されていました。このことが信頼関係に繋がり、「自分のことは自分で決める」という、私のプロ患者意識が高められたと思います。主治医任せではなく、”チームの主役は患者である私自身”なのだと感じさせて貰いました。そこで自分の中で勝手に、「チーム成田」と名付けていました(笑)私が自分の体の最終責任者ですから。

    武枝)モノでも現象でも、その存在が誰かに気づかれるまでは無いに等しく、名前すらつけられないまま、この世から消えていったものもあるでしょうけれど、成田さんのように、決意する時の気持ちにも名付けをすると、目的やすべき事がより明確になると思います。「チーム成田」と銘打つことで、結束がより強くなったことでしょう。