武枝)不動産屋さんのお母さんの、またしてもお導きですか~人の助けを当てにしないで、力の限りを尽くす者だけに差し伸べられる手、ですね。すべてが素敵過ぎます。
「この子が綺麗なのは、心の中にバラを一輪もっているからだ」という一節が、フランスの作家サン=テグジュペリが書いた小説「星の王子様」にあるけれど、成田さんを見て、お母さんはそう直感されたのだと思います。東京の大都会で、女性が不動産屋さんを続けてこられたこと自体、まず驚きで、あらゆることにおいての目利きでいらっしゃるのでしょう。
そんな方だからこそ、成田さんをひと目で見抜くことができるのよね。それにしても「あなた、ここに住みなさい。私は人を見る目はありますよ。困ったことがあればなんでも言ってね」と、無条件に信頼して部屋を貸して下さるなんて、豪胆ですねえ。病院にも看護助手のハンサム・ウーマンがいらしたけれど、お母さんにふさわしい言葉は何でしょう。“スーパー・モガ”かな!?
成田)「スーパー・モガ物語」なんて、ドラマになりそうです(笑)
2018年4月16日、念願の引っ越しを無事に済ませたものの、大型ごみの処理、新居のしつらえ、機器のトラブル、様々な手続きや住所変更などの雑事に追われながら、翌週には松山出張もあり、27日の入院を控えて大忙しでした。
そうそう、武枝さん、一緒にテレビの仕事をしていた頃、大阪に「まつやま」というカウンターだけの小料理屋さんがあったことを覚えていらっしゃいますか?松山出身の女性、美満さんと知恵さんの二人でやってらして、私が唯一ひとりでも飲めるお店でした。
当時、女性初の報道キャスターに抜擢されたとはいえ、実力が追いつかず必死の毎日で、夫婦関係も壊れ「幸せにしてあげられなくてごめんなさい」と私が謝って離婚しました。
「まつやま」だけが、その頃のわたしの癒しの場所で、愛ある手料理をいただきながら、泣かせてもらった日もありました。大阪を離れる日の夜も、荷物を送り出した後、「まつやま」の美味しい料理とお酒で見送ってもらって、スーツケースを手に、一人上りの最終新幹線に乗りました。
武枝)はい、よ~く覚えています。二人でも何度もお店に寄せてもらいましたね。いつも両手を広げて迎え入れて下さった笑顔が眼に浮かびます。その深い懐に、私たちはいつも遠慮なく飛び込んでいってました。
成田さんのキャスター時代は、一緒に飲み歩く機会が減って、時折り会った時も、キャスターの今の仕事を辞めることにしたとか、離婚をした経緯などを聞いてはいたものの、辛い話というよりも、次のステップに進む報告事項として受け止めていて、まさか、そんな状態で上京していたとはゆめゆめ知りませんでした。自分に合った活躍の舞台を東京に求めて行ったのは確かなのだろうけれど、いろんな思いが交錯していたのですね。スーツケースを手に一人淋しく上りの最終新幹線に乗っていたなんて……
成田)武枝さん、一人片道切符を握りしめて深夜の新幹線!と言うと、確かに淋しい姿を想像しますね(笑)。でも、私は覚悟が決まっていましたから、涙も感傷的な気持ちもありませんでした。その夜は新居近くのホテルで眠りにつきました。新しい街で新しい朝を迎えるために…。
大阪を出ることを決めた理由や経緯については、当時誰にも本心を話しませんでした。多くの人が、成田万寿美は活動の場を求めて東京に行ったと思って下さってたと思いますが、本当のところは。走り続けてきた仕事に対する一種の燃え尽き状態と、次に進むべき道が見えない虚無感から、実績のない街で、何も無い自分と向き合ってみたくなったんです。と言うとカッコ良すぎますが、実際。住まいだけを決めて仕事はまさにゼロからのスタート!40歳になる私にとっては、決して甘い選択ではありませんでした(笑)。先日武枝さんと京都で会ったとき、あの時のことを初めて少し話しましたよね。今はもう笑って話せますけど。
武枝)そう、20年目にして、初めてその真相を知りました。同じ放送業界に身を置いていたので、成田さんがその時点で東京に行こうと決意した気持ちはよく理解できました。
当てもなく飛び込んだ東京で、次に進むべき道を見つけ、どんどん成田さんだからこそできる世界を拡げていっている!よくぞここまで、という思いと同時に、今後、どんな新たな花を咲かせていくのか、ホント楽しみです。
成田)父はよく「万寿美は考え無しだから!」と言っていましたが、ほんと!私って、若い頃から、煮詰まったときは、積み上げて来たものを捨てても「ゼロに戻りたい願望」があったように思います。松山の二人は、私のそんな危うさを愛おしく思って下さっていたのかもしれません。
武枝)《煮詰まったときは、積み上げて来たものを捨てても「ゼロに戻りたい願望」があった》って、確かに、そのあたりの思い切りの良さはいつも鮮やかというか、ファンタスティックというか。ただ、積み上げて来たものを捨ててゼロに戻っても、その経験はのちのち生かされますよね。成田さんは、本能的にも経験的にも、一旦ゼロにした方が、先々の行動に飛距離が出ることを体得しているんだと思います。
成田)そうですね!私って、若い頃から、「心の声」に従わざるを得ない体質だったようです。人は、頭で考え過ぎたり、誰かに相談したりすると、だんだん常識的考えに負けて動けなくなるのではないかしら?だから、大事なことは人に話さず自分で決めるしかないと思うのです!今の年齢になってようやく、武枝さんのおっしゃる《積み上げて来たものを捨ててゼロに戻っても、その経験はのちのち生かされますよね》の意味がよく分かります。「若かりし頃の無謀に思える行動も、自分の心の声に従い決断したことは、全てに意味があり繋がっている」のだと確信します。
武枝)まったく同感です。着地点の見えないことに向かおうとしているのだから、他人には無謀に見えるのは当然だけれど、自分で決断したことだから、たとえうまくいかなくても、人のせいにはしないし、それに、そうやすやすと実現することを求めてはいないのでしょうね。そう言うと、自信があるように誤解もされがちだし、お父さんのおっしゃる「考え無し」に映るのかもしれませんが、出口が見つからなければ、今まで積み上げてきたものをあえて惜しげもなく壊すのは、常に道半ばという感覚だからなのではないかと思うのです。今、思いついたけど、陶芸家で、自分が気に入らないものは苦心して創り上げた作品でも割ってしまうって方がいらしたけれど、その心境や行為と相通じますね。
成田)壊したくなる!って感じ、すごくよく分かります。そういえば大阪にいた頃、武枝さんと信楽焼の女性陶芸家さんを訪ねたこともありましたね。結局、「まつやま」の美満さんの紹介で、近場の大阪で陶芸を学び始めたんです。指先に意識を集中し、頭の中を空っぽにできるいい時間でした。
でも、ある時先生が、「成田くん、ろくろばかり回してないで、そろそろ作品展に出品してみたらどうなの!」とおっしゃいました。その時気づきました。私は作品展に自作を出品したい気持ちは全くないと言うこと。ただ指先で土の感触を味わいながら、ろくろを回している”瞬間”が好きだったんです。以前にも書いたかもしれませんが、私には、やはり「将来何になりたいかより、今どう在りたいか」が大事なようです。
美満さんも、作品展には興味なさそうでしたが、料理人らしく手先がとても器用で、素敵な食器をたくさん作ってらっしゃいました。二人で先生の登窯がある備前に行き、朝まで窯焚きもお手伝いしました。3000度もあると言う登窯の中で、真っ赤に焼ける陶器の美しさを見たときの感動は忘れられません。その様子を目に焼き付けて、陶芸教室をやめました(笑)
武枝)ハハハハ……常に道半ばとはいえ、自分の向かう方向はこの道ではないと。そこらあたりの見極めは、自分を知っている者ならではの素早さですね。
そうそう、「まつやま」のお二人は、踏ん張っている人のタガを緩める不思議な雅量をお持ちですよね。
成田)まさに!不思議な雅量の持ち主ですね。「うちの女のお客の中であんたが一番好き!成田さん、離婚はしてもええけど、子供だけ作っとき。うちが育てたるから」なんて、冗談か本気かわからないことも時々言われていました(笑)。まんざら嘘でもなかったように思いましたよ。
武枝)へえ~そんないい話があったんだ!現実に想像できる光景ではありますね。
成田)その数年後、お二人もお店を閉めて故郷松山に戻り、今は終の住処で二人静かに暮らしていらっしゃいます。
4月の松山での仕事の翌朝、お二人を訪ねてみました。20年ぶり位になるでしょうか。「75才と80才になったよ」と聞いてびっくり!お互いの元気を確かめるように抱き合いました。知恵さんは、早朝だというのに綺麗にメイクをして待っていてくださいました。私のためのお洒落だということが伝わってきて泣けるほど嬉しかったなぁ。美満さんは、早朝から筍ご飯と煮物を作って、滞在時間の少ない私のために、タッパーに入れて持たせて下さいました。
空港での別れ際、美満さんが大らかに笑いながら、懐かしい松山言葉のイントネーションでこうおっしゃいました。
「よう来てくれたなぁ。これが最後かもしれんもんなぁ(笑)」
どんな気持ちでそんなことを言ったのかは分かりませんが、「そんなことはない!」とは、言い切れない私でした…。
帰京して、お土産の筍料理をいただくと、美満さんの手作りの味が心に沁みすぎて、鼻をすすって泣きながらいただきました。
思い切って会いに行って良かったです。大切な人、会いたい人には、思い立ったら会いに行こうと思いました。これを最後にはしたくないけど、「最後かもね」というくらいの熱い想いでその時間を抱きしめたいです。
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