第二楽章 ~心模様~

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2-9 去る髪、追わず

武枝)坊主頭の写真、見ましたよ~ちょっとビックリです。頭の形が、坊主頭にぴったりのオーバル(長円形)ラインですねえ。不思議に、よけい色っぽいなあ。それに突き抜けた感が半端じゃない。

成田)自分で見てもエネルギーを感じるので、しばらくスマホの待受画面にしていました(笑)
自らの意思で坊主頭にした経緯をお話しする前に、治療の副作用について少しお話しさせて下さい。私の場合、抗がん剤を数種類投与しましたが、私が最も心配していた「吐き気」は全くありませんでした。今は、吐き気に関してはお薬の開発も進み、かなりコントロールできるようになってきています。私もドクターや薬剤師さんと相談し、抗がん剤を投与する前に錠剤と点滴で吐き気止めを処方してもらいました。お陰で3クールの抗がん剤治療中、一度も吐き気に襲われることはなかったんです。

武枝)それは助かりましたね。医薬共に開発が進んで、少しでも副作用の負担が軽減されていくことは患者さんにとっての願いだと思います。

成田)ただ、これも人によるそうなので、誰にも絶対無いとは言えませんけどね。強いお薬については、薬剤師さんが直接きちんと説明し、本人の不安や考えを聞いてくださいました。そして、投与が始まると、「吐き気がないか」「異常がないか」何度も顔を出して聞いてくださいます。「少しでも気になることがあれば、我慢せず、なんでも言ってください」と。
もちろん、ドクターから想定される副作用についての説明は受けていました。
個人差があるようですが、「抗がん剤で髪が抜けること、口内炎だらけになること」「放射線で鼻から喉の粘膜が焼けてしまうこと」は避けられないということは覚悟していました。喉の粘膜が焼けると、痛みで何も食べられなくなったこと、味覚や嗅覚を無くしたことについては以前お話しましたよね。
でも、「髪が抜ける」ことについては、私は全然平気だったんです。痛くもなんともないですし、治療が終われば生えてきますから。一度「スキンヘッドの自分の顔を見てみたい」くらいに思っていました。

武枝)さすが、このあたりの覚悟は成田万寿美の真骨頂ですね。

成田)その髪ですが、抗がん剤投与を初めて2週間くらいで抜け始めました。少しずつパラパラと言うより、ある日突然シャンプーをしている時に、ゴソッと抜け落ちました。髪が指に絡み、その髪で排水口に黒い渦ができました。「来た〜!これか〜!!」って思いました。さすがの私も、その光景はちょっと衝撃でした。排水溝の髪を掃除し、浴室を出てドライヤーをかけると、今度は床が抜け落ちた髪で黒くなりました。なぜか、頭よりお掃除が気になり、すぐに看護師助手のHさんに連絡に走りました。「ごめんなさい!洗面所が髪の毛だらけになって…」と。

すると満面の笑みで「お掃除はこちらでしますから大丈夫ですよ」と言っていただきました。ホッとして、初めて鏡でまだら頭の自分の顔を見て、笑ってしまいました。なぜ私は、こう言う時に笑うでしょうね。

武枝)そうですね。でも、そんな時に笑ってられるから、心に余白ができる。いや、逆かな。心の余白部分が豊かだから、最終的にどんな時でも笑ってられる。それと、天性の遊び心の成せる業かな。

成田さんがゴソッと抜け落ちた髪を見て、「来た~!」とひとりごちていたり、頭のことよりお掃除が気になっていたり、って、こんな言い方は世間的には顰蹙モノだけど、滑稽というか可笑しい。どんな時も、当事者の成田さんと、それを眺めている成田さんがいて、深刻なことにもちょっと隙間ができるからでしょうか。

成田)そういえば、私はいたって真剣なのに、よく「成田さんて可笑しい!」って笑われることがあります。どこか喜劇的なんでしょうかねぇ。

武枝)「私はいたって真剣なのに」という点が、まさしく喜劇的。

成田)でも、この時お掃除してくださったベテラン看護助手Hさんの言葉で私の次の行動が決まったんですよ。「成田さん、抜ける髪への未練なんてさっさと水に流して、頭皮をしっかりマッサージしてね。いい髪が生えてくるから」って笑い飛ばすように言ってくださいました。聞き様によっては乱暴な言い方かもしれませんが、私は救われましたね!

武枝)いいねいいね、その看護助手さん。伊達にベテランではない!

成田)「そうだ男と同じ!去る者(髪)追わずだ!」変な例えですけどね(笑)そう思ったんです。抜けていく過程は、決して気持ちの良いものではありません。シャンプーのたびに排水口に溜まる髪を見れば私だって悲しくなります。「そうだ!それなら、抜ける前に自分の意思で剃ってしまおうと」思い立ったわけです。で、すぐに美容室に行って、「坊主頭」にしてもらいました。
鏡に映った新しい?自分の顔を、私はすごく気に入りました。「ちょっと〜、私って三蔵法師のようじゃない!」って思ったくらいです。武枝さんが「得度をしたの?」なんて聞いてくださいましたが、ほんとに自分で言うのもなんですが、何かが吹っ切れたような、突き抜けたような、清らかな顔に見えました。

武枝)やっぱり!あの坊主頭、スキンヘッドになった成田さんの表情は吹っ切れてます、突き抜けてます、そして清らかです。

「ちょっと〜、私って三蔵法師のようじゃない!」って、ほんとですね。夏目雅子の演じた三蔵法師か、成田万寿美の三蔵法師か、うーん、どちらもいいですねえ。

成田)その対比はすごいですね!!うん、負けてないかも(笑)

以前、入院中に「産道日記」を書いていた話をしましたよね。翌年はちょうど還暦になる年でしたから、今は産みの苦しみの中にあって、退院したら新たな命を生き直すのだとイメージしました。すると、生命誕生のエネルギーのようなものが湧いてきたのです。坊主頭にしたことで、そのイメージはさらに明確になり、自分の顔が無邪気な赤ちゃんのようにも見えてきました。

病院に戻った私は、帽子もスカーフも被らず、みんなに見せて一緒に大笑い。ドクター達は安心したように、「成田さん、イケてますね〜。かっこいいですよ」と。同室の皆さんも「隠しているより素敵ね〜」「似合う!可愛い」と笑顔で褒めてくださって、おばあちゃまも、「私も抜けて来たら、そうするわ!」なんてね。大笑いの大盛り上がりだったんです。なんだか嬉しかったな〜。自分をネタにみんなを笑顔にしたい性分は関西人のDNAかしらね。そして誰より私自身、受け身では無く、自分の意思で坊主にしたことで、ググッとエネルギーが高まるのを感じていました。

武枝)万歳!万歳!万歳!名刀・正宗ばりの切れ味です。

成田)武枝さん、「髪は女の命」なんて、いつの時代の価値観でしょう。
「女にとって髪が抜けることは悲しいこと」というのも、誰かに刷り込まれた思い込みではないでしょうか?「髪が抜けることを悲しむのではなく、元気な髪が生えてくることを楽しみにする。」私は、そんな気持ちが病気と闘うエネルギーになったと感じました。放射線で焼けた頬の皮膚も、抗がん剤で髪が抜けた頭皮も、ちゃんと新陳代謝を繰り返している。私たちの体はすごいのです。
2015年11月14日を、私は「成田万寿美坊主記念日」といたしました。

武枝)まさしく、ここでも先手を打ちましたね。
「刷り込み」による思い込みって、自分をもっと生かせる選択肢を自ら制限している気がするんですよね。思い込みから解放されると、小さな発見の楽しみがごろごろ転がっているのにって。私などは、人の言うことを鵜呑みにできない体質なので、周囲からの押し付けをいかにかわして生きていくかが、若いころのひとつのテーマでしたが。

成田)私も、若い頃から大人が言う一般論や常識とされている考え方、例えば「こうあるべきだ」「こういうものだ」「こうしなければならない」というような、誰かが作り出した価値観の枠にハメられることに、強い抵抗感がありました。誰もが同じように感じるはずがないのにね。体制に合わせなきゃいけないようなムードって、今もありますよね。
「抗がん剤で髪が抜けること」も、女にとって「悲しむべきことだ」と思われていますが、私は「本当に?」って思ってたんです。なかなか口には出せませんでしたけれど。

武枝)そうですね。いちいち「本当に?」と口に出していたら、ただの天邪鬼としか受け取ってもらえませんものね。だから、枠にハメられることを避け、押し付けに従うこともせず、長年かけて、自分の中で「こうありたい」というものを積み重ねていったように思います。

成田)自分が体験したことで確信を得て、堂々と発言することができるようになりました。「成田さん、髪が抜けることは覚悟してください」と気遣ってくださるドクターに、「全然平気ですから」って言える私がいました。でも、実際に自ら坊主にした私の笑顔を見るまでは、ドクターもそれが本心だと信じてらっしゃらなかったでしょうね。

武枝)でしょうね。やる人だとはかねがね思ってはいたけど、本当にやってくれました!って、ドクターも内心仰天したことでしょう。

成田さんの、その突き抜けた自由な発想と行動力は、多くの女性が抗がん剤による脱毛を“隠してきた”歴史を塗り替えるんじゃないかしら。抗がん剤を投与された女性はウィッグを利用するのじゃなく、スキンヘッドにしてしまうのが当たり前になっているかも。

成田)そうだと素敵ですね。生きやすい社会になると思います。

人に対して、自分と違う容姿や体験を「可哀想」と思うのは本当に失礼な話です。私は絶対そんな風に思われたくないです!

武枝)ホント、失礼千万です。「可哀想」と思ってあげることが美徳のように思っている方に、切に訴えたいことですね。

成田)そういう方の中には、ご自身のことも、「可哀想な私」とか、「辛い目に合っている私」と思い込む傾向があるようにお見受けします。「本当にそう思う?」って聞きたいです。少し捉え方を変えれば、というか、もっと自分の心に正直になれば、そこには「楽しい発見や喜びや笑い合えること」がたくさんあります。

それとね、私は、病名を伝えた時に泣かれることが1番苦手でした。まるでもう戻ってこないみたいじゃないですか(笑)
また、「私の知り合いも同じ病気になったけど、今は元気よ!だからきっと大丈夫よ〜!」これもよく言われましたが、正直いうと響かないんです。
私自身病気になって知ったことは、同じ病名の「がん」でも誰一人同じタイプはないということです。患った年齢、腫瘍のできた部位、大きさ、その性質、本人の体力や精神状態などによって一人一人治療効果も違います。誰かと比較してひとまとめに言えないのです。だから、私は退院するまで必要最小限の人にしか話しませんでした。
聞いた方も、なんといっていいか言葉の掛けようがないですもんね。
逆に、嬉しかったのは、「あなたの底力を信じてる」「ずっと愛してるよ」「一緒に仕事できる日を待ってるよ」などでした。私が主宰する「笑声®会」のメーリングリストに初めて報告した時も、私は、「成田万寿美の底力を信じて待っててね」と書きました。すると、「また一緒に飲もう!信じて待ってるよ」とか、「万寿美さんは心は誰より健康ですよ!」なんて言葉が嬉しかったな。言葉というものは本当に大切です。愛ある言葉をかけてくれる仲間がいることを心からありがたく思いました。響く言葉も人それぞれかもしれませんけどね。

私は病気を通して、自分が大切にしていることを確認でき、これまで感じてきた違和感や生きづらさを手放すことができたんです。今の私は、自分を信じる気持ちに迷いがないので、生きることがとても楽になりました。

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