第二楽章 ~心模様~

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2-4 内なる声を聴きながら

武枝)治療方針の説明の場に「叡智」の人・Y子さんもいらっしゃるということ、そして、確実にその役割を果たしていらっしゃるということを何と言い表せばいいのか……ドクター、成田さん、Y子さん、この場のこのトライアングルは、その形の意味する通り、エネルギーが増幅し、上昇するまさしく始まりの光景なのでしょうね。

成田)どんなドクターに命を託せば良いかなんて、医療の素人にはわかりません。だから人は大病院や権威ある医師に頼ってしまうのでしょう。でも私には「命を託すドクター」というより、生意気な言い方かもしれませんが、「共に闘えるドクター」 が必要でした。それは人柄や会話から感じる相性みたいなものです。でも、Y子さんは少し違ってたんです。この日、ドクターに対して、私には思いもつかない質問をされました。「先生は、万寿美さんと同じ病気の人を何人くらい診て来られましたか?」と。

Y子さんにとっては「医師の経験」が大切なポイントだったのでしょう。ご自身の時には、分厚い医学書を取り寄せ、病気について徹底的に研究された方ですから。超がつくほど感覚人間の私にはない視点をお持ちでした。Y子さんなりの冷静は判断基準で、真剣に考えて下さっていたのだと思います。私は正直、その単刀直入な質問にドギマギしてしまいましたが、ドクターは顔色一つ変えず、Y子さんの質問にきちんと答えて下さいました。

今もこの時の光景をありありと思い出すことができます。私には、こんな頼もしいY子さんが寄り添って下さっている。そして、どんなことでも遠慮なく話せるドクターが一緒に闘って下さる。
もう迷いはありませんでした。これが、武枝さんのおっしゃる”始まりの光景”でしょう。

武枝)なんと手ごわいトライアングル!変な話、病気の方が戦意喪失してしまいかねないぐらい……共に闘って貰う最高の協力者に恵まれましたねえ。とはいえ、見えない敵に対する恐怖が消えたわけではないでしょう。

と、病気のことを”敵”と書いたものの、少し違和感を感じてしまいました。闘う“相手”と言った方がいいのかもしれません。30種類以上もあるという悪性リンパ腫の中でも、がんを退治するはずのNK(ナチュラルキラー)細胞自体が、がん細胞に犯されていることで発見が難しく、また見つかった腫瘍を切除してもおしまいにはならない、手ごわい相手と闘わなければいけないのですものね。

成田)そうですね。知れば知るほど厄介なやつです。でも武枝さんの違和感通り、この頃の私は、病気は「外敵」ではなく、自分の「内側」に生まれたものなのだから、自分の一部。それなら自分の体が折り合いをつけるだろうと感じていました。信頼できる医療のプロと愛ある人達との出会いに恵まれて、もはやなんの迷いもなくなっていた私は、恐怖心もありつつ、これから自分に起こることに対する好奇心さえ芽生えていました。

武枝)「折り合いをつけるか」~そういう感慨って、私にとっては想像で描くことしかできない理想の境地だなあ。修行したからといって誰しもが到達できるとは限らない心境!成田さんはそれを実感したのですね。都合のいいことも悪いことも含めて自分であるという感覚は、ある種、至福の領域かもしれません。

成田)至福とまで言えるかどうかわかりませんが、自分の中にあるものを「敵視」する気持ちにはなれませんでした。治療は医療のプロにお任せするわけですが、体の内なる声を聞くことができるのは患者本人だけだと思うんですよ。だから…仲良くしないとねっ。

武枝)ああ、そういう風にさらりと言える成田さんって、ホント小気味いいよね。“至福”だなんて、こんな状況の時に使う言葉ではないと反省しながらも、そのナイスな返しを聞いて、今や成田さんは、例えるとスミレの香りのする深めの赤ワインのように熟成されたのだなあと確信しましたね。

でもその時、成田さんの心臓の動脈と静脈の間に穴が空いて血液が漏れていたなんて!
このままでは心臓が抗がん剤治療に耐えられないかもしれない危険な状態だったのよね。しかも、がん治療をすぐ始めるか、心臓の検査と治療を優先すべきか、血液内科と循環器内科で話し合われていた矢先に、鼻の奥のリンパ腫が急激に肥大していることが分かった!一刻を争う事態が同時にいくつも重なって起きていたわけですもんね……思い出したくもないでしょう。
その治療はどのくらいの期間行われたの?

成田)ドクターからは、当初「治療に半年下さい」と言われていました。でも結論から言うと、2ヶ月で退院したんです。びっくりでしょ!それは、医療のプロと、大いなる愛の人と、自分で言うのもなんですが患者力とを結集させることができた「幸運の成せる業」でしょう。

武枝)うんうん、まさしく!凄いという言葉はめったに使いたくないけれど、これはほんとに凄い!

成田)武枝さん、お気遣いありがとうございます。でも、思い出すことが辛ければ、そもそもこんなやり取りを武枝さんにお願いしませんでしたよ。私は、病気の苦しみや治療の過酷さを話したかったわけではありません。ただ、病気になってみなければ分からないことや患者の気持ち。私がその時どんな想いで治療に向き合い、何を考えながら入院生活を送っていたかを残しておきたいと思っていました。そんな時、武枝さんと20年ぶりに品川で再会しましたね。あの時閃きました。

「そうだ!昔、魂の深いところで会話していた武枝さんと語り合いたい」と。
一方的な書き物にするより、武枝さんとの対話形式にすれば、病気という体験を通して、より深く「生き方」を見つめ直せるのではないかってね。神様は、闘病前に出会わせる人、入院中を支えてくださる人、新たな命を生き始める時に再会させる人を意図して出会わせているのではないかと思わずにいられません。ほんと、話させて下さってありがとうございます。

武枝)それは、こちらが言う台詞です。

成田)でも、少し治療の話をしますね。私の病気には、抗がん剤と放射線治療を同時に進める治療法が最も有効であることが10年ほど前に確立されていました。今やどこの病院でも同じ治療が行われているようです。でも、たった10年前まで、同じ病気で多くの人が亡くなっていた事実を思うとき、亡くなられた方々の闘いの上に、今、自分がこの治療を受けられるんだな〜って心から感謝しました。”医療は日進月歩”です。

武枝)私の父ががんになった40年前と比べて、おそらくその正体についてはるかに多くの事が突き止められていて、増殖の力を削いだり、鎮める方法は圧倒的に進歩し、症状に応じて細分化されていると思ってはいたのですが、成田さんが今こうして私と語り合っている事実が、医療の格段の進歩を物語っています。

成田)私の本格的な闘いは、一時帰宅から戻った翌日の10月26日から始まりました。不安を抱えた心臓を24時間見張りながら、抗がん剤と放射線を組み合わせた「Devic療法」がいよいよスタートしました。では、先行して始まった放射線治療の話からさせてください。
私は、毎朝5分間、鼻の奥から上顎にかけての放射線照射を50日間続けました。照射自体は痛くも熱くもないのですが、顔に放射線を照射することは、本当に怖かったです。

武枝)エッ~!顔に放射線を?どういう状態で行われるのか、想像の域を超えました。放射線の威力がどれほどすさまじいものか、少しは理解している者にとって、毎朝5分間、50日間も当てたらどうなってしまうのか、考えただけでも震えます。

成田)はい、ちょっと覚悟して聞いてくださいね(笑)。私の場合、腫瘍は左副鼻腔に6×6×1㎜大になって発見され、それから急激に大きくなりました。告知の日に受け取った病理組織診断書には「リンパ球浸潤の程度は高度」と書かれていました。
放射線科のドクターは、その鼻の腫瘍に向けた放射線照射設計図のようなものをパソコンで見せて下さいました。当然鼻は顔の中心にあり、近くには目や耳や喉や脳があるのですから、素人ながら、設計はとても難しそうに思いました。一つ間違えたら?と考えると怖いです。

でも、そのドクターは放射線治療への自信に溢れて見えました。体も声も大きくて一度会ったら忘れられない個性的な風貌でした。怒られるかもしれませんが、ちょっとオタクっぽい印象もあったかな。だってね、初診の日の第一声は、「放射線は嫌われものですが、確実に腫瘍をたたきますから」と自信満々で。

そして「成田さんの声に影響が出ないように、昨夜徹夜で設計図を考えましたよ〜」なんて、イキイキとお話しされるんですよ(笑)説明によると左副鼻腔の腫瘍に一点集中するのではなく、様々な角度から腫瘍に放射線を充てていくそうです。それで、なるべく喉を通らないように考えると、どうしても鼻から後頭部に放射線が抜けるらしく、「その部分の髪が抜けるんですが、どちらがいいですか?」と聞かれました。髪のことは、いずれ抗がん剤で全て抜けると言われていましたから、気になりませんでした。それより、すでに私の仕事のことなど全ての情報を共有されていて、「声を守ってあげたい」と一晩考えて下さったことが心底嬉しかったです。ここにもまた、頼もしいドクターがいらっしゃいました。

武枝)放射線の持つ特性を研究し尽くして、ある確信をお持ちなのでしょう。正常な細胞へのダメージを排除し、腫瘍だけにその威力を最大化させるよう、最大限の心を砕いてくださったのですね。その徹夜で作成された設計図って、どんなのだったのでしょうね。放射線をどの方向からどういう風に当てていくかっていう図ですか。

成田)はい、放射線が顔や頭部のどこを通るかという図です。でもね、その設計図の説明の日に放射線科のドクターはこんなこともおっしゃったんです。「成田さん、4月に新しい機械が入ってくるのですよ。それなら周囲へのダメージが少なく、ピンポイントで腫瘍に放射線を照射することができるのですが、半年も待てないですしね〜」って。実に残念そうなんです。そのどこか憎めないドクターに、私は笑いながらこう言いました。「待てませんね。では使い慣れた機器の説明をお願いします」。おかしなな会話でしょ(笑)ともあれ医療はそれほど日進月歩ということです。
特に医療機器は、世界レベルですごいスピードで進化しているようです。今なら、ピンポイントで照射することができるでしょう。これもタイミングですね。 だから私は、今可能な方法で最善を尽くしていただければ充分だと感じていました。

そこで、設計図通り放射線を照射するために、まず私の顔の形に合わせた専用のオリジナルマスクを作ります。それは白い網目状になっていて、顔全体にぴったり張り付くものです。息苦しく、精神的にも圧迫感がありました。私はその頃、副鼻腔で大きくなった腫瘍のせいか、ほぼ口呼吸でしたので、この型取り作業はすごく苦しかったです。息が止まってしまうのではないかと思うほどでした。翌日から毎日、このマスクをつけて放射線照射を受けるのですが、治療を終えてマスクを外すと、顔にくっきり網目模様が残るんですね。それはまるでメロンの網目のようなので、私は「マスクメロン治療」と名付けました。

この放射線治療は、50日間土日以外毎日続けなければいけないのですから、少しでも親しみを持てる方がいいでしょ。だから、毎朝放射線科から呼び出しがあると、「は〜い!マスクメロン行ってきま〜す」と、看護師さんや同室の皆さんを笑わせていました。と言うより、自分の恐怖心を紛らわせていたのですけどね。
そして、一人で6階の病室から、エレベーターで薄暗い地下二階に降りて、ライナック(放射線治療室)に行くと、上半身裸になり、冷たく硬い治療台に仰向けに寝かされ、マスクメロンを装着し、真っ暗になった部屋の中で、私は微動だにせずジーという小さな機械音だけを聞いています。

その時間は5分間ほどなのですが、どんなに長く感じたことでしょう。「絶対動かないで」と言われると、人は動きたくなったり、鼻が痒い気がしたり、唾を飲みこみたくなったりするものです。
初めての日なんて、「動いたらどうなるんだろう?」って想像して、心臓が破裂しそうなくらい緊張していました。恐怖から、勝手に体が起き上がるような妄想にかられたりもしました。治療中の痛みは全くないのですが、日を追って少しずつ、副作用に苦しむことになります。ちょっと一息つきましょうか。

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