第三楽章 〜生還〜

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3-6 まだ何を試されているのか

成田) 武枝さん、今回は、返信までに少し時間をいただいてしまいました。私の中で、再び目を覚ました”らしい”ものを受け入れられず、思考が定まりませんでした。その都度感じるままに書けば良いと思いながらも、やはり私という人間は、きちんと自分が受け止めていないものについては、「言葉にすらできない」ということに改めて気がつきました。書けなかったんです。でも、やっとこうして言葉にできるようになりました。

「目覚めた”らしい”もの」 とは、2015年に闘病したのと同じ「鼻型NKリンパ腫の再発」 ということです。

12月25日、武枝さんが私の復活祝いのためにわざわざ大阪から来てくださった翌日、私は鼻の奥の粘膜を採取し、病理検査に出しました。結果を待つ心境については、先にここに書いた通りです。奇跡を祈りつつ、結果を受け入れる心の準備もしていました。
2018年1月16日は、新年最初に血液内科を受診する日。朝からず〜っと心臓がドキドキしていました。「心の準備をしている」なんてエラそうに言っていても内心は息苦しいほど緊張していました。

そして私は病院の待合室で、このあと伝えられるだろう結果を感じ取っていました。その日、いつになく待ち時間が長いこと。廊下でドクターと目が合った時の笑顔の硬さ。「もう少しお待ちください」と言われた声のトーン。いつもと少し違うのです!血液内科の他のドクター達のわずかなアイコンタクトの短さなど。「思い過ごし!」と人は言うかもしれませんが、いえいえ!私は確かな違いを感じ取りました。

そして診察室に通された時、初めてお会いする看護師さんが、真剣な表情で立っていらっしゃいました。そのお顔を見て状況を確信しました。
その看護師さんは、「がん相談支援センター」の看護師さんで、患者や家族の話を聞くプロです。シングルの私は、いつも一人で考え決断してきましたが、この日から、看護師のTさんに精神的なサポートをして頂けるとことになりました。

さて、私の確信通り、O先生から「ほぼ再発だろう」と言う説明を受けました。「病理組織診断報告書」には、「前回と同じタイプの悪性リンパ腫であると考えて”矛盾”がない」とありました。
通常こういう言い方をするものなのだそうですが、言葉にこだわる私は「矛盾がない」という表現の意味が理解できず、どこかにまだ可能性を見つけられないかと思ったのかもしれません。「矛盾がないってどう言う意味ですか?決定ではないと言うことですか?」なんて、妙なところにこだわっていました。この報告書を作成された方は、病理検査の専門家で、患者を直接診るお立場ではないので、そういう表現になるということで、それは、病理的には限りなく「黒」だと言うことなのだそうです。

頭で理解できても、私の感情は納得しません。「先生、悔しいです。再発したくなくて、あんなにハードな治療を最後までやり切ったのに!」「退院から2年、やっと体力を取り戻してきたのに!これからやりたいことがいっぱいあるのに!またゼロからですか!」何に対してかわからない大きな憤りと悔しさがこみ上げてきて、ドクターに感情をぶつけてしまいました。言葉が詰まり、涙が溢れました。看護師さんが、私に寄り添いティッシュペーパーをそっと手渡して下さいました…。

武枝)そうだよね。再発したくなくて、ハードな治療も成田さんは耐えて耐えて耐えて耐えて、最後までやり切ったというのに……

その最中に、成田さんの体力が落ち過ぎ、これ以上治療を進めるべきかどうかのカンファレンスが開かれて、継続した方が良いという意見と、これ以上無理ではないかという意見に分かれたのよね。主治医のO先生は「僕は、再発させないためにも、今叩けるだけ叩いておいた方がいいと思いますが、やはり、成田さん自身の気持ちが1番大切だと思います」とおっしゃった。それを聞いた成田さんは即答したんだよね。「私なら大丈夫です!O先生のお考え通り、ここで最後まで叩いてください。」と。そして、「先生、私ね、クリスマスに退院して、その日シャンパンで乾杯しますから」って。O先生も「わかりました。一緒に目指しましょう!」そうして、治療は続行された!

そこまでの覚悟で治療に臨んだ成田さんだけに、今の気持ちに思いを馳せるといたたまれなく、心臓の音が頭の芯まで響いてきています。

成田) 武枝さん、2015年に初めての告知を受けた時より、私には「再発告知」はショックでした。
O先生は私が落ちつくのを待たれてから、今後の治療について説明されました…。前回ギリギリまでの量の放射線を鼻に照射しているので、もう放射線は使えないこと。これ以上の放射線は顔の組織を破壊してしまうだろうこと。そこで、今回の治療は「骨髄移植になる」というお話でした。それは、前回の抗がん剤に加えて、最後に強い抗がん剤を使うため、自分では血液を作り出せなくなるというハードな治療です。その骨髄移植には2種類あって、一つは「骨髄を人からもらう方法」。もう一つは「自分の骨髄を凍結しておいて抗がん剤投与後に戻す方法」。どちらかを選択しなければならないという説明を聞いて、私はその場で即答しました。「先生!私は自分の血液で闘うことしか考えられません」と。ドクターの説明も、その方が、拒否反応がなく、治療期間も短くて済むだろうということでした。でも病気を作り出した自分の血液を戻すのですから、健康な人の骨髄を移植するより、再発する確率は高いというリスクがあるそうです。

武枝さん、でもその二つしか方法がないなら、私には、答えは一つしかありません。”自分の血液に賭ける!”という選択です。そこで、もう一つ質問しました。「先生、これは、なんのための治療ですか?この治療をすれば私の体は元に戻るのですか?」と。

O先生は、力強く即答されました。「もちろんです!僕たちは成田さんを社会復帰させるための治療を考えています」と。
その「社会復帰できる」という言葉が私に刺さりました。それなら、もう一度…頑張ることができるかもしれない…。という気持ちが芽生えてきました。
とはいえ、鼻に小さな腫瘍が見つかっただけで、体はとても元気なのです。2年かけてここまで復活した体に、またそんな強い抗がん剤を使い、血液をゼロにするようなハードな治療をする必要が本当にあるのか?その方法しかないのか?この現実をすぐには受け入れられません。
するとドクターは、私の気持ちを察して、骨髄移植の設備がある専門病院に病理検査のセカンドオピニオンを依頼してはどうかと勧めて下さいました。今回の検査結果を疑うわけではありませんが、2箇所で調べて同じ結果なら、納得が行くかもしれません。もちろん!異論などありません。お願いすることにしました。今も様々な検査を続けながら、O先生にデータを準備してもらっています。

ここまでにしますね。多分、武枝さんのことだから、私と同じ精神状態になってらっしゃらないか心配です(笑)

この後は、再発告知直後の私の情緒不安定状態から、現在の心境に至るまでの話をさせて下さい。

武枝)当の成田さんの方が何百万倍何千万倍も大変なのに、私のことを気遣ってくださって……涙出るわあ~

そして、O先生の、患者との向き合い方にも改めて感銘を受けます。成田さんの病状だけでなく、感情、人間性までも真正面から受け止め、成田さんの質問に対しても常に真剣に答えを投げ返して下さる!しかも、先生の方から病理検査のセカンドオピニオンを依頼するように勧めて下さるなんて! そして「僕たちは成田さんを社会復帰させるための治療を考えています。」と。なんと心強いお言葉!

成田さんのショックは計り知れません。でも、成田さんはいつも必ず「再起」するのよね。成田さんが書いているように―――
《私の中で、再び目を覚ました”らしい”ものを受け入れられず、思考が定まりませんでした。その都度感じるままに書けば良いと思いながらも、やはり私という人間は、きちんと自分が受け止めていないものについては、「言葉にすらできない」ということに改めて気がつきました。書けなかったんです。でも、やっとこうして言葉にできるようになりました。》って。

その域に辿り着くのが、成田さんなのですね。思考が定まるまで諦めずに考え抜く。ああ、何と山深くまで分け入るのでしょう!

成田)武枝さんとのやり取りも第三楽章まで書いてきて、どんなまとめにしようか、どんな未来を語ろうかと考えていたタイミングで、まさかまさかの「再発!?」という展開になってしまいました。あまりにも出来過ぎです。でも、これはリアルな現実なんですよね。何者かの意思があるようにすら感じてしまいました。

私に「まだ何を学べというのか?」「何を試されているのか?」「何を経験しろというのか?」再発の告知を受けた帰り道、歩きながら、電車に揺られながら、様々な感情が交錯していました。悔しさで理由なく嗚咽してしまったり、いつもの景色が妙に美しく感じられたり、感情を受け入れながら、ただぼんやりと自分の心と向き合って過ごしていました。

でも、まだ信じられない気持ちが大きく、「希望はある」という気持ちを強く持とうとしていました。武枝さんから何度かお電話をいただいたときも、元気な笑声で話していたと思います。無理していたのではなく、武枝さんとは言葉を選ばず話すことができるので、会話しながら、時に笑い飛ばしながら、元気になる自分がいました。そう!「通り過ぎた女神様も振り返らせて見せましょう」なのだと。
でも一方で、告知を受け入れる準備も始めていました。ドクターは、「春以降の仕事は受けないほうがいいでしょう」とおっしゃいましたが、仕事をどこまで受けるか。すでに頂いているオファーをどうするか…。私が1番に行動したのは、今月来月の企業研修です。

もし私の入院が早まった場合の代役を信頼できる人にお願いしました。そして、一昨年から通っている学校の休学届けを出す準備をし、予定していた引越しの中止など、入院に備えて動き始めていました。でもその頃から、「何か違うぞ!」と、もう一人の私が問いかけてきました。
そして気が付いたんです!!「このままでは、再発を受け入れ、入院に向かってしまう!」と。まだ希望があると本当に思うなら、結果がはっきりするまで、「前に進んでいれば良い!」のではないかってね。

そこで私はまず、引越し先の部屋探しを続行することにしました。もし入院するとしても、「あの部屋に戻る!」と決め、早く帰りたくなるような部屋に、体力のあるうちに引っ越しておこうと思ったんです。わたしったら、医療費や検査費用がかかるというのにです(笑)

武枝)そうなの、そうなのよね。

成田さんも書いているように、《このやりとりの最終コーナーに差し掛かったタイミングで、まさかまさかの「再発!?」という展開。「あまりにも出来過ぎです。でも、リアルな現実なんですよね。何者かの意思があるようにすら感じてしまいました。私にまだ何を学べというのか?何を試されているのか?何を経験しろというのか?」》って、私も、成田さんと同じ“問いかけ”をずっとしています。ドクターが危惧するほどまでに体力をすり減らして治療を続け、そのつどギリギリの選択をしてきたというのに。

冒険家たちは、誰もができそうにない極限にあえて挑戦し、その体験を発信していくけれど、成田さんはそういうことに対する挑戦を望んでいるわけではないのだし。ただ、その状況になった時、どんな選択をすべきかという心構えはしておこうと思っているだけなのに、極限状況を課せられてしまった!そうなったらなったで、まるで冒険家がするような勇敢かつ思慮深いチョイスで、病気を乗り越えてしまったのよね。

思うに、あまりにも、病気を克服する姿が天晴れだったから、再度、過酷な状況に成田さんがどう対処していくのか、天のどちら様かが見たがっておられるのかなあ。いっぱしの心構えを気取っている者でも、大方はいざとなれば悲鳴と白旗しか上げられないのに、天晴れな成田さんに二度も痛い目に遭わせるなんて、ひどすぎます。

そんなことを歯噛みしながら考えていたら、成田さん、なんと、告知を受け入れ、入院に備えて動き始めていたことから一転。《「このままでは、再発を受け入れ、入院に向かってしまう!」。まだ希望があると本当に思うなら、結果がはっきりするまで、「前に進んでいれば良い!」のではないかって。》そして、引越し先の部屋探しを続行しているというお返事が届いた!

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