第三楽章 〜生還〜

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3-4 女神様も振り返らせてみせましょう!

武枝)病気で失ったものをどのようにして取り戻したのかを質問したわけですが、愚問でした。成田さんの“今”ある姿は、成田さんが病気になる前から心がけ、すべて習慣としていたことなのですね。だから、 特別なことは何もしていませんとしか言いようがないわけですよね。

すっきりした体型、豊かな表情、笑声を保つ秘訣は、 歯磨きをするぐらい自然な朝のルーティンと、日常のひとコマひとコマ(呼吸、姿勢、歩き方)の立ち居振る舞いを心がけた「勝手に筋トレ!」を習慣化することですね。「ローマは一日にして成らず」。今日からでも遅くはない。私もそのトレーニング法!を取り入れ、ゆっくり時間をかけて、自分を育てていくことにします。

成田)「ゆっくり時間をかけて、自分を育てていく」って、なんて素敵な言葉でしょう。生きるとは、ただただ今の自分を慈しみ続けることなのかもしれませんね。

武枝)「ゴキブリ体操」なんかは赤ちゃんからお年寄りまで誰でもできますしね。日本国中の人が成田さんに倣って朝起きがけにゴキブリ体操をしている風景を想像して、ひとり笑っています。やってみたら、ホント、体中の血のめぐりがよくなり、毒素が手足の指先から飛び散って出ていくのを感じます。

成田さんは、病気の時の苦痛を笑いに変えていたけれど、トレーニングについてもやはり同じですね。ゴキブリ体操なんて名前をつけて楽しみ、「ねっ!気持ち良いことをしてるだけでしょ。」ってニッコリしてる。どんな時でも「楽しく気持ちよく」するための魔法を必ず仕掛けますね。

成田)なるほど!魔法かもしれませんね。私には「笑い」「ユーモア」はとても効果的な魔法です。武枝さんの魔法は何かしら?私には、どこにでも飛んでいける「自由な想像力」ではないかと思うことがあります。

武枝)そうなのよねえ、想像・空想は私にとっても、魔法かもしれません。そして、最高の娯楽でもあります。おもちゃは不要。お金も不要。道具も不要。この身ひとつさえあれば、時と場所を選ばず楽しめますし、とどまるところを知らずストーリーを膨らませ、羽ばたけますからね。

それから、脳科学者ではないので、もちろん何も確証はないのですが、自分の言動を振り返って、脳のどの部分がこういう振る舞いを指令したのか、あっ、これは私の中の爬虫類脳が発動したとか、動物脳のなせる業とか、人間脳が働いたのかな、とか、思い巡らしていますね。

成田)ほらほら!ねっ、それそれ!

武枝)でも、最近になって分かったことが、今まで人間の司令塔だと思われていた脳が、実は絶対王者ではなさそうだって、iPS細胞の開発でノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥さんが話しておられました。あらゆる臓器や細胞から出されているメッセージ物質ANPの存在が次々と解明され、脳からの指令を待つまでもなく、必要に応じて、直接、臓器同士で情報を交換し合い、お互いに会話しながら調整しあって、生命の維持のコントロールをしているそうです。それを聞いて、なんだか嬉しくなっています。

おそらく、成田さんは入院中、ドクターたちとの会話だけでなく、臓器同士でも、頻繁にメッセージを交換し合い、治癒するためのいいアイデアを出し合っていたのかもしれないなあって想像したからです。

成田)素敵な想像ですね〜。確かにドクターとの会話も大切ですが、心臓の異常を始め、説明のつかない不思議な身体反応が色々起こりましたものね。自分の内側で交わされている会話を聞けるのは自分だけではないかと思います。

そして、これまで当たり前にあった聴覚や味覚や声さえも失いかけた時には、他の器官が補うべく助けようとすることも体感しました。無くなった髪も体力も、ゆっくりではありますが自分自身の力で取り戻そうと頑張っていました。そんな一つひとつが愛おしく、「ゆっくりでいいよ!」と思わずにはいられません。「すぐに〜できる〜」など無くても、私たちの生命は、どんな時も再生に向けて頑張っています。その営みは感動に満ち満ちています。

武枝)本当に、感動の一語に尽きます。物言わぬあらゆる臓器や細胞はしばしも休むことなく、黙々とメッセージ物質のやり取りをして、当の本人にことさら自覚させようともせずに命を支えるために頑張ってくれているのですものね。だからこそ、「自分の内側で交わされている会話を聞けるのは自分だけではないかと思います。」という成田さんの言葉がずしりと胸に残ります。少なくとも自分の内側で交わされている会話を聞こうとする姿勢や、聞き取るために五感を研ぎ澄ますトレーニングは、人としての務めかもしれません。

五感を研ぎ澄ませば、今まで気づかなかった次元と繋がるかもしれません。成田さんはすでに板についていましたが、大病を経験したことによっても更に洗練されていってますね。それは、「勝手に筋トレ!」を習慣としているように、どんな状況でも、自分の内側で交わされている会話に耳を傾けることを怠らなかったからなのでしょう。

成田)子供の頃は、耳を傾けるというより、自分の内側で交わされる会話に戸惑ったり、怖れを抱くこともあって、悪夢を見たり、時に妄想の世界で独り言を言ったりして(笑)「私って、ちょっと変なのかな?」と思ったこともありましたけど、いろんなことを経験しながら内なる会話を重ね続けて、最近ようやく違和感がなくなってきた気がします。10数年前、「答えは自分の中にある」ことを大前提とした「コーチング」というコミュニケーション手法に出会ったことも一因かもしれません。

私は、コーチングの究極は「セルフコーチング」だと思っています。「コミュニケーションには大きく分けて2種類あって、一つは自分と他者の間で交わされる会話。もう一つは自分と自分の内側で交わされる会話。この後者がうまくいくようになると、自分の感情がコントロールしやすくなり、他者との会話もスムーズになる」と考えています。

武枝)何という深遠なる考え!

しかも、その境地に至るまでのプロセスを《「いろんなことを経験しながら内なる会話を重ね続けて、最近ようやく違和感がなくなってきた気がします。10数年前、「答えは自分の中にある」ことを大前提とした「コーチング」というコミュニケーション手法に出会ったことも一因かもしれません。」》と謙虚に、更に的確に分析してる!

更に更に「他者との会話」の極意まで簡潔で分かりやすい言葉で披露している!

「倫理と無限」という著書で「他者」の「顔」と語ることの重要性を説いたフランスの哲学者エマニュエル・レヴィナス(1906~1995)さんがこれを聞けば、 きっと目を丸くされるんじゃあないかしらね。いや、唸るかもしれない!

成田)え〜!そんな〜!哲学者に唸られても困ります(笑)でも魅かれるタイトルとテーマですね。恐る恐る著書を手に取ってみたくなりました。私はテレビの時代に、「他者との会話」や「自分の言葉の発信」から先に修行することになってしまいましたが、あの頃はまだ他者とも自分の内側とも一致しない自分の不確かさと戦っていた気がします。自分の言葉と自分の内側がしっかり重なる感覚を探していたのでしょう。

武枝)そこですね。私たちが著しく共感するところは。子供の頃から自分自身の内部にも違和感を感じていましたから。成田さんの言葉通り、《「自分の内側で交わされる会話に戸惑い」、「他者とも自分の内側とも一致しない自分の不確かさと戦っていた」し、「自分の言葉と自分の内側がしっかり重なる感覚を探していた」》。そして、今も新しい自分の声に耳を傾け、しっくりくる言葉や表現方法を探し続けている。それは生きている限り続く大きなテーマなのだと思っています。

成田)そのテーマは実に摩訶不思議です。退院してから、放射線の影響で耳が聞こえにくく、両耳の鼓膜を切開してチューブを埋め込んでいます。これが時々抜けてしまい、音が聞こえ難くなる時がありますが、ところが不思議なことに、外の音が聞こえ難い時ほど、内なる声の感覚が研ぎ澄まされることに気づきました。身体は本当に互いにバランスを取り合っていて、私たちに大事なことを教えてれます。

武枝)「外の音が聞こえ難い時は、内なる声の感覚が研ぎ澄まされることに気づきました」って、またまた素晴らしい発見ですね。というか、成田さんらしい気づきですよね。困難なことを嘆くのではなく、それは次のステージに進むための前提と捉える。そして、進み、新たな感動を見つける。いつもそう!

成田)いつもそう!ですか〜。言われてみれば、確かにそうですね!武枝さんの言葉が私の内なる声に聞こえてきました(笑)

数ヶ月前から、あまり好ましくない出来事が続き、疲弊しきっていた時、不思議なことに鼓膜の奥に炎症が起こり、チューブにかさぶたが張り付いて耳が聞こえなくなりました。私がジョークで「耳の神様が天岩戸にお隠れになったわ」と武枝さんにメールをすると、「天岩戸の前で踊るにふさわしいダンスがある!」とご紹介くださった公演がありました。そのダンスは、まさに私たちの言いたいことと重なるものでした。そして真っ暗な舞台中央に立つ女性に、スポットライトの薄明かりが少しずつ差し込むように、私の天の岩戸も開きました。この出会いは偶然ではありませんね。

武枝)ホントに不思議なぐらい繋がりましたね。

耳が聞こえなくなったことの報告が、天岩戸に例えられていたから、天岩戸を開かせた芸能の女神アメノウズメと、勅使河原三郎さんが主宰するカンパニー「カラス・アパラタス」のダンサー・佐東利穂子さんが結びついたわけです。しかもその時、タイミングよく佐東さんのソロ作品「顔」の公演が東京であった!

佐東さんのダンスを一言では言い表せないので、師の勅使河原さんの言葉を借りると「葛藤し、自分を追い込みながら、瞬間瞬間の感覚を的確にとらえていかに必然性を創っていけるか。そのためには全体を俯瞰した価値観や世界観を持っていないと瞬間の必然性を捉えることができない。瞬間にどうやって焦点を合わせられるか、そして変化しながら進むことをダンサーに求める」という、そのお師匠さんの要求を常に超えるダンサーなんですね。

佐東さん自身、インタビューで「着地点は何?」と聞かれると「着地したくないですね、着地しないで、どんどん軽くなりたいです」と答えるような方で、成田さんの生き方と通じるところがあると思うのです。大阪にいる私は残念ながら「顔」の公演を観ることができなかったのですが、成田さんがそれを観て、天岩戸が開いたって聞いて安心しました。

成田)「葛藤し、自分を追い込みながら、瞬間瞬間の感覚を的確に捉え、いかに必然性を創っていけるか。そのためには全体を俯瞰した価値観や世界観を持っていないと瞬間の必然性を捉えることができない。瞬間にどうやって焦点を合わせられるか、そして変化しながら進むことをダンサーに求める」勅使河原さんのその言葉に痺れます!生きているのは「今、この一瞬だけ」なんですよね。瞬きほどの一瞬に何をどう捉えるか。そういう感覚にゾクゾクします。私たちに同じ瞬間は二度とないから、日々進化するから、「アップデイトダンス」なのですね。あの日あの瞬間の佐東さんを天の岩戸を開け放ち、しっかり観させていただきました。私も、アップデイトしながら生きたいです。命の終わりのその瞬間まで…。

武枝さんが、私を思って詠んでくださった一句がありましたね。
「初蝶や谷渡り野を自在なる 幸子」
今、この句が急に心に浮かび、軽やかな風が吹き抜けて行きました。改めて、素敵な句を、ありがとうございました。

武枝)わあ、なんだか嬉しく、楽しくなってきました。
生まれ直した成田さんが、ウイットや独創性、冒険心……ありとあらゆる持ち味を生かしながら、これからどんなに軽やかに、日々、いや瞬間瞬間アップデイトしながら、自在に生きていくのか、想像するだけで浮き浮きします。

アサヒホールディング会長兼CEOの泉谷直木さんが次に起こることを予測することの重要性を「チャンスの神様の前髪を掴む」とか「時間を迎え撃つ」という言葉で説いていらっしゃるのを、これまたつい最近新聞で読みました。こんな能力が自分に具わっているとは思わないけれど、危ない橋と分かりつつも渡り、際まで行って確かめたいタイプの者が軽やかにアップデイトするためには、こういうことも心しておいた方がいいんだろうなあとぼんやり思っています。

成田)武枝さん、私も「チャンスの神様の前髪を掴む」という言葉を誰かが言っていたのを聞いたことがありますが、私はその時思いました。「前髪を掴むのではなく、通り過ぎた女神様さえ振り返らせてみせましょう」って(笑)いかがです?天邪鬼ですよね、私。

武枝)いいね!いいね!いいぞ~!いいぞ~!もし、このやりとりが一冊の本にできたら、タイトルにしたいぐらいの名言です。「通り過ぎた女神様さえ振り返らせてみせましょう」の文字で埋め尽くす表紙をイメージしてしまいました。

成田)すてき!少々うぬぼれかもしれませんけどね。そういう自分自身で在りたいと思います。私は、神様の前髪を掴むなんて大それたことはできません!一瞬のタイミングを捉える大切さを表した例え話だとは思いますが、随分乱暴で強引ですよね。もし私が神様なら、いきなり前髪を掴むような人に微笑みたくありません(笑)

武枝)確かにそうですよねえ。ああ、いい香り!と、女神様が振り返ってみたら薄紅色の沈丁花が咲いていたって、そんな感じ、ね。

成田)薄紅色の沈丁花かぁ〜!その香りに誘われ、女神様も優しく手を差し出し顔を近づけたくなりそうですね。そんな花になりたいものですね。

ところで、武枝さんとのこのやりとりは、ここ3年間くらいに、私の体に起ったことを中心に据えて書いてきました。先日武枝さんが東京に来てくださって、私の復活祭をお祝いしてくださいましたね。あの前日まで微熱が続いて体調が優れなかったのに、翌朝目覚めると絶好調でした。武枝さん効果ですね。でも、「どうしてもあの日にお会いしておかなければいけないと思ったんです。理由はわかりません。」

その楽しかった翌日は、いつもの耳鼻科の診察でした。そこで「成田さん、鼻の奥に肉芽があります。リンパ腫が再発しているかもしれません」と言われました。
「まさか!」と「とうとうきたか!」の両方の感覚。2日後に鼻の奥の組織を3箇所ほど剥がし、ホルマリン漬けにして専門機関に検査に出して頂きました。

これがね〜、痛いんですよ!!ドクターや看護師さんが、「頑張って!動かないで!」と励ましてくださいますが、意識が遠くなりそうでした。こんなに医学が進んでいても、まだこんな痛い検査があるなんて信じられません。心配して覗いてくださった血液内科のO先生は、翌日、「成田さん、痛かったでしょう?僕は医者ですが、辛くて見ていられませんでした」とおっしゃっていました(笑)
また耳鼻科のI先生は、処置後、涙ポロポロの私にティッシュペーパーを渡しながら、「ホントにごめんなさい。いつもいつも泣かせてばかりですね」なんて言ってくださいます。
こうしたドクターの優しい言動はお薬より良く効きます。辛さ痛さを忘れて感動してしまう私です。

武枝)処置をして下さって「いつも泣かせてばかりだね」ってティッシュペーパーを渡して下さる耳鼻科のI先生、心配で耳鼻科を覗いて下さって、「僕は医者ですが、辛くて見ていられませんでした」とおっしゃる血液内科のO先生。有難くて涙が出ます。こんな素晴らしいドクターがいらっしゃることに心が震えます。そして、そんな先生方の誠意に応える成田さん。そんな成田さんにだからこそ、精一杯のことをしないではいられなくなるのだと思います。

私は身体的には成田さんと同じ次元には立てないけれど、このやりとりによって、精神的にはほぼ同調するようになっているような気がします。

書物を読んでいる時にも、会ったことのない作者の心情と自分自身がシンクロした気分になることはよくあるのですが、ましてや成田さんとは仕事を一緒にし、飲み歩いた悪友でもあり、語り合った深い?仲です。だからでしょうか、病気を笑顔で克服してきたことのしなやかさに対して天晴れ!と思い、成田さんの心根の深さに改めて唸りつつ、この3年間に成田さんが味わったことを自分も体験したかのような気持ちになっています。

そして、成田さんの体調の変調が大阪にいる私に伝わってくるのよね。で、矢も盾もたまらず、電話をかけたこともたびたびありました。電話をかけると、いつもの溌剌した「武枝さん~!」の笑声(えごえ)にホッとしながらも、心の奥底で不安はずっと消えないのよね。

あろうことか、復活祭を明日に控えた日に、一番聞きたくない「2文字」の疑いがあるって、聞くことになるとは……

でもね。成田さんの復活祭のために上京して、8ヵ月ぶりに会ってね。私、安心したの。直感で成田さんは大丈夫って、そう思った!不安な気配を微塵も感じなかったから。全身からマグマの力が溢れ出ていたから!

成田)そうですね!あの日、武枝さんと過ごした数時間は、確かに私の深いところからマグマが溢れ出るような熱さと、それでいて初蝶が時空を超えて自由に舞っているような軽やかな風を感じていました。一緒にテレビで仕事をしていた若かりし日のようでもあり、朝方まで飲み歩いた輝く青春時代のようでもあり、再会してからの”たった今”でもあり、何を話したのかさえ思い出せないほど、ただただ深いところで感じ合っていた時間でした。現実にこんなことがあるのですね。

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