第一楽章 ~再会~

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1-2 見えない不安の中で

武枝)以前、クモ膜下出血で倒れながら一命を取り留めた女性からこんな話を聞いたことがあります。最初、その方も近くのクリニックで風邪と診断され、処方された薬でも激しい頭痛が治らず、おまけに毎日ジャンプをして血液循環をよくするようにと勧められて、「様子を見ましょう」と言われたって。そのアドバイス(?)を実行していたら意識を失って、救急車で搬送されたそう。その病院の医師の診立てが正しく、すぐさま手術をして、生きながらえることができたって。で「お医者さんの言葉だから間違いないって思ったのが間違いでした。好転もせず、更に悪くなっても新たな手を打ってもらえず、様子を見ましょうと言うようなお医者さんにはさっさと見切りをつけ、セカンド・オピニオンを探すべきですね」と述懐しておられました。
成田さんもギリギリのところで啖呵を切って、その病院を離れたから今があるのですね。危ない危ない!

がん告知を受ける前の状況を聞くだけでも、私は卒倒しそう……肉体的精神的苦痛も、その治療による副作用の苛酷さについても、周囲の者はその万分の一も分かり得ないでしょう。ただ、伝達力に長け、自分を客観視できる成田さんから話してもらえたら、闘病の日々の辛かった、苦しかったこと、そしてそれ以外の事についても少しは理解を深められるかもしれないと思うのです。

体調がすぐれないまま不安を抱えての2年近く、その時期のことからまず聞かせてください。おそらく平気な顔をして仕事を続けていたのでしょ。

成田) そうそう!啖呵を切ったから今がある。私は結構、辛抱強く話せばわかる人間だと思いますが(笑)地雷を踏まれると啖呵を切る。昔からそうでしたよね。私にとって、啖呵は思考を超えた心の叫び。その声には従うのみです。私たち日本人は医師に遠慮し過ぎのような気がします。自分の違和感や意思をきちんと伝え、時に病院を変える決断も大事です。幸い東京には病院も医師も失礼ながら星の数ほど・・。今や「患者が医者を選ぶ時代ですよ」と、後にあるドクターがおっしゃってました。私が一緒に闘っていただくドクターを決めたときのことについては、がん告知を受けてからのところで改めてお話ししたいと思います。

鼻の手術後ですが、なぜか激しい首の痛みが続いていました。手術中、血圧が乱高下してちょっと大変だったと後で聞きましたけど、意識は深い眠りの中にあっても、肉体は緊張で硬直してたんだなと思うと、自分の身体が愛おしくなりました。
「よく頑張ったね〜、耐えてくれてありがとう」って・・。

それでも、あとは日にち薬とばかりに、武枝さんのご推察通り、すぐに仕事を再開し、5月の出版後は、編集者さんと書店挨拶周りをしながら、講演会や記念パーティーと大忙しでした。今思えば、少し疲れやすかったとは思います。その年の暮れに風邪をひき、私が主宰している会の望年パーティーでは、立って挨拶もできないくらいだったのに、最近体がなまっているのかな〜くらいに思っていたんです。

その頃から、よく熱を出すようになり、また少しずつ鼻の通りが悪くなってきて、また抗生剤を変えながら、吸引にも通っていました。ドクターもあらゆる可能性を疑い、色んな検査をして下さいましたが、毎回「アレルギーも悪いものはありませんね」という結果でした。
そこで私は、体力をつけることだと考え、マラソンクラブに入ったんです。可笑しいでしょ。前向きもほどほどにしろ!ですよね。

ところが、ある日の検査で、とうとう抗生剤に対する耐性菌が見つかってしまいました!長く抗生剤を服用し続けたことによると思われます。こうなるともう薬はありません。即入院して、さらに強い抗生剤を点滴で投与するしかないと言われました。

でもそれは、入院という名の隔離状態。人との接触を禁じられ、病室から出ることを許されなかったんです。看護師さんたちも防護服のような格好で部屋に入って来られます。この時だけは、
「私はバイ菌か!」「一体何が起こっているの?」って、泣いてしまいました。
がんが見つかる3ヶ月ほど前のことです。と…ひとまずここまでにしましょうか。武枝さんが辛そうに見えます(笑)

武枝)うんうん、意識を失いそう……その極限でも前向きな姿は、仕事の場面でたびたび目の当たりにしました。特に迫力があったのは、報道番組で女性のメインキャスターを務めた時。今でこそ珍しくないけれど、その先鞭をつけたのが30歳の時の成田さんです。引き受けたからには納得のいくまで番組スタッフと議論もし、腹をくくってやってのけましたからねえ。大変なこともたくさんあったでしょうけれど、貴重な体験でしたよね。

成田) それはもう、人生が一変するほどの出来事でした!!それまでは武枝さんと一緒に、テレビの黄金期を味わいつくすような楽しい番組を担当していましたもんね。遅れてやって来た青春時代でしたよね〜。ところが一転、報道というシビアな世界で、毎日、キャスターとしてカメラにさらされることは並大抵の緊張感ではなかったです。

女性キャスターも珍しい時代でしたが、局外の人間が報道番組のメインキャスターを担当するというのも、当時の放送局としては思い切った挑戦だったのではないかしら。プレッシャーでいっぱいでした。

当時は、パソコンもない時代で、原稿は記者の手書き。中にはクセの強い殴り書きのような原稿を、生放送直前に渡されることもよくあり、下読みできずに読み間違えても、恥をかくのはアンカーのキャスターです。
毎日自分の力不足を責めていたのですが…ある日とうとう我慢の限界に達し、番組終了後、
「もうやってられません!」と啖呵を切り、原稿をデスクに叩きつけて帰ったことがありました。今思い出しても恥ずかしい行為です。

でも怒りをぶつけることも、時には大事なのかもしれない…って学んだんです。前にも書きましたが、“啖呵は心の叫び”ですから。翌日、感情的な態度を謝罪しようと出勤しましたら、なんということでしょう。逆に、当時の報道部長が、部員全員の前で私に謝って下さったのです。

「昨日、成田さんが帰ったあと、みんなで反省会をしました。今日からは本番20分前までに原稿を書けない記者の原稿は採用しないことにします」と。
申し訳ないやら感動するやらでしたが、それから私も変わりました。

武枝)さすが、成田さんを見込んでキャスターに起用することを認めた部長ですねえ。その対処で、成田さんも変われば、スタッフも今までとは違ってきたでしょうね。

成田) 記者さんが取材から戻ると、できるだけ私も編集室に行って会話をしました。分からないことを質問すると、皆さん面倒がらずに熱心に教えて下さいました。その場で一緒にVTRを見ながら原稿の下読みもしました。私が文字のクセを見て(当時は手書き原稿だった)誰の原稿かがわかるようになってきた頃から、少しずつキャスターとして認めてもらえるようになっていったんじゃないかしら。

それまで報道の現場を全く知らなかった私が、この大役を引き受けることにしたのはプロデューサーのこんな言葉でした。「ニュースは、伝え手の感性が大切」。そのことを思い出したんですね。私の役割は、上手に原稿を読むことではなく、伝え手(記者や番組に携わる人達)の想いを、どんなキャスターコメントで紡ぐのかにある。そう思えたんですね。
本当にあの時代の経験は、私の財産です。

武枝)音楽でも、演奏者の感性や、作曲家の意図していることを譜面から深く読み取って表現してこそ、聴いている者に感動を与える、それと同じことですものね。

話は戻りますが、立って挨拶もできないほど弱っていた時に、体力をつけようと考え、健康でも酷なマラソンを選ぶのですねぇ……そして先に待っていたのは、無菌室での隔離状態だったのですね。
その狭くて白い一室で、何日間、どのように時間を費やし、何を思っていたのでしょう。もう少し詳しく話してもらって大丈夫ですか。

成田) もちろんです!なんでも聞いてください。点滴治療は2015年5月7日〜11日の5日間です。
無菌室というのは、本来は自分が悪い菌に感染しないように入るところでしょ?ところがその時は、私の中に生まれてしまった強力な耐性菌を、病院内に感染させないための隔離のように感じました。
「健康な大人には感染しないけど、新生児室が近いので廊下に出ないでください」と言われました。通常のトイレ付きの個室で、ベッドに釘付けの点滴治療を受けました。ドクターは、完全に菌を死滅させるためには、あと2日間点滴を続けたいとおっしゃいましたが、いったん熱が下がり菌が消滅したところで、私は仕事があることを理由に退院し、通院に切り替えました。
これ以上、この狭くて白い空間にいると、心が持たないと思ったんです。でも、その後の体調は最悪で、風邪のような熱を出す日も多くなっていきました。この頃、新しく始まる大きな仕事も抱えていたので、今振り返ると一番辛い時期だったと思います。

季節は夏になり、私は精神力を鍛えようとばかり、炎天下のランニングを続けていました。体重が6キロ減ったのを“ランニング効果”だなんて自慢していたのですから、全くノー天気ですよね。
そして、2015年8月22日。伊勢路をランニングしていた時に、突然大量の鼻血がありました。
さすがにちょっと怖くなりましたが、すぐに病院には行かず、その足で三重県の実家に向かいました。何故か「両親に会うのはこれで最後になるかもしれない」と思ったんです。偶然、滅多に会わない妹も来ていて、とても嬉しかったことを覚えています。体調のことは話さず笑顔で会話をして、翌日東京に戻りました。

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