第二楽章 ~心模様~

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2-5 怒りも悲しみも笑いにかえて

武枝)聴いているだけで息が苦しくなってきました。動くなと言われても、もし動いたら一体どうなるの?当てるつもりのない正常な細胞にも放射線が照射されてしまったら……

そんな治療を受けながら、自分の恐怖心を紛らわすためとはいえ、マスクメロンなんて名前をつけて、周りを笑わせて明るくさせていた成田さんの心延えを思うと涙が止まりません。

成田)武枝さん、マスクメロン治療は本当に不気味でした。確実に腫瘍を砕く一方で、良い細胞も痛めつけます。その副作用はじわりじわりと現れます。私の場合は、まず口の中の大きな血豆と口内炎でした。そしてだんだん頬のあたりがひどい日焼けのように赤黒くなってきて、そのうちポロポロと皮膚が剥けてきます。いつもガーゼに氷を包んで冷やしていました。「チークいらないでしょ!」なんて冗談を言いながら、シミが残ることを覚悟していました。

そんな時にね。同室の30代くらいの女性が、小さな保冷剤を4つほどくださったのです。「母がケーキを買った時についてくる保冷剤を溜め込んでいるのを思い出したので、持ってきてもらいました」って。ありがたかったです。それから、こうも言ってくださいました。「私こそ、いつも成田さんの明るい声に励まされているんです。ありがとうございます」って。大きな病気と闘っている人は、みんな優しいと思いました。

この女性は、私より先に退院されたのですが、後日、私のお見舞いに来てくださいました。

でもその頃の私は、日中も眠っていることが多く、あまりお話しできなかったことが残念です。その日以来お会いしていませんが、お元気だといいいな。長い黒髪が素敵な女性でした。

それから、放射線の副作用はますます厳しさを増していきました。次第に鼻から喉にかけての粘膜が焼け、喉の奥から食道にかけてむき出しの肉が真っ白でした。こうなると、もう食事は全く喉を通らず、水を飲んでも痛みました。その頃から味覚も全くなくなってしまいました。ペットボトルの水さえ生臭かったです。入院して1週間位は3食完食していた私も、治療を重ねるうちに食事が苦痛になり、出された食事にほとんど手をつけられなくなっていきました。

「成田さん、お願いだから何か食べて」と看護師さんが励ましてくださるので、期待に応えようとしましたが無理でした。入院当初は、「ヨーグルトとプリンが私の癒し」なんて言って、談話室で一人おやつタイムを楽しんでいたのに、それさえ苦痛になりました。食べる楽しみがなくなることは、本当に悲しかったです。気持ちが落ちますね。

テレビの健康番組やだダイエット特集などでは、”何が体に良いとか悪いとか”毎日のように伝えていますが、命と向き合った時、そんなことはどうでも良いと思いました。口からものを食べることが大切なんです。舌で味わい、噛むことで唾液を出し、喉ごしを感じ、胃を動かすことで命は育まれるのです。食べるという行為の意味を知りました。点滴で血中に水分や栄養を送り込んでも限界があるのです。その経験から、私は今、栄養バランスとかカロリー取りすぎとかしのごの言わず、食べたいものをなんでも美味しく楽しくいただくことにしています。まぁ以前からそうでしたけどね(笑)食べることこそが命をつなぐこと。生命の営みです。

武枝)ホント、そう思います。私は成田さんのように食べ物が喉を通らず、水を飲んでも痛み、味覚もなくなるという極限の状況になったことはありませんが、成田さんのおっしゃる通り「栄養バランスとかカロリー取りすぎとか四の五の言わず、食べたいものをなんでも美味しく楽しくいただく」のを旨として暮らしています。

食べものやさんで、これはヘルシーですからとか、体に優しいからって勧められると、天邪鬼のように「じゃあ、別のものにしま~す」って言うことにして、四の五の言うことに冗談めかして抵抗しています。骨付き肉なら、軟骨部分までむしゃぶりつき、尾頭付きの魚なら、その実体が何か分からなくなるまで、食べられるところはすべて食べてしまう。お肉、魚、野菜、海草、あらゆる命を食べ尽くすことで今生きていられるんだという実感はずっとありますねえ。

成田)同感です。武枝さんとは、昔、食べることの至福をいっぱい共有しましたよね。考えてみたら私の場合、仲良くなる人は、男女を問わず、美味しく楽しく食事できる人かどうかが大前提のような気がします。「食事を共にするとその人がわかる」というと傲慢ですが、今後どのくらいのおつきあいになるか、もうお食事することはないかが見えてしまいませんか。これって、動物的な直感かな?

武枝)まったくその通りです、私も。それにしても、よく飲んで、よく食べて楽しい成田さんが、口にモノを入れることが苦痛になっていたなんて……

成田)そうなんですよ。参りました!でもその頃、「痛みは我慢しないでください」とのドクターの言葉に従い、胃に何もない状態で4時間おきに鎮痛剤を飲んでいました。しかも錠剤は痛くて喉を通らないので、液体や粉末をお白湯に溶いて、少しずつ飲み込みました。特に夜中の痛みが激しく、とうとう準麻薬の鎮痛剤までいきました。すると、怖いもので、足元がふらつき、頭がボ〜とするようになります。転びそうなのでトイレも車椅子で連れて行ってもらうことが多くなりました。それでも痛みで眠れず睡眠導入剤にも頼りました。夜は意識が痛みに集中してしまうからでしょうね。夜中のナースコールが増えていきました…。

痛みに耐えながら長い夜を過ごしていると、窓の外が明るくなるのが待ち遠しかったです。看護師さんが「おはようございます」と電気をつけて、空気の入れ替えに窓を開け、6人部屋の仕切りのカーテンを開けてくださると、みなさんホッとした笑顔で顔を見合わせ挨拶を交わしました。誰もが不安な夜を過ごしていたのでしょう。夜中に泣いている人もいらっしゃいました。中には、朝起き上がれない人も。誰もがそんな時期を経験しているので、そういう方には声をかけず、比較的元気な人と洗面所で歯磨きしながら互いの体調を気遣いあったり、とりとめのない話をしました。不思議なことに、笑顔で言葉を交わしたり笑い合ったりしていると痛みを忘れていられるんです。ただ、私は放射線の影響で唾液が少なくなり、口の中はカラカラに乾燥していて、朝は舌が上顎に張り付いていましたので、すぐには声が出ません。少しずつ水を含んで舌や口中を潤しました。そうしてまた、「マスクメロン」の呼び出しを待ちます。

ある日、ふらつきが激しいため、車椅子を押してもらって放射線治療に行ったんですね。いつものように「おはようございます」とご看護師さんにご挨拶をすると、「成田さんは、どんな時も笑顔で来てくださって、すごいですね。ありがとうございます」って涙してくださったことを覚えています。その日は、さすがに辛そうだったのかなぁ、私。

武枝)その状況でも、笑顔で挨拶している成田さん!これは健気とか壮絶とかという次元ではない。気高さを感じます。

成田)この頃は、ふらつきだけでなく、自分で薬の管理もできなくなるほど意識もぼ〜っとしていました。そのことがすごく怖くなって、痛み止めの医療用準麻薬を飲むことを断ることにしました…。

この決心をするに至ったのは、ちょっぴり悲しい出来事があったからなんです。その日は日曜日で、いつもの血液内科チームの信頼するドクター達はお休みでした。
夜は、私の知らない当直の若いドクターだけでした。その夜、私は放射線で焼けた喉の痛みに耐えきれなくてナースコールをしました。あまりに痛がる私の様子を見て、看護師さんは、「私には判断できないので、当直のドクターに連絡します」と言われ姿を消されました。どのくらい待ったでしょうか。当直のドクターが、いかにも忙しそうな雰囲気を醸し出しながらいらして、開口1番、「成田さん、放射線の副作用による痛みについてはO先生から説明受けてますよね。成田さんより重篤な患者がたくさんいるんですよ!」と苛立ちが態度にも言葉にも溢れていました。「そうですか!では結構です。どうぞ、そちらにいらしてください。私が先生を呼んでほしいとお願いしたわけではないので・・・お忙しいのにすみません。」と必死で冷静を装いました。

すると、少し声のトーンが変わり「辛いお気持ちはわかります」と言い残して、行ってしまわれました。それから痛みに耐えて何時間か経った頃、私は、やはり痛み止めをもらおうと再びナースコールをしました。すると看護師さんは、またドクターを呼びに行かれました!「あっ!やめてほしいな〜」と思いましたが、しばらくして現れたドクターは怒りを抑えきれない語気でこうおっしゃったんです。「なんども呼ぶのはやめてください。もう今夜はここには来れませんから、聞きたいことがあったら今全部聞いてください…。でも、成田さんは最近、薬をよく間違うそうですね。
ナースセンターでも噂になっていますけど…。」と冷たい口調で言われ、私は心が凍りました。「それ、どういう意味です??私は鎮痛剤をいただけるか看護師さんにご相談しただけで・・・」と言いかけて喉が詰まり、あとは声になりませんでした。
私が、わがままでドクターを何度も呼んだように思われていたのでしょう。私は深く傷つき、悔しくて悔しくて、その夜だけは一睡もできませんでした。確かに私はその頃、頭がボーっとしていて、自己管理していた薬を2度ほど間違えました。でも、そのせいで、こんな扱いを受けるくらいなら、鎮痛剤を止めよう!と決心したのです。翌月曜日の朝、血液内科のチームドクター達の顔を見た時は、心からホッとしました。

でも、いつもよくしてくださるドクター達にその話はしたくありませんでした。入院中、悲しい扱いを受けたのはこの時だけでしたけど、でもこんな時こそ成田万寿美の本領発揮ですよね、武枝さん!
私は「感情のマネジメント」も勉強してきたのです。今こそ、昨夜のおぞましい会話と負の感情をどうしたら消し去ることができるかを考えました。そしてこんなことを実践したんです。
まず、あの当直医さんに「前髪たらりん」というあだ名をつけました。もう、それだけで、昨夜のストーリーが漫画の世界に変換できますね。
さらに天井に大きな白い紙をイメージして、そこに「前髪たらりん」と指で書いて、両方の手のひらでくしゃくしゃに丸め、窓から遠くに投げてやりました!!あ〜、スッキリした。これで笑い話になりました〜。

武枝)さすが!!起き上がり小法師もびっくりだあ、成田さんの前にはひれ伏したまま起き上がってはこられないでしょう。

その一件で、成田さんが修得してしまったという「感情のマネジメント」。怒りや悲しみという負の感情のエネルギーを笑いに転換する極意を、私は、<成田万寿美の三段跳び>と名づけました。

怒りと悲しみの負のエネルギーを助走にし、爆発寸前の負のエネルギーをホップの踏み切りでコントロールし、ステップの段階で、蓄えた負のエネルギーを「前髪たらりん」という漫画の世界に変換して飛距離を伸ばし、笑いで爆発させた!

成田)あはは〜!私が三段跳びしている絵が浮かびました〜!さてさて、治療は、喉の痛みに苦しんだ放射線治療と同時進行で抗がん剤投与が3クール。さらにその間に、問題を抱えた心臓のカテーテル検査や、放射線で焼けた喉から食道にカメラを入れて、心臓を撮影する検査などが行われました。医療のプロの叡智と、私の患者力の見せどころです。お茶でもいれて、少しゆっくり聞いてくださいね。

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