第一楽章 ~再会~

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1-4 「どう在りたいか」を試される時

武枝)抽象的で照れる言い方だけど、自分の生きる水脈を探し求め続けている者同士が出会ったという感覚があります。
私も、小さいころからずっと具体的になりたい職業を思いつかなかったし、親が自分ではなく兄妹を叱ったり注意したりしているのに、それを聞いているだけでも四六時中傷ついている子供でした。

ただ、子供心にこんな軟弱な精神では世の中渡っていけないと思って、あがいていましたねえ。

けれど、落ち込みはしていなかったなあ。たぶん、お互いに自分の弱さを自覚している者同士、響き合ったのでしょうね。成田さんの言葉《「求めるものは形あるものではなく、自分の内側にある」感じだったかな。「何になりたいか」というよりも、「どう在りたいか」を考えてました。

だから、目標を掲げて「掴み取る生き方」より、ちっぽけな自分の思考を超えた「何かに導かれる生き方」に惹かれる》が、とってもしっくりきます。

あがきにあがいた甲斐あって、今となっては私も少々のことでは傷つかない心にはなっているけれど、皮肉なことに天は強くなりかけた精神を更に試そうとなさる!私も結構、試された口ですが、「心も体もタフ」になった成田さんには、両方の試練が降りてきてしまった。私の場合、肉体的な試練に耐えられる自信はまったくないなあ。

成田) 武枝さんが、もし私と同じ状況になったら、たぶん耐えられると思うなぁ。私だって、これが自分のことでなかったら、とても耐えられないと思ったでしょう。でも女って、「今」を生きることの出来る生き物でしょ。だから自分に何が起こっているのかが分かれば、覚悟が決まるというか、肝が据わるというか。現実を受け入れる力があると思うの。特に自分の内面と向き合う習慣のある人はそれが出来ると思います。

でも、体調はどんどん悪くなるのに、病名もわからず、体に何が起こっているのか分からなかったこの時期は、本当に苦しかったですね。そしてランニング中に大量の鼻出血があった時には、さすがに「ただ事ではない」と思いました。
実家に寄ったあと、東京に戻り病院に行くと、明らかにドクターの様子がいつもと違いました。
「左鼻の奥に腫瘍があります。これは採取して検査しなければいけません」といつになく厳しいお顔でしたね。数日後、腫瘍を採取して「病理組織診断」の結果を待つことになりました。

それから、ちょうど①週間後、2015年9月4日の朝のことです。病院から電話がありました。
「今日どなたかお身内の方と病院に来てください」と。私にはすぐにその意味がわかりました。良い結果ではなかったのだなって…。
看護師さんに「大丈夫です。私一人で伺います」と返事をしながら、受話器を持つ手は震えていて、明らかに動揺していましたね。病院に着くまでのことはあまり覚えていません。

武枝)病名が分からないまま、苦しさが増し、どんどん弱っていく自分を奮い立たせていた成田さん。病理組織診断をただ待つしかなかった成田さん。電話の言辞から伝わるただ事ならぬ事態を受け止めなければいけなかった成田さん。事実をすぐには受け止められない成田さん。そして現実の真っ只中に立たされることになる成田さん。それでも「大丈夫です」と1人で病院に向かう成田さん。

辛かっただろうに、でも、どの時の振る舞いも、哀しいまでに凛としていたのだろうなあ。

成田)ここからが、本当の意味で、「どう在りたいかを問う生き方」を試されることになります。
その日、診察室を訪れた私にドクターは、「もう、お察しですね」と、静かな声で話し始めました。
「はい、大丈夫です。覚悟はできていますから、全て聞かせてください」と私。
するとドクターは、実は最初から疑ってはいたけれど、発見が難しく、なかなか特定しづらかったこと。検査をしても、それは球場の中で小石を探すほどの確率であること。
この段階で見つかったことはラッキーであることなどを先に説明されてから、「病理組織診断報告書」を私に手渡され、病名を告げられました。いわゆる”告知の瞬間”です。

それは「NK/T 細胞リンパ腫 鼻タイプ 」という血液のがんでした。
私は、初めて聞くその病名を、自分の声でゆっくり繰り返しました…。

「悪性リンパ腫」って、実は30種類以上もあり、人によって出方は千差万別。ひとくくりには説明できない病気だそうです。私の場合は左鼻腔に見つかったのですが、手渡された報告書の所見にはこう書かれていました。

「組織学的にはやや不整形で小型〜中型の核を持つリンパ球がびらん性に浸潤する。既存の腺管上皮に浸潤し、腺管を破壊する像が見られる。毛細血管の増生が目立ち、好酸球や好中球も混在している。壊死は目立たない。細胞異形は比較的軽いが、NK/Tcellの著明な増殖を認めます。既往検体と比較してリンパ球の程度は高度」と。

武枝)この報告書を最後まで読んで、震えが止まりませんでした。「やや不整形」とか「びらん性に浸潤する」とか「腺管を破壊する像」とか「毛細血管の増生が目立ち」とか「好酸球や好中球も混在」とか「壊死は目立たない」とか「細胞異形」とか「NK/Tcellの著明な増殖」とか、専門的な言葉が折り重なる説明の奥に潜む不気味さ……その不気味さが、一体どの程度進行していることを意味するのだろうかと思い巡らす猶予も与えない簡潔さで締めくくられている「程度は高度」という言葉……
その報告書を読み進んでいく時の成田さんの心のうちを想像しただけで、胸が苦しくなります。

成田)本来がんを退治するはずのNK(ナチュラルキラー)細胞自体が、がん細胞に犯されることで、発見が難しく治りが悪い。そして腫瘍を切除しておしまいとはならないということでした。そんなことから、10年前には多くの方が亡くなる病気だったそうですが、今は、効果的な治療法が確立されたいるという説明までを聞いたあと、
「それは、希望があるということですか?」と尋ねると、
「もちろんです!」と力強い答えが返ってきました。私はそのとき、なぜかホッとしていました。
だって、私を長年苦しめてきたものの正体が、やっと分かったのですもん。正体が分かれば闘えますから。

そして、ここからは耳鼻科ではなく、血液内科の領域になるということで、私はこの病気と闘うために、どこの病院で、どんなドクターと、どのように闘うのかなどを早急に考えなくてはいけませんでした。命がかかっています。泣いている暇なんかありませんでした。

武枝)なんということでしょう。返す言葉が見つからないので、成田さんが告知を受けた時のことを想っていると、闇の中から、チェロのあの深~い音色が聴こえてきました。

成田)そうですね。本当にそんな感じだったかもしれません。がん告知を受けている間は、時が止まっているような静寂の時間だった気がします。自分の心臓の鼓動だけが聞こえていました。それは静かなリズムを刻んでいて、なんと言えばいいのかな〜。自分の命というものを感じていたと言いますか、”今、私は生きているんだな”なんてぼんやりとその鼓動を受け止めていました。

でも、この鼓動を止めるかもしれないものの正体がわかった以上、そこからは、現実を受け止め、しっかり対応しなければいけません。
受けている仕事のこと、保険や入院中の家賃など諸々の支払いをどうするか、個人的に整理しておくことは何か、最小限知らせなければいけない人のこと、そして何より病院選びのことなど…。
その夜、一人の部屋で優先順位をリストアップしている私がいました。急に現実的な話になります(笑)これが生きている私に突きつけられた現実課題だったのです。

武枝)《「がん告知を受けている間は時が止まっているような静寂の時間だった」「自分の心臓の鼓動だけが聞こえ」「それは静かなリズムを刻んでいて」「この鼓動を止めるかもしれないものの正体がわかった以上、そこからは、現実を受け止め、しっかり対応しなければ」 「その夜、一人の部屋で優先順位をリストアップしている私がいました」……》

《「何になりたいか」というよりも、「どう在りたいか」を考え、自分に問い続けてきた》成田さんだからこそ、がん告知を受けた時でさえ、闇からも一瞬で抜け出すことができたのでしょう。そして《ここからが、本当の意味で、「どう在りたいかを問う生き方」を試されることになります。》の覚悟。

成田さんの言う”試される”は、周囲の目からでもなく、他人の評価という意味でもない。日ごろからどう在りたいかと問いかけている自分に自分が試される時。長年苦しめてきたものの正体、命の鼓動を止めるかもしれないものの正体が分かれば闘えると言い切り、すぐに行動と結びついている。なんと天晴れなんでしょう!

その話を聞いて、ちょっと不思議な気持ちになりました。お母さんのお腹に命を授かった時って当然、自分が生き始めたなんて意識しないで生き始めるわけだけど、成田さんって、がん告知を受けた瞬間の闇の後、また命の始まりに戻ったんだ~しかも確かな意識と意志を持ち、本当の意味で、「どう在りたいかを問う生き方」を始めたんだ。成田万寿美は二度生まれたんだ、って!

2017年の年賀状が”新たな成田万寿美を生きるぞ宣言”でもあったということが、今、分かりました。

成田) はい!まさにそうです。「私は今、産道の暗闇にいるけど、もうすぐ元気な産声をあげるからね〜」って感じで、生まれる前のことを忘れないよう、「産道日記」と題した闘病記録を時々書いていました。やっと病気の正体を知って闇から抜け出したというより、闇にいる自分をしっかり観察しようと思えたんです。ちょうど翌年は還暦になる年でもありましたから、退院したら、赤ちゃんに戻って新たな人生を生き直すのだとイメージしました。すると、生命誕生のエネルギーのようなものが湧いてきました(笑)

武枝)「産道日記」を書いてたって!しかも、ちょうど翌年に還暦を迎えるという時期と重なるなんて!びっくりマークをいくつ付けても足りません。

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