第一楽章 ~再会~

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1-3 心静かに向き合う

武枝)御両親に会うのはこれで最後になるかもしれないと思うほどの体調なのに、伝えず、笑顔で会話をして別れたって!その決然とした姿、何と言っていいか言葉が見つかりません。私なんかは、自分の行動が制限されるのが嫌という姑息な理由で(!)親に身辺のことを話さないようにしていた程度で……

成田) 武枝さん、それは姑息ではないです。知恵ですよね。
私も親の干渉から逃れるために、若くして家を出て自立しました。その後、会社(リクルート)を辞めるときも、報道キャスターへの転身も、結婚も、離婚も…すべて自分で決めてからの報告でしたから…、父は、「万寿美には考えというものがない」と嘆いていたようです。

娘の生き方は父の想像の範囲を超えていたのでしょうね。でも親の価値観を押し付けられた子供は、自分で人生を切り開くことのできない人間になる危険性があります。それって、生きる楽しみを奪うことですよね。

だから、子供が大事なことを親に話さなくなるのは、とても健全な知恵だと私は思います。でも、今回、親に病気のことを話さなかったのは、すっかり年老いた両親には、もう心穏やかに暮らしていて欲しいという想いだけでしたけど。

武枝)子供が安泰に暮らせることを願うあまり、親は自分の思う幸せや価値観を子に押し付けてしまうのだろうということを、私が客観的に理解できたのは、親の望む枠を私は超えた!と不遜にも自覚した、ちょうど20歳の時でした。青二才のくせして、私は親が望んでいるより先の方に向かって進んでいるんだって、生意気にも思っていましたね。

今となっては、年相応に成長することは、そう簡単ではないという実感は私にはありますが、成田さんは、その都度、その都度の決断が潔いので、精度の上げ幅が大きいのよ。だから、心配の種になるようなことは親にあえて伝えない……、そういう大人対応ができるのよねえ。

成田) 武枝さんは、親になられて親の気持ちも理解されたのですよね。私は子供がいないので、そこの想像力が少し足りないかもしれませんね。

武枝)子供を育てたといっても、私の場合は、自分自身が親からであれ、誰からも行動を制限されたくないので、子供に対してもそうしなかったというに過ぎず、子供にとって何がよかったのか悪かったのか、確たるものを掴んではいません。そして、子供の幸せを願っているからという前提で価値観を押し付けるような親の気持ちには変わらず抵抗があります。
ただ若いころのように行動を制限されるのが嫌という理由だけで身辺のことを親に話さない、というのではなくなりましたが。

成田)そこそこ!そこですよね〜!武枝さんと繋がっているところ。結婚しているとかしていないとか、子供がいるとかいないとか、仕事が何かとか、そういう表面上のことじゃなくて、「自分自身の在り方」を見つめもがいてきた者同士として通じ合ったのですよね。その昔。いえいえ、会えなかった間も、そして今も…。あっ、感動してきた(笑)

武枝)どんなに辛い時もすべて自分で収めてきた成田さんだけど、さすがに、今回は、泣き付きたい気持ちになりませんでしたか。

成田)それは、全くなかったですね。結局、最終的に悪性リンパ腫という血液のがんの告知を受けた時も親には伝えず、病院も治療法も全て自分で決めました。

遠くに暮らす高齢の親に心配をかけたくないという気持ちもありましたけど、本音は、アレコレ言われたり、泣かれたりすることで大ごとになるのが怖くて、心静かに病気と向き合いたいと思っていました。

後に妹には知られてしまいましたけれど、
「私が本当に危ない状態になるまでは親には言わないでね。」と頼みました。妹はこんな姉を理解して、秘密を共有してくれました。常に明るく振舞ってくれたことが有り難かったです。

武枝)そうなんだ。妹さんも肝が据わっていますねえ。こういうギリギリの場面で、賢明な振る舞いができるなんて!それにしても成田さんの強靭な精神力には改めて感じ入りましたねぇ。

そして、ロシア語の同時通訳だった米原万理の著書「オリガ・モリソヴナの反語法」に描かれている、実在した女性オリガと成田さんがダブりました。
米原さんはお父さんの仕事の関係で1960年代チェコスロバキアの首都プラハのソビエト学校に通い、当時バレリーナを目指していたそうですが、その時の舞踊の教師オリガに魅了され、ソ連崩壊後の翌年、ロシアに渡って、過酷なスターリン時代を生き抜いたオリガの足跡を追いかけているのです。

その作品の中で、衝撃的なくだりがあるの。国家反逆罪の疑いでオリガは囚われの身となるのだけれど、どんな過酷な仕打ちを受けても折れなかったので、最終的に座っていられる程度の広さの独房に入れられてしまったのね。さすがに肉体的に弱るだろうと思われていたにもかかわらず、その狭い空間でストレッチなどで体を鍛え、くたばるどころか、疑いが晴れて出される時も颯爽としてたって。

でも、そもそも、生まれつき強靭な精神力の持ち主っているのでしょうか。逞しく見える人ほど、元々はガラスのハートなのではないかと私は思っているのです。
志があるとか、何か目指すところがあって、密かに心の中で鍛冶屋のように鍛造しているのではないかと。私は、そういう見えない部分に強い興味をかきたてられます。

成田) 鍛え上げた体で颯爽と独房から出てくるオリガさんの姿を想像して、胸が締め付けられました。すごい女性ですねぇ。私なんか足元にも及びませんが、人が極限状態で最後に信じられるのは、“自分自身の肉体と精神だけなのかもしれない”って、白くて狭い空間で天井を見つめていた私としては、ちょっぴりわかる気がします。体を研ぎ澄ますことで心も研ぎ澄まされるというか、肉体と精神は、命の炎を燃やすための両輪のような気もします。

でも、それができるのは、自分を信じる力と、「必ずここから出る」「必ず生還する」という強い意思があるからでしょうね。私が、あの体調と先の見えない不安の中でランニングを始めたのも、無意識の生命の欲求だったのかもしれません。ふむふむ、話しながら、なんだかあの頃の自分の行動の意味が見えてきました。

武枝)その感覚、よく分かります。日ごろ思っていたことを話したり、書いたりしているうちにだんだん自分の考えがクリアになってくること、よくあります。他の機能を働かせることで、脳が活性化され、別の回路と繋がるのでしょうか。

成田)そうですね。内側で考えているだけではなく、文字や言葉にして外に出すことで、深いところにしまい込んだものが結びつくような感覚があります。私の場合、特に信頼している人と話しているときに起こります。

武枝)それにしても、最悪の体調の時でも、底から生命の欲求が湧いてきたなんて、何という生命力!

成田) 「成田さんは強いですね」とよく言われますが、決して強靭な精神力など持ち合わせてはいません。それどころか、子供時代は心も体も弱々でしたし、人生の志というものも特にありませんでした。あえて表現するなら、「求めるものは形あるものではなく、自分の内側にある」感じだったかな。「何になりたいか」というよりも、「どう在りたいか」を考えてました。だから、目標を掲げて「掴み取る生き方」より、ちっぽけな自分の思考を超えた「何かに導かれる生き方」に惹かれる人でした。

だから、安定していた仕事を手放してでも、畑違いの報道キャスターにチャレンジしたのでしょうね。そこは今も変わりません。「私はどこに行くのかな〜」っていつも思ってる。そして根拠なき直感による選択をする(笑)そうして導かれるままにいろんな経験をしていくうちに、私は強靭と言うより”タフ”になっていったと思います。

弱さも持ち合わせたままでね。「心も体もタフ」と いうのが、腑に落ちる感じです。鋼のような強い女にはなりたくないですもんね。その昔27歳の私にとって、武枝さんとは、この弱さと強さの両面で話ができる”奇跡の出会い”でした。

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