第二楽章 ~心模様~

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2-6 覚悟が決まれば楽しめる

武枝)ふう~大きな深呼吸をしないと……まだ、放射線治療の話が始まったばかりですよ~これからまだまだ他の治療も並行して行われるというのに、それに、副作用も……、考えるだけで気が遠くなりそうです。そもそも、私は放射線治療を受ける場所が「地下二階」と聞いただけで震え上がっているのですから。駄目ですねえ。成田さんは、苛酷な治療を受け、副作用に苦しみながらも笑顔を絶やさず、冗談まで言って同じ病気の人たちを和ませ、励ましているというのにねえ。

そんな成田さんに、副作用による血豆と口内炎でポロポロとめくれた皮膚を冷やすようにと、お母さんが溜めていた保冷剤をくださって、「私こそ、いつも成田さんの明るい声に励まされているんです。ありがとうございます」と言ってくださった同室の30代くらいの女性の声はピッコロの囀りよう!「成田さんは、どんな時も笑顔で来てくださってすごいですね。ありがとうございます」って涙してくださった放射線治療室の看護師さんの涙はハープの音色の滴りのように、私の心に沁み込んで、ようやく正気に返りました。私が、成田さんからエピソードを聞いて慰められてどうするって話ですけどねえ。

はい、気を取り直して、続きを聞くことにします。成田さんの患者力の見せどころを!

成田)武枝さん、こうして振り返っていると、変な言い方ですが、「結構きつい治療をしてたんだな〜」なんて、今ちょっと人ごとのように感じています。そういえば、私の中には、自分を俯瞰するもう一人の自分がいて、何かあると会話しているみたいなんです。

「あなたどうするの?」と一人が聞けば、「なるようにしかならないでしょ!」という声が聞こえます。「じゃあ、どうせなら楽しく過ごしましょ」なんてね。
私には、覚悟が決まれば、そこに楽しみを見出そうとする特性があるようです。だから緊張感ある報道生番組もどこかで楽しめたのかな。もっと言うと、人生に起こる様々な苦しみや悲しみの中でも、もう一人の私は何かを楽しんでいるような気がします。それは、「覚悟」「楽観」それとも「開き直り」でしょうか?この私の特性が、今回は「患者力」となって自分自身を助けてくれたようにも思います。あくまで自己分析ですが(笑)

武枝)そうそう、自分のことなのに、他人事のように感じるって!私も多少その傾向にあるので、よく分かります。一般的に“きつい”という状況であるほど、そういう感覚になりがちですね。その代わりに、喜びとか楽しさは自分の内部で人一倍膨らんでいく!だからきつい部分は外部に掃き出されてしまうのかもしれません。

といっても、私が経験したきついことは、成田さんの今回の病気で味わったことから比べたら、大したことではなかったなあと痛感します。

こんな状況でも「じゃあ、どうせなら楽しく過ごしましょ。」と、成田さんの持ち味を発揮することに衝撃を覚えますが、これからのきつい話も、成田さんがどんな風に楽しんでいたのかという醍醐味に変換して聞けそうですね。

成田)よかった(笑)。では、もう少し治療の話を続けますね。放射線治療と並行して、3クールの抗がん剤投与を受けました。1クールとは、3日間点滴による抗がん剤投与を受け、4日目は体に残った余分な抗がん剤を流すために、1日かけて点滴で血管に水を流します。良い細胞へのダメージをできるだけ少なくするためです。ここまでを1クールと言います。でも、 その後1週間ほどの免疫抑制期間が最も危険なんです。

良い細胞を殺し白血球も少なくなった体は、様々な細菌に感染しやすく、風邪やホコリにも気をつけなければいけません。血液内科病棟では、1日2回看護師さんがシーツのほこりをコロコロしたり、ベッド周りの除菌掃除にいらっしゃいました。この間はお見舞いはご遠慮いただき、部屋の中でも24時間マスク着用です。そうして体調の安定を待って、また同じ過程を繰り返します。初めて抗がん剤を投与した日はとても緊張しました。「いよいよですね!頑張りましょう。気分や体調に何かあったら、我慢しないですぐに伝えてください。」とのドクターの言葉に、「これからどんなことが起こるのかな?」ってドキドキでした。
まず、抗がん剤点滴用の少し太い針を左手首より少し上の血管に刺し、薬剤師さんから投与される薬の名前と効果、想定される副作用についての説明を聞きました。そして吐き気止めの点滴と錠剤を飲んでから、いよいよ抗がん剤の投与が始まりました。強い薬が体に入ってくることは不気味なものです。「頑張れカラダ!」って自分に声をかけました。

この間、心電図の装置を首から下げて24時間心臓を見張ってもらっています。トイレに行くときも、点滴と心電図の装置を引き連れて行かなければいけませんし、トイレのたびに尿は全て自分で採取し、指示された機械に入れます。どのくらい尿が出ているかや腎臓の様子も検査しながらなのでしょうね。一つのお薬の点滴が終わるとサイン音が鳴りますので、ナースコールして次の薬剤に変えてもらいます。

点滴の間は、チューブを伸ばしておかなければいけないので仰向けで眠らなければいけません。熟睡はできませんでした。こうして朝10時くらいから深夜まで点滴は続きます。ようやくその日の分の投与を終えると、腕の針は刺したまま、点滴の機械だけを外し、やっと自由に寝返りをして眠ることができました。
翌朝は6時に起床し、朝食を食べて、「マスクメロン」の呼び出しを待ちます。そして部屋に戻るとまた抗がん剤投与でベットに張り付けです。決められた時間に薬も飲まなければいけませんし、患者はなかなか多忙なのですよ。

1クールの抗がん剤投与が終わり免疫抑制期間に入ると、白血球を増やすための皮下注射をします。ところが、ここで想定外のことが起こりました!白血球が一気に増えすぎて、腰に激しい痛みが出て動けなくなったんです。入院直後に骨髄を採取したのですが、丁度そのあたりから白血球の赤ちゃんが生まれてくるようで、まるでギックリ腰になったような激痛でアレヨアレヨと言う間に動けなくなりました。「何これ〜!!」って泣き笑いしてしまうほど情けない姿でした。
そんな時も放射線治療に行かなければならず、初めて車椅子で連れて行ってもらった時、廊下ですれ違った循環器内科(心臓)のドクターが、「あれ?いつも元気な成田さんが、今日は患者みたいだね〜」って笑顔でおっしゃるので、「患者だよ〜!!」と言い返した後に「イタタタ〜」って(笑)廊下にいた人はみんな笑ってましたけど。こんなやりとりもどこかで楽しんでいた私です。

武枝)さすが!患者さんも患者さんなら、ドクターも百戦錬磨!笑わせてくれますねえ。

そう言えば、私たちが一緒にテレビ番組の仕事をしていた時の周りのスタッフって、駄洒落を含めて言葉遊びやら何やら遊び心満載で、仕事をしているのか楽しんでいるのかの境界線がなかったよね。プロデューサーもディレクターも、自分が楽しいと思わないで作った番組は、見ている者も面白いはずがないとばかりに、エンジョイしていたように思います。

成田さんの患者力って、自分を俯瞰できる視点以外に、どんなに厳しい治療の時も冗談を言って笑い声をあげ、そのよく鍛錬された美声で歌うように「おはようございます」と挨拶をする“笑声”と旺盛な“遊び心”が大きな源泉になっているのではないでしょうか。

成田)そう言っていただけると嬉しいです。自分の声は自分の耳が聞いています。そして聞いたことを脳に伝達します。だから、辛い声で話すとますます辛くなり、悲しい話をすれば悲しくなるし、明るい声は周りも自分も明るくします。声と感情はつながっているという思いが私の源泉にはあります。

武枝)ああ、その感覚なのよね。成田さんの人格形成の大きな要因になっているんだと思います。

粗野な感情が丸裸のまま声に出るという恥ずかしい事態を招かないためにも、自分の声を自分の耳で聞き、脳に伝達し、感情をコントロールして笑いに変換できる大人にならなきゃあ、ですね。

成田)だからドクターとジョークを言い合えば痛みが軽減し、同室のみなさんと笑い合えば、心が軽くなりました。そして眠れぬ夜は、スマホで笑える動物動画を観たり、外国のパロディー集を読んで過ごしていました。

武枝)それですね。「じゃあ、どうせなら楽しく過ごしましょ。」精神の具体例その①は。
私の本棚に、ロシアとユダヤのジョーク集がありますが、厳しい状況下にある国や民族の下で生まれるものと、大阪のギャグでは、同じ冗談でも違うなあって思います。

そうそう、先日、日本経済新聞の書評の欄を見ていて、「人間はなぜ歌うのか?」(ジョーゼフ・ジョルダーニア著)に関するこんな記述に目を奪われました。「最新の脳科学では、人間が歌ったり音楽を聴いたりすると、生存上の危機に瀕した時と同じ脳の最古層が活性化することが分かっている」「歌は精神高揚に役立つ」「精神が高ぶると脳に強い神経物質が放出されて、痛みや恐怖がブロックされる」「熊が棲む森は歌いながら歩けと言われるように、歌う集団に肉食獣は近づかない」だって!これ、成田さんの患者力とピタリ符合して、思わず膝を打ってしまいました。

成田)武枝さん、素敵〜!まさにそれですね。私も今、膝を打ちました。私も入院中、自分の感覚を裏付ける素晴らしい本に出会ったんです。ノーマン・カマンズの「笑いと治癒力」です。著者は、不治に近い難病を、「笑い」によって克服したジャーナリストです。人間の自然治癒力の可能性と、心と体の相互作用について書いています。それから、「笑い」についての書物を色々読むようになり、ますます自分の想いと一致して膝を打っていました(笑)。

そもそも私たちは何のために笑うのでしょう。書物によると、嬉しいとき、おかしいとき、または敵ではないことを伝えたり、好意や謝意を伝えるためにも私達は笑うようです。人間は他の動物に比べて、視覚による伝達情報が効果的だからなのだそうですが、サルの社会にも、上位のものに向けた「劣位の笑い」があり、これが人間の「親和の表情」へと進化したとも書かれています。いわば、笑いは私達のコミュニケーションツールです。でも、もっと「笑い」のルーツを紐解けば、実は動物が誤って口の中に入れた毒物を吐き出す動作が進化したという研究報告もあります。そういえば、犬も変なものを口に入れた時、口角を上げますよね。これは体の自然な反応で、自然治癒行為の一つではないかというのです。

それがいつしか「快感刺激」へと進化し、笑うことで、心にも良い効果をもたらしているのではないかと。私はまたまた膝を打ちました。病院でも、よく笑っている人は、心と体の毒素をたくさん吐き出しているように見えました。「笑い」の効用についての様々な文献や書物を読むにつけ、「笑顔でいること」「笑声(えごえ)で会話すること」の大切さを確信し、闘病中は意図的に実践しました。

私は研究者ではありませんが、今、こうして元気でいるという確かな事実。闘病中に起こった奇跡を振り返り、「ユーモアや笑いの大切さ」について身をもって実感しました。私が提唱している「笑声」について確信を持つこともできたことは、病気からの大きなプレゼントだったかもしれませんね。

武枝)「病気からの大きなプレゼント」と、病気も掛け算にして、人生の経験の豊かさに組み入れられるのも、「じゃあ、どうせなら楽しく過ごしましょ。」精神!具体例その②ですね。

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